法華経について


【法華経について】

樹冠人:『法華経』(ほけきょう)は、釈尊が成道後四十二年を経てから八年にわたって霊鷲山(りょうじゅせん)で説かれたとされ、八巻二十八品(「法華経概略図縦版」参照)から構成されている経典で、釈尊の「出世の本懐」(仏が世に出現した究極の本意・目的のこと)の教えですね。

妙櫻華:漢訳されたものは六種類あったと伝わっていますが、現存しているのは「妙法蓮華経」「正法華経」「添品法華経」の三種類です。特に、鳩摩羅什(くまらじゅう・344年~413年または350年~409年)が訳した「妙法蓮華経」が釈尊の教えを正しく伝承する名訳として、最も広く用いられてきました。

樹冠人:日蓮大聖人は太田殿女房御返事で、「月支より漢土へ経論わたす一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ」と、その訳が仏意にかなっていると述べられています。なお、「妙法蓮華経」の注釈書で有名な書籍は、天台大師の「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部があります。

妙櫻華:「妙法蓮華経」の構成は、序品第一から安楽行品第十四までの前半十四品を迹門(迹は本体に対して影の意味)、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までの後半十四品を本門という。迹門の肝心は方便品第二で「諸法実相」(一切法が妙法蓮華経の当体であること)を示し、「理の一念三千」(一念に三千の諸法がそなわることを説いて、一切衆生の成仏を明かした仏法の究極の法門)を説いている。本門の肝心は如来寿量品第十六で釈尊の本地が「五百塵点劫」という久遠にあると示し、「事の一念三千」を説いています。

樹冠人:つまり、衆生の一念(瞬間の生命そのものをさす)に十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)の命がそなわり、その各界にまた十界がそなわって百界となり、百界のそれぞれに存在の仕方を説く十如是(如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究等)がそなわって千如是となり、その各々に三世間(五陰世間・衆生世間・国土世間を指し、因縁によって過去・現在・未来にわたり事物が遷流することを「世」といい、それに差別間隔があるゆえに「間」という)がそなわって三千世間となるということで、結局、「法華経」はこの三千の諸法が人間の一瞬の生命に普遍的にそなわっていることを明かした最重要な経典であったわけですね。「成仏」について世間では、「仏になる」と読んで、来世の浄土で仏に成ると信じている人が多いのは、念仏宗の悪影響が大きいのですかね。

妙櫻華:一般には菩薩が歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう・長年にわたり修行をすること)をして一切の煩悩を断じ尽した結果、ようやく成仏できると認識されている。大乗教でも四十一位・五十一位などの順序を踏んで斬新的に成仏することを説いている。しかし、法華経では「二乗作仏」「悪人成仏」「女人成仏」そして「草木成仏(草木や国土等の非情が成仏すること)」まで説いて、全ての衆生の「即身成仏」を明らかにしました。ちなみに、「妙法は有情」を表し「蓮華は非情」を表しています。実は、「成仏」とは「仏をじょうずる・しょうずる」と読み、本来の意味は「衆生を救っていく仏の命を涌現すること」であった。

妙櫻華:日蓮大聖人の仏法では、妙法の信受によって名字の凡身を動ずることなく、直ちに仏果に至るとする直達正観(歴劫修行によらず、速やかに仏の境地に達すること)の即身成仏を説きます。つまり、真実の成仏とは、凡身を超越した特別の覚者になることではなく、本有無作(本有とは本来常在なるさまをいう。無作とは有作に対する言葉で「つくろわず」を意味する言葉である。)の当体を改めずに究竟の仏と覚知することをいうのです。(「一代聖教大意」参照)

樹冠人:つまり、念仏宗では衆生に仏の命が存在すること自体が有り得ないことで、法華経を「聖道門の難行道」と誹謗しました。また、「即身成仏」を自称する宗派であっても所依の経典にその実義がなく、人師の己義(仏説によらず我見によって立てた教義:「法華取要抄」参照)によって立てた法門であったわけですね。ましてや現代の天台宗・日蓮宗などでは、この「即身成仏」を正しく認識している宗派は皆無で、だから唯一「即身成仏の身で行学に励んでいる人びとが活動する団体」は「創価学会」しか存在しないわけですね。そして、「あなたにも仏の命は存在するのですよ。」と覚醒運動を展開しているのが創価学会員だったのですね。

樹冠人:実は、ウィンベル教育研究所のモットーである「勝利の鐘は、あなた自身が鳴らすのだ!」としているのは、現代社会で闘っている衆生に対して、「成仏」の異名としての現代的表現であったのです。つまり、「あなたは仏の生命を具えた崇高な存在であること」に目覚めてほしい。そして、「仏の生命を満々と湛えて、未来に向かって前進してほしい」との願いが込められたアピールであったのです。

妙櫻華:それでは、「成仏」の真実の姿が明確になったところで、開経である「無量義経」、結経である「観普賢菩薩行法経」を併せて「法華三部経」「法華経十巻」と呼ぶ場合もありますが、「法華経」の説法の流れを全体展望しておきましょう。

妙櫻華:仏の実体を明かした「無量義経」に引き続いて、序品第一で霊鷲山において種々の瑞相があったことを伝えた後、方便品第二で「諸法実相」が説かれ、それを信解(しんげ)した舎利弗や迦葉尊者などの声聞衆が仏から授記(未来に仏になることを許可されること)を受ける。譬喩品第三では「草木成仏」を示し、譬喩品第三から五百弟子受記品第八の間で「法華七喩」のうちの五つの譬が登場する。法師品第十からは「滅後の弘経」について説かれる。そして、見宝塔品第十一から仏の神力によって説法の場所が虚空に移る。ここでは「滅後の弘経」を勧め、提婆達多品第十二では「悪人成仏」「女人成仏」を示し、勧持品第十三では菩薩達が「滅後の弘経」を誓う。

妙櫻華:しかし、本門の従地涌出品第十五に入って、仏は「地涌の菩薩」を呼び出す。そして、地涌の菩薩との師弟の因縁を明かすために久遠の昔から仏として化導してきたことを説くのが如来寿量品第十六である。その後は、分別功徳品第十七から法師功徳品第十九までは弘教による功徳が説かれ、常不軽菩薩品第二十では法華経を弘める人の福徳とその弘教者を誹謗する人の罪を説く、如来神力品第二十一において、仏が法華経の肝要を地涌の菩薩に付属する儀式が展開される。引き続き嘱累品第二十二で地涌の菩薩だけではなく、あらゆる菩薩や諸天らに付属した後、霊鷲山に説法の場所が戻る。それ以後の各品では、薬王菩薩や妙音菩薩などの「振る舞い」を示しながら、化他(衆生を導くこと)について説かれている。

樹冠人:平安朝末期において、日本天台宗は、法華経第一を立てながら。朝題目(法華懺法・午前中は法華経の読誦をする行法)と夕念仏(例時作法・午後は阿弥陀仏を念ずる行法)、そして密教の加持祈祷が確立された時代でもあったのです。日蓮大聖人の「四箇の格言」(しかのかくげん・「建長寺道隆への御状」参照)で有名な「念仏は無間地獄の業」「禅宗は天魔の所為」「真言は亡国の悪法」「律宗は国賊の妄説」との御謹言ですが、「夕念仏」「加持祈祷」が比叡山延暦寺の謗法化を促進した行法であったことは明らかですね。

妙櫻華:「法華経第一」とは、法華経の法師品第十に「薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於いて 法華最も第一なり」、同じく安楽行品第十四に「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於いて、最も其の上に在り。」とあるように、法華経は釈尊一代五十年の説法中、最第一の経典であることを表明しています。

樹冠人:そして、困ったことに「法華経最第二」として、日本天台宗延暦寺の第三代座主の慈覚と第五代座主の智証が法華経と大日経とを比較して、「理同事勝」として「一念三千の法門は大日経にも法華経にも説かれているから理は同じであるが、大日経には印と真言とが詳しく説かれているから事において大日経が勝れている」という台密の邪説の義を立てて大日経第一・法華経第二とし、法華経を下した邪説を広めました。

妙櫻華:また、「法華経最第三」として、弘法大師こと空海が法華経を大日経と比較して法華経を下した邪義を広めました。日蓮大聖人は報恩抄で、前述の邪説に対して「されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり、釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや」と破折され、同様に「されば釈迦如来・天台大師・妙楽大師・伝教大師の御心は一同に大日経等の一切経の中には法華経はすぐれたりという事は分明なり」「仏説まことならば弘法は天魔にあらずや」と、これらの邪説・邪義を破折されています。

樹冠人:広義での「密教」とは、呪術・儀礼・行者の憑依・現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教を指します。インドから中国に伝来したのは雑密経典が翻訳されてからのことで三世紀ごろでした。その後、純密経典が伝えられ唐朝の庇護を受け、国家権力と癒着して隆盛しましたが、まもなく衰退した。日本においても奈良時代に雑密が伝来し、平安時代に最澄・空海によって純密が移入された。天台宗(台密)・真言宗(東密)はそれぞれ固有の展開を見たが、いずれも江戸時代の「寺檀制度」に組み込まれ、ほとんど形骸化して今日に至っていますね。

樹冠人:ところで、「梁塵秘抄」には「法華七喩」が巧みに謳い込まれていますね。「法華七喩」について概説してもらえますか。

妙櫻華:「法華七喩」は「法華経」の勝れている箇所でもありますが、仏が衆生をどのように化導(衆生を教化し、仏道に導くこと:「持妙法華問答抄」参照)してきたかを七つの比喩を利用して説明した箇所です。庶民にとって生活実感のある「比喩」は、印象に残って「口ずさむ歌」にもなります。


【三車火宅の譬】(さんしゃかたく・譬喩品第三)

 ある長者の邸宅が火事になる。火事であることを知らずに、その中で遊んでいる子供達を救い出すために、父である長者が方便として羊車(ようしゃ)・鹿車(ろくしゃ)・牛車(ごしゃ)の三車を示して戸外に誘い出し、子供達が出てきたときには、それら三車に勝る大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えたという説話である。

 この譬えに登場する羊車・鹿車・牛車の三車は、声聞・縁覚・菩薩の三乗を、大白牛車は一仏乗の法華経の教えを譬えている。そして、長者は仏を、子供達は一切衆生を、火宅とは悪見のために迷いの煩悩に災いされて六道輪廻を繰り返している苦悩の娑婆世界を譬えている。

【長者窮子の譬】(ちょうじゃぐうじ・信解品第四)

 譬喩品第三の「三車火宅」の譬を聞いて「開三顕一」(仏の真意は三乗の法を説くことではなく、一切衆生皆成仏道の法である一乗妙法を説くことにある、と明かすこと)の義を領解した四大声聞(須菩提・迦栴延・迦葉・目犍連)が、この長者窮子の譬をもって領解した旨を述べたものである。

 ある長者の息子が、幼くして家出して諸国を流浪した。長者は息子を諸方に捜し回ったが見つからず、ある城にとどまり、そこに住んだ。長者はそこで限りない財宝と大勢の召使に囲まれて暮らしていた。放浪していた息子(窮子)は五十余年の後、職を求めようとして、父のいる城に来たが、余りに立派な長者の姿を見て、父と分からず、恐れて逃げ出してしまう。この様子を見ていた長者は、それが自分の息子であることに気づき、家来を遣わして窮子を連れ戻そうとするが、窮子は殺されるものと思い込み、気絶してしまう。長者は息子の心が卑しくなっていることを知り、風采のあがらない家来を遣わし、窮子は長者の家の掃除夫としてまじめに仕事をするようになる。長者は窮子を次第に家の中に出入りさせるようにし、二十年を経て、長者の財産を管理させるようになる。しかし、窮子はそのような身分になっても門外の草庵に住んで、自分には財産などないと思っていた。やがて、長者の臨終が近づき、親族・国王・大臣を集めて、窮子が自分の息子であることを明かし、全財産を息子に与える。窮子は願ってもいなかった財宝を得て歓喜する。

 この譬の意味は、仏から離れて苦悩に満ちた生活を繰り返している凡夫を、仏は方便をもって導き、ついに衆生が願ってもいなかった成仏の境涯を会得させることを示し、永不成仏とされた二乗(声聞・縁覚)が「無上宝聚 不求自得」(無上の宝聚 求めざるに自ら得たり)と、大歓喜の思いを述べたものである。

【三草二木の譬】(さんそうにもく・薬草喩品第五)

 信解品第四で四大声聞が開三顕一の意味を領解した旨を述べたことに対して、是認・補説のために釈尊が説いた「三草二木」は、実相一味(一乗)の法が機根によって三乗五乗と分かれることを示した譬えである。

 三千大千世界のあらゆる所に草木が生い茂っているが、それらの種類はさまざまである。そして、雲が三千大千世界を覆い、雨となって降りそそぐ。その潤いは、あらゆる草木の根・茎・枝・葉にいきわたり、各々の草木はその種性にしたがって生長し、華を咲かせ菓を結ぶ。このように、生ずる土地も、降りそそぐ雨も同一であるが、それによって生長する草木に上・中・下の薬草、大・小の樹木という差別が生ずると説いた。

 雲が起こって雨が降りそそぐというのは、仏が出現して一切衆生に平等に利益をほどこすことをいう。また同じく、三千大千世界の土地は一切衆生が本然的に具える仏性を指し、草木の種類が千差万別であるのは、衆生の機根に種々の相違があることを意味する。また、この三草とは人天・二乗・蔵教の菩薩にあたり、二木とは通教および別教の菩薩にあたるとされている。(「三世諸仏総勘文教相廃立」参照)

【化城宝処の譬】(けじょうほうしょ・化城喩品第七)

 昔、大勢の人々が五百由旬という遠い道のりを経て、宝処(珍宝がある場所)へ行こうとした。その道中は険しくて歩きにくく、水も草もないところであったため、人々は疲れきってしまった。導師は、人々をあわれに思い、三百由旬を過ぎたところに神通力をもって素晴らしい大城郭を化作した。これを見て歓喜した人々は、その中で休息し、これが目指す宝処であると思い込んだ。導師はこの様子を見て化城を消滅させ、宝処はもうすぐであり、今の大城は、人々を休息させるために仮に作ったものに過ぎないと言って激励し、遂に人々を宝処に至らしめたという説話である。

 このたとえの導師とは仏、化城とは爾前経(法華経以前に説かれた経典)で説かれる小乗の涅槃、宝処とは法華経で説かれる真実の涅槃(成仏)のことである。仏が衆生の機根に合わせて方便の教えを説いて発心させ、次に真実の教えである法華経を説いて衆生を成仏に導くことを譬えたものである。(「御義口伝」参照)

【衣裏繋珠の譬】(えりけいじゅ・五百弟子受記品第八)

 ある貧しい人が親友の家に行き、もてなしを受けて酒に眠ってしまった。その親友は急ぎの公用のため、出かけなければならなくなり、無価の宝珠を熟睡する彼の着物の裏に縫い込んで行った。貧しい男は、それとも知らず、国々を流浪し、貧窮した姿で再び親友と出会った。親友はその姿を見て驚き、宝珠のことを知らせたという説話である。

 衣裏繋珠の譬は、「貧人繋珠の譬」「衣珠の譬」とも呼ばれる。無価の宝珠とは仏性のことで、衣裏とは生命の奥底を意味し、珠を衣裏に縫い込んであるとは衆生の生命にもともと仏性が具わっていることである。また、親友は仏で、貧人は二乗の教えに満足している声聞であり、再び仏に会い真実一乗の教えである法華経を初めて知る説話である。御義口伝には、無価の宝珠とは南無妙法蓮華経の御本尊という智宝であり、衣裏に繋けるとは信受、唱題であると教示されている。(「御義口伝」参照)

【髻中明珠の譬】(けいちゅうめいしゅ・安楽行品第十四)

 転輪聖王が戦いにおいて功績のある者に種々の褒賞を与えてきたが、王の髻の中にある明珠だけは与えないできた。「仏が法華経を説くことは、この久しく守ってきた明珠を今、大功績のある者を見て、与えようとしているようなものである。」と説かれている。

 髻中明珠は、「けちゅうみょうしゅ」「けいちゅうみょうじゅ」とも読み「頂珠の譬」とも呼ばれ、髻は「もとどり」「まげ」のことである。法華経が、これまでに説かれなかった最高の経であることを明かした譬えで、天台大師は、爾前四十余年の権教を説く間、実教を隠してきたことを髻中に譬え、その髻を解くのは開権であり、解いて珠を与えるのは顕実であると解釈している。開権顕実は、「権を開いて実を顕す」と読み、権とは爾前の方便教をいい、実とは真実教である法華経をさす。(「上野殿母御前御返事」参照)

【良医病子の譬】(りょういびょうし・如来寿量品第十六)

 聡明で医薬に通じた良医に百人もの子供がいた。良医が他国に行っている留守に、子供達は他人が勧める毒薬を飲んでしまい、地にころげまわって苦しんでいた。そこに父の良医が帰って来て、直ちに良薬を調合して与えた。本心を失っていない者は飲んですぐに治ったが、毒気のために本心を失った者は良薬をみても、疑って飲もうとしなかった。そこで良医は方便を設けて「是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし」と言い残して、他国に行き、使いを遣わして「父は死んだ」と伝えさせた。本心を失っていた子供達は父の死を聞いて嘆き悲しみ、毒気からさめて本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病気を治すことができた。これを聞いて、父は喜んで帰って来たという。

 この譬を説き終わった釈尊は、良医の虚妄の罪をだれも責めないであろうとし、自分もまた良医のように方便力によって涅槃を現ずるが、実は常住しているのであると説き明かした。良医は、「ろうい」とも読み、「譬如良医」「良薬病子」「良医治子」とも呼ばれる。

 文上からみれば良医とは五百塵点劫・久遠実成の釈尊であり、病子とは声聞・縁覚・菩薩をさし、父が帰って来たとは釈尊のインド応誕のことをいう。文底の意では、良医は久遠元初の自受用身即末法の御本仏・日蓮大聖人であり、良薬とは三大秘法の南無妙法蓮華経であり、病子とは末法の衆生をさし、本心を失う者とは、謗法を犯す者であり、本心を失わずにいた者とは、久遠元初の下種を忘れずに、広宣流布を実現していく者である。また、御義口伝には「飲他毒薬とは、念仏・禅・真言の謗法の毒薬のことである」と説かれている。


妙櫻華:釈尊が五十年間に説いた一切教の経典は、衆生の「機根」(衆生の仏法を受け入れる能力や性質のこと、また、仏の説法を聞いて受け入れ、それに反応する衆生の可能性や能力をいう)にあわせて説かれたもので、法華経以外は「方便」の教えとなります。まさに、「正直捨方便」(「方便品第二」参照)とある如く、法華経が説かれた以後は法華経以外の方便の教えを捨てなければ、本当の「成仏」は達成されないのです。

樹冠人:先輩方からよく聞いた譬えですが、家の建築のたとえ話が印象的でした。そのたとえ話とは、家を建築する場合に、丹念に組み上げられた足場であるが、家が完成した暁にはその足場は解体されて取り除くわけです。つまり、仏法の本義から言うと、奈良・京都・鎌倉などの観光地化した寺院仏閣は、荘厳に飾り上げた足場が残っているわけで、それを観光客の方々が見学していることになりますね。

樹冠人:それではここで、法華経には正像末に「三種の法華経」が存在することを説明しておきましょう。正法時代の釈尊の二十八品の法華経の他に、像法時代の正師である天台大師が法華経の理に基づいて説いた「摩訶止観」も像法時代の法華経と呼びます。そして、末法においては、日蓮大聖人が示された釈尊の法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の「南無妙法蓮華経」こそ末法の一切衆生を成仏させる大法であり、末法時代の法華経となります。

妙櫻華:日蓮大聖人は、諸宗が天台の教えに依拠していることを主張した伝教大師の「依憑天台集」を、「大師第一の秘書なり」(「報恩抄」参照)と評されています。そして、「日本に仏法わたりて・すでに七百余年・但伝教大師・一人計り法華経をよめり」(「開目抄」参照)とし、「法華経の実義は伝教大師最澄によってはじめてわが国に弘通された」と撰時抄で述べられています。また、日蓮大聖人は、伝教大師は南都六宗に憎まれたという事実によって、「法華経の行者」(「如説修行抄」参照)であるとした上で、釈尊・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人と連なる「三国四師」(「顕仏未来記」参照)という法華経流布の系譜を明らかにされています。

樹冠人:ゆえに、『梁塵秘抄』の法文歌の法華経の各歌詞においては、①釈尊の法華経を文上で理解して作詩したものか? ②釈尊の法華経を天台大師の解釈で作詩したものか? ③釈尊の法華経を伝教大師の解釈で作詩したものか?、などの追究課題が存在します。実は、今回の企画には、この疑問を解決する意図もあります。

妙櫻華:このことに関連して、「三時の弘教」について触れておきましょう。釈尊滅後、正法・像法・末法の三時に、論師・人師が出現し、その時代の衆生の機根に応じた法を説き、一切衆生を救うという順序を明かしたものです。正法一千年の衆生の機には、付法蔵(仏が弟子に法蔵を付嘱すること:「観心本尊抄」参照)の二十四人や世親(天親)等が、小乗教や権大乗教を弘め、像法一千年の衆生の機には、天台大師や伝教大師等が出現して、法華経迹門・理の一念三千の法門を弘めました。

樹冠人:ちなみに、付法蔵の二十四人とは、摩訶迦葉(迦葉尊者)・阿難(阿難陀)・商那和修・優婆毱多(優婆優多)・提多迦・弥遮迦・仏陀難提・仏陀密多(仏駄蜜多)・脇比丘・富那奢(富那夜奢)・馬鳴(馬鳴菩薩)・毘羅(迦毘摩羅)・竜樹(竜樹菩薩)・迦那提婆(提婆菩薩)・羅睺羅・僧伽難提・僧伽耶舎・鳩摩羅駄・闍夜那・婆修槃陀(盤陀)・摩奴羅・鶴勒夜那(鶴勒夜奢)・師子の二十三人に、阿難から傍出した末田地(末田堤)を入れて付法蔵の二十四人とし、さらに釈尊を加えて二十五人と呼ぶ場合があります。

妙櫻華:そして、末法は「末法万年の外・尽未来際」つまり永遠の時を示しています。末法の衆生の救済を法華経の理想としますが、その理想を実現されたのが、日蓮大聖人であったのです。末法には、日蓮大聖人が出現され、法華経本門寿量文底・事の一念三千の法門である「南無妙法蓮華経」を弘められたのです。

樹冠人:『法華経』は、あらゆる人々の生命にそなわる「仏性」(仏の本性)を徹底的に洞察した経典であった。そして、その仏性を万人に開いて、万人の成仏を実現していくことを願う仏意(仏の意図)と如来行(仏の振る舞い)が明示された経典でもあった。さらに、この如来行を受け継ぐことこそが「菩薩」の真の使命であることを強調し、その実践を讃嘆している経典でもあったのですね。

妙櫻華:つまり、『梁塵秘抄』の巻二に展開される各品の歌詞に、その精神がうまく謳い込まれているのです。平安末期から鎌倉時代初期の庶民が、「今様舞」を観ながら歓喜する姿が目に浮かぶようです。後白河法皇は、この今様を朝から晩まで謳い続けたといわれていますが、まさに、「人を敬う振る舞いの実践」を広範に広げ実現していくことこそ、「仏の本懐」であり、法華経の真価であり、真の法華経流布であると確信します。


 以上



        

 参考のために、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」(左上バナーを参照、明治期以降の書籍)と早稲田大学図書館の「古典籍総合データベース」(右上バナーを参照、江戸期の書籍)のリンクを貼ってあります。これらの図書館で書籍がPDFファイルで読むことができます。


  梁塵秘抄が謳う法華経の世界

       2012年4月2日 ウィンベル教育研究所 妙櫻華・樹冠人