古代日本語研究 

1.研究前提

古代日本語研究の「共通認識」は、以下の通り。
各項目の( )は、樹冠人の李寧煕へ傾倒する理由・思い。

一、 韓国の文献は、純粋な漢文体で叙述されている。それに比べ、日本の文献は漢字を使用してはいるが、多くの部分が韓国の「吏読風」に書かれている。
(お好み焼きの「広島お好み焼き」と「広島風お好み焼き」の違いに似ている。こう書くと「広島人」は解りやすい。・・・樹冠人の私見)

二、 「吏読風」で書かれた多くの部分、特に「音よみをせよ」と注をつけた句節は、ほとんど例外なく韓国古代語である。また、「難訓歌」「未詳歌」「枕詞」「語義不詳」などはこの吏読風で読むことができる。
(世の学者先生たちは、「あきらめが早い」のか、この意見を全面的に否定。「日本語であるとの固定観念」を捨てて、一から聞く耳をもたれては?「如是我聞」が大事ですよ。・・・樹冠人の私見)

三、 「吏読(いど=idoo)」とか「吏読文(いどむん=idoo-moon)」とは、古代韓国人が漢字を借り、その音訓を活用して韓国語を表記した借字文のこと。「吏読風」とは、吏読式漢字借字文であるが方法がやや異なる。日本式音と訓を混用、韓国語と日本語をとりまぜて表記していることに加えて、漢文体語句まで活用している複雑多様な表現方法。
(つまり、漢語・古代韓国語・日本語に通達しないかぎり、真の「万葉集」は読めない。・・・樹冠人の私見)

四、 現在「万葉集」の名で呼ばれているものは、”平安万葉集”と呼ぶのが正しい。なぜなら、これらは「万葉仮名」で表記された「韓国語」を、「日本語」であるという前提に立って再創作した歌集であるからである。
(「韓国人と日本人」との違いがここにあるのかも?・・・樹冠人の私見)

五、 真の「万葉集」は、日本・韓国・中国の三つの国の語文を一つにまとめて自国語へと昇華させ、自由奔放に歌った詩歌であり,卓越した「二重構造」で構成されている。まさに、『海を渡っていくと、文化はより眩しく開花する』というトインビーのことばは、「万葉歌」のために用意されたことばのようである。
(「大陸と島国」、「フランスとイギリス」、「ラテン語と英語」等々の議論に酷似。・・・樹冠人の私見)

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2.樹冠人の研究課題

『民衆と共に歩み、民衆と共に生き、民衆と共に死ぬ』が樹冠人の基本スタンスです。私の思考回路は、この基本認識から構築されています。
ゆえに、『古代日本語研究』もこの基本姿勢はかわりません。
もし万葉古代人に二種類のタイプがいたとすれば(現代もかわりませんが)、以下のように大別できましょうか。

@「自分の人生を有意義に過ごすために、民衆の生活を統括し、汗と涙まで搾取することに命を賭けた貴族階級・僧侶階級たち」
A「日々の生活に追われてはいるが、他人に何かしてあげることはないかと心を砕き、民衆と共に生きると決意し、権力闘争から離脱(下野)した庶民」

私は、後者Aの人生を歩むと決意した人間に興味があります。つまり、「宮廷生活を謳歌した(している)都人」には興味ありません。権力闘争から離脱(下野)した、させられた庶民こそ「万葉集」に存在しますし、存在を知ったがゆえに、この十何年もの時を費やし、「そんな人は他に存在しないのか?」と「万葉集白文」と「李寧煕(イヨンヒ)著作」と格闘したわけです(当然、今も続けていますが)。

「李寧煕」の著作には、「庶民の叫び・祈りが」記述されています。
例えば、 「お月様よ 空高く お登りなされ 遠くまで お照らしくだされ・・・・・」
百済の詩歌、『井邑詞(ジョンウブサ)』(井邑は全羅北道に現存する地名)の一部です。原詩は「ら」音と「む」音の脚韻が、正確にふまれています。これは、行商のため市に行った夫の浮気などを心配している妻の歌で、「月天子」に祈りをささげている場面です。儒教立国の時期であった李朝時代、この歌は「淫詞」(みだらな歌)として、口誦禁止になったこともあります。まさに、この美しい韻律と直截な表現の世界は「万葉集」のそれを彷彿させます。(「もう一つの万葉集」より)

日本は儒教立国でもあるまいし(しかし、江戸時代のおかげで、現代もその影を追っている人がいますが)、「李寧煕」の著作・主張が世にあらわれると、「李寧煕はみだらな女だ」とか、「万葉集はそんなみだらな歌ではない。」とかの誹謗・中傷の嵐が女史を襲いました。当然、女史は怯みません。(「李寧煕の思い」を参照)
ということで、樹冠人の研究課題は「庶民の叫び探し」が首題となります。

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3.「もう一つの万葉集」のおことわり

李寧煕著作の「もう一つの万葉集」を読む上での「共通認識」。
李寧煕いわく、「おことわり」とは?

【ふりがなについて】
韓国語には、単独では発音しない子音がつきます。たとえば、一万円(円は韓国貨幣単位)は「万円(まんうぉん)」です。しかし、発音するときは「まのん」となります。原形を示すためには「まんうぉん」がよく、発音を示すためには「まのん」がよいので、原則的な統一ができません。そこで、必要に応じ、その都度「もとのかたち」あるいは「リエゾンしたかたち」を補記しました。したがって、万葉仮名とルビは対応しません。また、詠んだ人が訓による文字えらびをしたときも、万葉仮名と送りがなは対応しません。また、本文中の古代韓国語や古代人名のルビは「ひらがな」としました。

【五・七・五・七・七について】
吏読文で書かれた新羅の歌「郷歌(ひゃんが)」の形式で詠まれた歌や、漢詩風に詠まれた歌をかならずしも「五・七・五・七・七」におさめることはできません。歌によっては短歌らしく字数をそろえたものは参考程度です。

【テキスト】
固定観念にとらわれぬよう、万葉仮名だけを見て訳しました。訳読のテキストとしては「新版・新校万葉集」(創元社)、引用の万葉仮名と従来の訳文は、原則として「日本古典文学全集」(小学館)により、対比文献として「日本古典文学大系」を引用しました。

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4.「枕詞の秘密」のおことわり

李寧煕著作の「枕詞の秘密」を読む上での「共通認識」。
李寧煕いわく、「おことわり」とは?

【テキストについて】
訳読のテキストとしては「新版・新校万葉集」(創元社)、引用の万葉仮名と従来の訓み下しは原則として「日本古典文学全集」(小学館)により、対比文献として「日本古典文学大系」(岩波書店)、「万葉集」(中西進・講談社)を引用しました。
枕詞についてのテキストとしては「枕詞辞典」(阿部萬蔵・阿部猛編、高科書店)を使用しました。

【ふりがなについて】
前著「もう一つの万葉集」は、主に欧米系外来語を「カタカナ」、日・韓の音訓を「ひらがな」にしましたが、今回は、外来語は「カタカナ」という一般な方法にしたがいました。今後この方法で統一する予定です。

【ハングル文字について】
ハングル文字は十五世紀に開発された極めて精緻な発音表記法で、開発当初の表記と現在の表記文字に大分差があります。当初の文字で表記すると説明が非常に複雑難渋になるので、前著ではこれをすべて現代文字に切り替えて説明しました。このため「現代語で訓んでいる」という一部の誤解を生んだようです。「古代語を、現代語で説いている」という誤解をなくすため今後、特に必要な時を除きハングルは使用しないことにしました。もちろん、読解に当たり「現代語で説明する」ことはあっても、「現代語で訳す」ことはありえません。

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5.「日本語の真相」のおことわり

李寧煕著作の「日本語の真相」を読む上での「共通認識」。
李寧煕いわく、「おことわり」とは?

【韓国語の表記について】
文中の韓国語は、すべてカタカナであらわしました。
このうち、最小限度の基本的な単語には、ローマ字とハングル(韓国独自の表音文字)を添えてカッコ内にまとめました。
李朝初期の十五世紀、学者群によって創られた韓国の表音文字ハングルは、創製当初の文字と現在の文字には大分差があります。韓国語をお習いになっている日本の方にも、当初の文字遣いを読みこなすことは非常に難しいので、古語を表記するにあたり現代文字で統一することにしました。「現代文字で綴られているので、これは古語ではなく現代語ではないか」という誤解を招くおそれがあるので、あらかじめおことわりしておきます。

【参考辞書類について】

著述にあたり、参考とした辞書類は次のとおりです。

《韓国の辞書類》
『クン辞典』(ハングル語学会著・乙西文化社)
『吏読辞典』(張志暎、張世けい共著・正音社)
『詳解漢字大典』(李家源、張三植編著・裕庚出版)
『韓国方言辞典』(崔鶴根著・明文堂)
『補訂古語辞典』(南広裕著・一潮閣)
『古語辞典』(劉昌惇編・東国文化社)
『朝鮮古語方言辞典』(丁泰鎮、金炳済共著・一成堂書店)
『民衆エッセンス韓日辞典』(安田吉実、孫洛範共編・民衆書林)
『国史大辞典』(教育図書)

《日本の辞書類》
『古典大辞典』(小学館)
『岩波古語辞典』(岩波書店)
『広辞苑』(新村出編・岩波書店)
『学研漢和大辞典』(藤堂明保編・学習研究社)
『漢字語源字典』((藤堂明保編・学燈社)
『語源大辞典』(堀井令以知編・東京堂出版)
『日本史辞典』(高柳光寿、竹内理三編・角川書店)
『用字総覧』(与田史人編著・池田書店)

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 李寧煕(イヨンヒ)紹介 

A-1.李寧煕の略歴

李寧煕(イヨンヒ)の略歴

1931年 東京で生まれる。
1944年 父母と共に祖国韓国に帰る。
1948年 梨花女子高校二年在学中、詩専門誌「竹筍」から、詩「月を転がす」で文壇にデビュー。
1954年 梨花女子大学校英文科卒業。
1955年 韓国日報「新春文藝」童話部門、「小さな舟の夢」で当選。
1956年〜1960年 児童月刊誌「セボツ」(新しい友)編集長・主幹、韓国日報に入社。
1960年〜1981年 文化部長、政治部長、論説委員歴任。韓国古代史ならびに吏読の研究を始める。
1981年〜1985年 国会議員当選。韓国議員連盟幹事、オリンピック特別委員会委員被任。韓日古代語の比較研究を始める。
1985年〜1988年 公演倫理委員会委員長、韓国女記者クラブ会長、韓国女流文学人会会長、国際ペンクラブ韓国本部理事歴任。

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A-2.李寧煕の受賞

李寧煕(イヨンヒ)の受賞

「大韓民国児童文学賞」
「大韓民国教育文化賞」
「小泉文学賞」
「海松童話賞」

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A-3.李寧煕の著書

李寧煕(イヨンヒ)の著書

創作童話集「お星様を愛したお話」ほか二十三。
随筆集「花とガラスの言葉」はか四冊。
韓日比較言語に関する著作「もう一つの万葉集」「枕詞の秘密」「天武と持統」「日本語の真相」(いずれも文藝春秋社)

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A-4.李寧煕の夫

李寧煕(イヨンヒ)の夫

金耀燮(キムヨソツブ)は元老詩人。咸鏡北道で生まれる(1927年)。
受賞、「大韓民国芸術文化賞」他。
著書、詩集「銀色の神」など十四、評論集四、創作童話集五十五。

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A-5.李寧煕の思い

李寧煕(イヨンヒ)の思い

ある日、鋭くて温かいある記者が、「李先生の説を日本人が事実として認めるのは、おそらく五十年後のことでしょう」と、
古代韓国語が日本語になっているという事実。
これを認めることは、日本の方にとってある種の「勇気」を必要とするものです(もちろん、そうでない方も大勢おられますが・・・・・)。
日本と韓国の間に阻かっている、あのどろどろした溝のような障害を跳び越す勇気。
溝そのものがなくなれば、「溝コンプレックス」も消え失せます。溝をなくすのに、五十年はかかるということなのでしょうか。
認められようと認められまいと、事実は事実です。
しかも、認められようという色気など、学者でない私には最初から一切ありません。
でも、「五十年後」の新しい世代のために、私はいま「一本のリンゴの木」を植えましょう。
この一冊の本が、そのリンゴの木です。

1991年3月1日 李寧煕 「日本語の真相」より

【樹冠人の思い】
この本を李寧煕先生が書かれて十三年、「五十年後」と語られて、四分の一の時が過ぎました。
私が日本歴史、特に古代に興味を抱いたのは中学時代からです。高校の「古典授業」に不信を覚え、特に「万葉集」の読み方への疑問。大学受験のための古典勉強がこの疑問を忘れさし、「六法全書」が私の時間を奪い取りました。やっと腰をすえて「古代日本語研究」を開始できたのが、三十歳。
私が「古代日本語」と「格闘」しはじめてもう十五年。永い日々「格闘」し続けました。そして、まだ続いています。「日本語・漢語・韓国語」に通達しないと『真の万葉集』は読めない」と信じている私としては、「韓国古代語」は必修言語科目です。「格闘期間が長い」その原因は「日本語・漢語」は少しかじりましたが、「韓国語」それも「韓国古代語」の勉強となれば全くゼロからの出発。特に、IMEに無い字の「外字登録」の多さにはほとほと疲れます。(十年前に比べると格段の進歩ですが!)。そして、前述の「空白の時間」のお陰。しかし、救われたのは李寧煕先生の著作でした。たいへんわかりやすく、すらすら読めます。「日本語の匠」ともいえる李寧煕式「古代日本語」読本(樹冠人命名)。そこでの結論は、「韓国古代語」=「日本古代語」ととらえればいとも簡単。なんだこんな単純なことか!つまり、李寧煕先生の「韓国古代語」を勉強すれば、「日本古代語」が紐解ける訳です。しかし、未だに「外字登録」とは格闘しています。当然そこに「仏法」が拍車をかけます。「日蓮大聖人の御書」を基調に、「日本語・漢語・韓国語」の勉強が私の日課となりました。
李寧煕先生いわく、
「言語に関心をもつ韓国人は、日本語の中の韓国語を直感的に探し出すことができます。韓国語をお習いになっている日本の方についても同様のことがいえます。韓国語が分かると、日本語の語源はもちろん、韓国と日本の関係まですんなり見えてきます。
 韓国の人々よ、日本語を習いましょう。
 日本の方々よ、韓国語を習いましょう。
 言葉が分かるとすべてが見えてきます。
日本と韓国の真の交流はここから始まるのです。」と・・・・・

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A-6.李寧煕の驚き

李寧煕が「もう一つの万葉集」を書き終えて、驚きを以下のごとく書き残しています。

(以下要約)

【驚きその一】 全文韓国語で書かれていること

”万葉集の韓国語よみ”
「歌のうちの一部が、韓国語であるらしい」くらいの感じが、四千五百十六首全歌をよみ終えたということではないので、たしかな数字は言えませんが、
 @全文韓国語よみ
 A韓日両国語二重よみ
 B韓日両国語混合よみ
の三つのタイプにおおむね分類されるのではなかろうかと思われます。おもに、今まで解釈不能とされてきた未詳歌や難訓歌、問題歌を取り上げて解読にあたったので、このような結果を得たのかとも思われますが、額田王の歌一つにしても、解釈が三十種にものぼる「莫囂円隣之」ならともかく、「金野乃」など日本語で完全に解読できていると信じれれている歌が、実は全文ユニークな韓国語でうたわれているのですから、驚くしかありません。

【驚きその二】 枕詞は重要な意味を持つということ

枕詞は従来、「意味が失われたまま伝承された」和歌の修飾用語となっています。要するに枕詞とは、「意味不明の修辞」「全体の主意に直接かかわらないもの」「調子を整えるためのことばとも言われるもの」なのです。しかも、一千七十八語(「枕詞辞典」阿部萬蔵・阿部猛編)と膨大な語句数です。これらが意味不明とは、日本国文学上の深刻な問題点であるはずです。にもかかわらず、日本国文学界が冷淡なのは、いったいどういうことでしょう。

『万葉集においての枕詞は、
 @主題にかかるもの(または主題そのもの)
 Aモチーフにかかるもの(またはモチーフそのもの」)
 B序詞を含む歌辞そのものであるもの
とに類別される、重要な意味を持つ修辞である。』と、私(李寧煕)はここではっきり申し上げます。『それも大部分、古代韓国語なのです。』と。

【驚きその三】 日本語の接頭語の大半は接頭語でないということ

接頭語は、広辞林によると、『ある語の上につけて、語調を整え、またはその意味を強め、あるいはある意味を添える語』です。
「佐丹(さに)」の「さ」、「真櫂(まかい)」の「ま」、「伊可伎(いかき)」「伊許芸(いこぎ)」の「い」・・・・山上憶良の七夕歌一つとりあげても、所謂「接頭語」とされている正体不明語がぞろぞろ出てきます。
しかし、これも枕詞の場合と同じで、形容詞、副詞などの役割をしている韓国語なのです。したがって、現在接頭語とされている日本古代語は、大部分接頭語ではないのです。ある語の上にかかる語義不詳語は、だいたい「接頭語」として、きれいにさっぱり簡単にかたづけている手際のよさに、また驚かされたわけです。

【驚きその四】 性愛表現において大胆きわまること

この「万葉」、韓国語でよむとすごくエロ(世間はそう見るという意味・・・樹冠人の私見)なのです。全部が全部そうというのではありませんが、恋歌は大体濡れ場を臆することなく展開しています。その堂々とした率直さに圧倒されながら、困惑し、途方に暮れました。しかし、なんという健康さ。直截で大胆きわまりない表現を駆使しながら、繊細な美意識でさらりと描写している格調高い愛のドラマ。
さすが、「万葉」は、エロ歌などではなく、真の意味の文学であったからです。とくに、憶良の「七夕歌」は、類いまれな青少年文学ともいえるでしょう。こんな素敵な愛のテキストは、今まで見たことも聞いたこともありません。児童文学者としても、大いに面目が立つということです。

(どこかの時代で、「文学倫理委員会」なるものが発足され、「この万葉集は猥褻であるので、未成年者にはそぐわない、ゆえに発禁本と認定する。」と決定され「焚書坑儒」された可能性が大。しかし、よくぞ四千首以上もの猥褻歌なるものを集めに集めたものだ。・・・樹冠人の私見)

【驚きその五】 世界に類例のない古典であること

「万葉集」の価値については、再三強調することもなかろうと思います。しかし、「世界に類例のない素晴らしい古典である」ことについての比較認識は、かえって日本の方には、あまりないのではないかと思われます。韓国と日本、中国、三つの国の語文を縦横無尽に活用しながら、愛と死、政治と戦いなど、古代人の生活や歴史を鮮やかに浮きぼりしている五〜八世紀の古典文学が、ほかのどの国にまたあるものでしょうか。しかも、その数量たるや断然世界一なのです。四千五百十六首、これが驚きでなくてなんでしょう。よくも残したりです。
まことに悲しい話なのですが、「万葉」とおよそ同時代の韓国の古代歌、「百済歌詩(がさ)」は、なんとたった一首「井邑詩(じょんうぶさ)」しか残っていません(これがまた素晴らしい歌です。)。郷歌(ひゅんが)と呼ばれる新羅の歌は、それでも大分残されていますが、「万葉」の数には較べものになりません。相次いだ侵略や戦乱の、不幸な歴史の結果です。この点、日本は文化的にも非常に幸運な国であるわけです。

ハングルで、『ご まぶ すむ に だ』・・・有難うございます

万葉仮名風で、『高真心而多』・・・(ご ま しむ い だ)

※樹冠人の「おわび」・・・ハングルの「ぶ」と「む」は小文字です。万葉仮名風の「む」も小文字です。そのうちハングル文字を導入します。「ひらがな」「カタカナ」の小文字は難しい。ごめんなさい。

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A-7.「平安万葉集」について

現在「万葉集」の名でよばれているものは、万葉集ではなく、”平安万葉集”とよぶべきものである。
四千五百十六首のほとんどが、概して前半部は大半が韓国語で詠まれている。さらに、「枕詞」(詳細は、後述の『枕詞の秘密』を参照)がほとんど韓国語でありますので、古代韓国語で解読しないかぎり正確に訓めない歌の数は、万葉集のほぼ全首におよぶといってさしつかえないでしょう。
”平安万葉集”とよぶのは、これらは万葉仮名で表記された韓国語を、日本語であるという前提に立って再創作した歌集であるからです。

【樹冠人の私見】
 「万葉集」は、全て漢字表記(白文)であること。また、現在「万葉集」と呼んでいる”平安万葉集”は「音よみせよ」「訓よみせよ」と注釈が記入された「万葉集」であり、高校の古典の授業では「ひらがな」「ひらがなまじり」の「万葉集」を勉強してきた訳です(いまだに日本人、特に高校生は勉強し続けています)。このことを日本人(特に学校の教師の方々)は認識しておられるのか?樹冠人は甚だ疑問です。
 実は、この「万葉集」と”平安万葉集”を区別して授業を展開されておいでになる、ある一部の先生がたは存在しています。ただし、大学受験では”平安万葉集”が出題されますのでこの先生がたは苦労されていることでしょう。

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 『吏読(いど)風』について 

B-1.「吏読」(いど)とは?

「吏読(いど=idoo)」とか「吏読文(いどむん=idoo-moon)」とは、古代韓国人が漢字を借りて、その音訓を活用して韓国語を表記した借字文のことです。

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B-2.「吏読風」について

【李寧煕の発見】

韓国の古代文献が純粋な漢文体で叙述されているのに比べ、日本の古代文献は漢字を使用しているが、多くの部分が古代韓国の「吏読風」に書かれている。この「吏読風」の「風」とは、吏読式漢字借字文(法)が韓国式ではなく、やや異なる。
日本式の音と訓を混用し、古代韓国語と古代日本語をとりまぜて表記していることに加え、漢文体語句まで活用しているので、実に複雑多様な表現法になっている。(この点が世の学者先生の「問答無用・聞く耳を持たない理由らしい?」)

@古代日本では、当初韓国式音でよまれた。
A次第に、日本人がこれを自分たちのよみやすいように変化させていった。
 (例えば、韓国語の終声は日本に渡ると例外なく省略されてしまう。また、B音がW音に変化する。)
B韓国ではすでに消え去った古語(古代韓国人が使用していたであろう言葉)が、日本の古代文献のなかに散在している。
C現在「万葉集」と日本人が呼んでいるものは、万葉集ではなく、「平安万葉集」と呼ぶべきである。(詳細は、前述の『平安万葉集について』を参照)

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B-3.「日本語の語源」について

日本語の「語源のたどり方」は、以下の通り。

古代韓国語→吏読で表記する→日本式吏読表記(つまり万葉仮名)に書きかえる→その漢字をそのまま日本式によむ

すなわち、日本語は一般の音韻の法則だけでは、その語源をたどることのできない「ことば」を含む特殊な言語であることを意味する。しかも、もしこのような形で作られた日本語が今後の解読の作業によって沢山出てくるということになれば、「日本語と韓国語は、同音同意のことばが少なくその関係は淡い」という考えもひっくり返ってしまうのです。

(古代日本において、海外移住者と原住日本人とは、「ことば」は古代韓国語、「文字」は漢字で対話していたことになります。また、海外移住者は原住日本人に元意を悟られないように「万葉仮名」を使用し、「伝達文」(暗号文)を表記したとも言えます。その逆で、原住日本人が海外移住者の目を眩ますために、「万葉仮名」を使用したとも言えます。・・・・樹冠人の私見)

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Wordsworth - Version2.0.0 (C)1999-2001 濱地 弘樹(HAMACHI Hiroki)