梁塵秘抄『法華経序品』(ほけきょうじょぼん)五首
妙法蓮華経『序品第一』の概説
樹冠人:法華経序品第一は、三つの場面で構成されていますが、第一の場面は「法華経の説法の場所である王舎城の霊鷲山に、たくさんの衆生が参集した」ことを紹介し、第二の場面は「釈尊が無量義処三昧に入り、種々の不思議な現象を現わし」て、釈尊は序品では説法をしませんね。
妙櫻華:「無量義処三昧」とは、仏の無量の教えの根源の法に心を定める三昧のことで、この「三昧」の文字の中に、これから説かれる法華経が、あらゆる教えの基礎・根拠となる究極の教えであることが暗示されているのです。そして、この究極の教えが「法華経」で説かれていくのです。
樹冠人:さて、第一の場面は「法華経の説法の場所である王舎城の霊鷲山に、たくさんの衆生が参集した」ことを紹介します。つまり、「悟り以前の現実の世界」を表現して紹介している場面ですね。
妙櫻華:紹介された衆生の最初は、大阿羅漢たちでした。阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)・摩訶迦葉(まかかしょう)そして舎利弗(しゃりほつ)などの声聞の最高位である阿羅漢の境地を得た万二千人の比丘を代表して二十一人が紹介され、その他にも、学(阿羅漢果を得るために戒定慧の三学を学んでいる声聞衆)や無学(阿羅漢果を得て学ぶべきものが無い声聞衆)の二千人の声聞衆も紹介されます。
樹冠人:そして、釈尊の叔母である摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)や釈尊の出家前の妻で羅睺羅(らごら)の母である耶輸陀羅比丘尼(やしゃだらびくに)とその眷属たち数千人が紹介されますね。
妙櫻華:当然、文殊師利菩薩(もんじゅしゅり)や観世音菩薩(かんぜおん)や得大勢菩薩(とくだいぜい)など八万人の菩薩摩訶薩たちも参集しています。その代表の十八人の名も挙げられています。
樹冠人:そして、娑婆世界の様々な衆生が紹介され、「八人の竜王とその眷属」「四人の緊那羅王とその眷属」「四人の乾闥婆王とその眷属」「四人の阿修羅王とその眷属」「四人の迦楼羅王とその眷属」「阿闍世王とその眷属」などが列座していますね。
妙櫻華:戸田城聖先生は、序品で集まった衆生について、
「舎利弗およびその他の声聞衆が万二千人、菩薩方が八万、耶輸多羅等の眷属が六千人、阿闍世の眷属が何千人、また八番衆の眷属といいますと天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・伽楼羅・緊那羅・摩睺羅伽というような連中が、何万人という眷属を連れてきている。霊鷲山会に、ざっとその数を計算しても、何十万という衆生が集まったことになる。菩薩だけ集まっても八万人。声聞だけ一万二千集まるといってもたいへんです。拡声器もなかった時代に何十万の人を集めて釈尊が講義したと思われますか。法華経の文上からみれば集まったことになっている。これはたいへんな数です。何十万人の人を集めて講義したと。それならウソかと。ウソではない。ではほんとうに集まったのか。何十万の人に拡声器もなくて、いくら仏が大音声を出したからといって講義できましょうか。」
「八年間、それらの人たちが集まっていたというのです。八年間集まっていたら飯をたくだけでもたいへんです。便所なんかどうしたと思いますか。ではウソかというのか。ウソではない。集まったともいえるし、集まらなかったともいえるのです。」と、言われていたそうです。
樹冠人:そして、結論として「その何十万と集まったのは釈尊己心の声聞であり、釈尊己心の菩薩なのです。何千万いたってさしつかえない。」と言われていたそうですね。
妙櫻華:この点について池田大作先生は、「戸田城聖先生は、法華経を、仏法を、人間の現実とかけ離れた架空の話や、観念論にはさせたくなかった。また、絶対にそうではないという確信があった。生命の法であり、己心の法であることを如実に知っておられたのです。」と語られています。
樹冠人:登場人物の紹介の後に、第二の場面である「六瑞」が現れます。釈尊は未曾有の大法である法華経の法門を説法する前に、この瑞相を出現させましたね。
妙櫻華:「六瑞」とは、六種類の瑞相のことで、「此土と他土」の二つの意味があるとされています。釈尊は、この瑞相を現わすことによって、参集した衆生を驚かせました。これは、「これから何が説かれるのか?」との興味が湧いて注目し、聞く耳を持つことができる手法です。
【此土の六瑞】
①説法瑞:法華経の前に無量義経を説いたこと。
②入定瑞:仏が無量義経を説き終わって、無量義処三昧に入り身心動ずることなく結跏趺坐したこと。
③雨華瑞:その時に天から曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華の四種の華が、仏と諸の大衆の上にふりかかること。
④地動瑞:雨華瑞の後、大地が六種に揺れ動いたこと。
⑤衆喜瑞:これを見た一座の諸の大衆が心に歓喜を生じ、合掌して仏を観ること。
⑥放光瑞:仏が三昧に入ったままの姿勢で眉間の白毫より光を放って東方万八千の仏土を照らし出すこと。
【他土の六瑞】
①見六趣瑞:白毫の光によって仏が阿鼻地獄より阿迦尼吨天に至る世界を照らし、そこに六界の衆生が住する様子を一座の大衆が見ること。
②見六諸仏瑞 :六道おのおのの世界に、現在の諸仏がいることを見ること。
③聞諸仏説法瑞:そこにいる諸仏が説く経法を聞くこと。
④見四衆得道瑞:このそれぞれの仏によって諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆がさまざまな修行をして得道する姿を見ること。
⑤見菩薩所行瑞:諸の菩薩摩訶薩が種々の因縁、信解、相貌によって菩薩の道を行ずるのを見ること。
⑥見仏涅槃瑞 :諸仏の般涅槃することを見、また諸仏の般涅槃の後、仏舎利によって七宝の塔を起てる様子を見ること。
樹冠人:そして、最後の第三の場面では、大衆の「釈尊は諸々の不思議な現象をなぜ現したのか?」という驚きと疑問を代表して弥勒菩薩が文殊師利菩薩に対して質問しますね。
妙櫻華:弥勒菩薩は、「慈しみの師」という意味を持つ菩薩で、釈尊が法華経を説くに当たって、キーパーソンの役目を担っています。従地涌出品第十五でも弥勒菩薩が重要な質問をし、釈尊から「よくぞ、このような大事を問うた」と称賛されて、この問いの答えとして如来寿量品第十六という法華経の最重要の法門が説かれるのです。
樹冠人:文殊師利菩薩は、過去世の体験を語り、「かつて日月燈明仏という過去仏が、同じような瑞相を示して法華経を説いた。だから今の釈尊も、きっとこれから法華経を説くだろう」と答えましたね。
妙櫻華:二万もの日月燈明仏がこの世に出現して、最後の日月燈明仏には出家前に八人の子供がいた。この八人の子供も出家して法師となった。最後の日月燈明仏は「無量義の教え」を説き、その後、無量義処三昧に入り、天から様々な散華に供養され、世界は六種類に震動し、如来の眉間からは白毫相の光が放たれ、東方の一万八千の世界を照らした。そして、そこには二十億の菩薩がいて、法を聴きたいと望み、その中には妙光菩薩がいた。
樹冠人:三昧を終わり、「妙法蓮華経」を説いた日月燈明仏は、最後に徳蔵菩薩は浄身という名の仏になると授記して涅槃に入いった。そして、妙光菩薩は日月燈明仏の後を継ぎ「妙法蓮華経」を説いて、日月燈明仏の八人の子供たちも妙光菩薩を師匠として皆仏に成った。また、妙光菩薩には八百人の弟子がおり、その中にいた求名(ぐみょう)という名の弟子が、まさに弥勒菩薩の前身であると文殊師利菩薩は説いたのですね。そして、妙光菩薩は文殊師利菩薩自身であったことも明かしたのですね。
妙櫻華:さらに、文殊師利菩薩は、「かつて名声や利益を求めた求名でさえも善根を積むうちに仏に会い、弥勒菩薩となり、またこの世においても釈迦牟尼佛に会うことが出来て、さらに釈迦牟尼佛の教えを受けて、後の世に弥勒仏となるであろう。」と話して、文殊師利菩薩は、釈迦牟尼佛の眉間から出た白毫相の光は、日月燈明仏の時と同じように、釈迦牟尼佛が「妙法蓮華経」を説こうとしている瑞相であり、一心に合掌して待つように伝えたのです。
樹冠人:まさに、釈尊が重要大事なポイントを説く前には、弥勒菩薩の質問が登場し、法華経の本門である後半の対告衆も弥勒菩薩です。しかし、さらに重要なことは法華経は「全体として、だれのために説かれたのか?」ということを考えなければならないでしょうね。
梁塵秘抄が謳う法華経の世界
著作者:ウィンベル教育研究所 妙櫻華・樹冠人
平成二十五年(2013年)三月作成