梁塵秘抄『法華経序品』(ほけきょうじょぼん)五首
御義口伝【阿若憍陳如の事】
樹冠人:次に、序品第一では、王舎城耆闍崛山(霊鷲山)において、仏を中心に多数の大衆が集まったとあり、その登場人物の名前などが列記されていますね。
妙櫻華:実に多彩かつ膨大な大衆で、列座している大衆それぞれは、全て生命の働きの象徴と考えられ、それぞれの大衆に意義があるようです。
樹冠人:大衆の最初に挙げられている阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)は、参集した万二千の阿羅漢の一人で、釈尊が成道した後、初めて教化した五人の比丘の一人ですね。
妙櫻華:天台大師の法華文句の第一巻には、「憍陳如は姓であり、漢語には火器と翻訳する。婆羅門階級である。その先祖が火に仕えていたという。一族全体に、憍陳如(火器)という姓がつけられたゆえんがここにある。火に二義、二つの働きがある。『照らす』と『焼く』との二つの作用である。照らせば闇が生じないし、焼けば物が生じない。いずれにしても生じないという意味で、不生を姓としているのである。」とあります。
樹冠人:しかし、法華経序品の儀式も、みな釈尊己心の生命に展開された儀式で、阿若憍陳如も同じく釈尊己心の阿若憍陳如なのですね。
妙櫻華:むろん、釈尊の弟子の中に阿若憍陳如という人も実在していたでしょう。日蓮大聖人がお示し論じられた阿若憍陳如は、具体的な一人の人間というよりも、生命論から論じられた生命活動を説明されたのです。
樹冠人:御義口伝の第二阿若憍陳如の事では、「火とは、法性の智火を意味する。『文句』には、火に照と焼と、二つの意義があるというが、『照』は、随縁真如の智を意味し、『焼』は不変真如の理を意味する。したがって、照焼の二字は、本迹二門(照は本門、焼は迹門)を意味している。かくのごとく、火の作用として照焼の二徳を具えるといえども、南無妙法蓮華経に両者とも含まれているものである。」とご指南されていますね。
妙櫻華:このことについては、「今、日蓮およびその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、生死の闇を照らし晴らし、涅槃の智火が明了に現われることである。すなわち、生死即涅槃と開覚することを、文句では、『照は即ち闇生ぜず』といっている。また、妙法を唱え奉ることは、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火が現前することである。すなわち、煩悩即菩提と開覚することを、文句では、『焼は則ち物生ぜず』といっているのである。このようにみていくと、結局、阿若憍陳如とは、われら法華経の行者の、煩悩即菩提、生死即涅槃をあらわしているのである。」とご指南されているのです。
梁塵秘抄が謳う法華経の世界
著作者:ウィンベル教育研究所 妙櫻華・樹冠人
平成二十五年(2013年)四月作成