日蓮大聖人御書について


 今回から紹介する「創価の源流探訪」においては、樹冠人が『日蓮大聖人御書』等について実施してきた研究姿勢や参照書籍や参照資料を掲載する予定である。

 また、今回紹介する日蓮大聖人の『御書』は、江戸期に出版されたものを中心に紹介するが、利点としては明治期などに「火災などで焼失」した「御書」の正筆に近い状態を読むことが出来ることである。しかし、欠点としては「誤字脱字」が多い点もある。

 『御書』の出版事情については、江戸期の日興門流からの出版は要法寺版の『御義口伝』のみで、『日蓮大聖人御書全集』の「発刊の辞」にもある通り、「御書全集が皆無に近い現状であり、やむを得ず巷間流布されている御書に拠っていた」のが実情で、日興門流の門徒が『御書』を一般的に読むことが出来るまでには昭和期の創価学会が関与した『日蓮大聖人御書全集』等が出版されるまで待たなければならなかった。

 実は、昭和期の同時期に発刊され日興門流の日亨上人が関わった『日蓮大聖人御書全集』と『昭和定本日蓮聖人遺文』には、同じ源流が存在していた。それは、智英日明が収集書写した『新撰祖書』を底本として小川泰堂(文化十一年・1814〜明治十一年・1878)が編纂した『高祖遺文録』と、これをさらに発展させ完成度の高い御書として発刊させた霊艮閣版『日蓮聖人御遺文』である。(小林正博『日蓮文章の研究』より)

 そして、他門流からの出版は大聖人の御伝記を含めて江戸期・明治期には盛んに出版され、門徒に限らず知識層に広く読む機会を提供した貢献は評価すべきであると思う。しかし、各門流が、江戸時代・明治時代に著述した書籍により過度な着色が行われた結果、歪んだ日蓮伝承が形成されてしまった。このような日蓮大聖人の虚像を炙り出し、出来るだけ真実像に近づける努力は惜しまないつもりである。

 ちなみに、狩野派の祖である狩野正信(永享六年・1434〜享禄三年・1530)・元信(文明八年・1476〜永禄二年・1559)や桃山時代を代表する長谷川等伯(天文八年・1539〜慶長十五年・1610)や「琳派」と呼ばれる本阿弥光悦・俵屋宗達(生没年不詳)・尾形光琳(万治元年・1658〜享保元年・1716)など室町時代後期から江戸時代の幕開けを飾った京都の近世芸術家たちが「法華行者」だったことは意外にも知られていない。

 彼らのような芸術家だけでなく、京都の町衆の多くが日蓮宗徒とも法華宗徒とも呼ばれた「法華行者」だったこともあまり知られていない。京都に法華行者が増加しはじめたのは14世紀の初頭のころ、日興門流の日目上人(文応元年・1260〜元弘三年・正慶二年・1333)が天奏のために上洛する途中に死去したので、随伴していた弟子の日尊(文永二年・1265〜興国六年・康永四年・1345)が遺志を継ぎ後醍醐天皇(正応元年・1288〜延元四年・1339)に天奏し、寺領を賜り上行院(後の要法寺)を建立して、京都広布の基盤を築いた。

 また、日興門流では日仙・日順・日代・日助・日妙など日興代奏として諌暁活動を継承し、奏上場所は鎌倉幕府壊滅後は京都が中心となり、武家や公家に対して、日興申状に『立正安国論』を添えて「日蓮聖人弟子日興」「日蓮聖人弟子日興遺弟」の名で代奏した。

 特筆すべきは、前述の通り日興門流においては「日蓮聖人」を前面に出して闘ったが、五老僧門流では「天台沙門」「天台法華宗沙門」の名で奏上した違いがあり、これが日興上人と他の五老僧との義絶理由の一つとなったことである。

 他門流では日朗(寛元三年・1245〜元応二年・1320)の甥で弟子にあたる日像(文永六年・1269〜興国三年・康永元年・1342)が京都に妙顕寺を建立し布教活動を行い、15世紀半ばになると「鍋かぶり日親」と呼ばれた日親(応永十四年・1407〜長享二年・1488)が登場し本法寺を建立し、町衆のみならず貴族の間にも信徒が増え、江戸時代を迎える前には「二十一ケ本山」と総称された本山が洛中に甍を競うほど隆盛した。16世紀の終り頃には上京の「法華行者」の数は人口の六割をも占めていたとまで言われていた。

 法華信仰で結びついた京都の町衆は、やがて華やかな近世文化を創り出したのである。祇園祭の山鉾芸術も特徴的であるが、京都において長い歴史を持つ法華経信仰の伝統が集約された風習のひとつとして、「妙法」(今でも上京の民衆が守っている)が飾る「京都送り火」が京都の鎮魂の儀式として定着しているのである。ちなみに、「大文字焼」は奈良の名称ですから京都人は「京都送り火」の名称にはこだわりがあるので、京都で「大文字焼」と表現すると嫌な顔をされますのでご注意あれ。

 また、樹冠人が江戸期の『御書』等を蒐集し始めたきっかけも江戸期の『御義口伝』を入手してからであるが、樹冠人は文献学を究めることを目的として「創価の源流探訪」を発表するものではないので、文献批判の泥沼には陥らないように配慮する。

 そして、東洋哲学研究所主任研究員の小林正博氏の解読代表作となった『日蓮大聖人御伝記』や研究論文の御努力には敬服し、あらゆる場面で拝受していることを明記しておく。

 なお、日蓮大聖人の御生涯については、創価学会HPに詳しく掲載されているので参照されたい。

 最後に、戸田城聖先生の『御書の拝読について』を確認しておく。

 『日寛上人の御抄を拝見するのに、それが、三重秘伝抄にせよ、文底秘沈抄にせよ、末法相応抄にせよ、当流行事抄にせよ、観心本尊抄の文段にせよ、みな五重の相対を明らかにし、久遠元初の自受用身即日蓮大聖人なることを明かそうとしていられる。天台と、蓮祖聖人との仏教観の相違を明らかにし、種熟脱(しゅじゅくだつ)も強く論ぜられ、末法適時の仏法は、蓮祖聖人の仏法であらねばならぬと強調せられている。
 ゆえに、一品二半を論ずるにあたっては、天台は略開近顕遠(りゃくかいごんけんのん)と動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を、一品二半のなかにいれていられるのに、大聖人は略開近顕遠を除いて、動執生疑からの一品二半をお説きになっていられることを、強く説明せられ、かつ第三の法門についても、天台の第一第二を当門の第一とせられ、天台の第三法門を第二と呼び、蓮祖大聖人が新しくお唱え遊ばされた下種の第三法門を、強く主張せられている。
 これは、大聖人の御書を大観するときに、このように配列せられているゆえであって、日寛上人ほど正しく精密に、しかも忠実に、大聖人の御書をお読みになった方は、いないのである。このゆえに、未来の末弟にこの文をとどめるとか、広宣流布の日のために、これを書きおくとの御文書が、諸所に拝読せられるのである。
 いま広宣流布はなはだ近きにありと、吾人は断ずるのであるが、この時にあたって、われわれが御書を拝読するには、いかようにして、拝読するべきであろうか。その拝読の指導を、日寛上人の読み方に受けなければならないと思う。また御書を教えるものも、その心がまえをもって指導すべきであろう。初代の会長も、常に口グセのごとくおおせられたのは教授主義ではなく、指導主義であった。われらは初代会長の指導主義を遵奉(じゅんぽう)し、日寛上人の御書拝読の法に指導をうけ、後進に対しても、またまた、そのごとく指導しなければならぬ。
 御書をあらためて見なおしてみよ! お若きときの御書には、天台の学説を強く用いられているのもある。これは、権実相対をもって、お説き遊ばされているのである。ある御書には、内外(ないげ)、大小(だいしょう)、権実(ごんじつ)、本迹(ほんじゃく)、種脱(しゅだつ)相対を、完全におしたためあり、ある御書には、権実、本迹だけのものもあり、また、ある御書には、大小、権実、種脱とあるものもあり、ある御書には、久遠元初の自受用身即日蓮大聖人とお説きになっているのもあり、また第一、第二、第三の教相をもって説かれ、また種熟脱をもって説かれ、また下種仏法の根底たる三大秘法を説かれているものもある。三大秘法においても、三種ともにこれを説かれているもの、題目のみを説かれているもの、題目と本尊を説かれたもの等々がある。また五重の相対を能化の釈尊を用いて、これをまた六種に説かれている場合もある。すなわち蔵通別(ぞうつうべつ)の釈尊、文上本迹二門の釈尊、文底下種の釈尊と分けて説かれていることに、気をつけねばならぬ。  この御書は、いかなることを大聖人が説かれているかということを、たえず、以上にのべた分類に注意して拝読しなければ、無意味のものとなる。
 しこうして、以上は、教学的立場に立った場合であるが、いずれも信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない。かつまた、民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない。
 われら凡愚(ぼんぐ)といえども、絶対なる大聖人の確信と情熱とにふるるとき、信心の火が、いやがうえにも、燃えあがるのを、感ぜざるをえないのである。』

《戸田城聖先生『巻頭言集』「御書の拝読について」(昭和三十年一月一日)より》


【参照書籍】

 (1)「日蓮大聖人御書全集」(創価学会版)
 (2)「妙法蓮華経並開結」(創価学会版)
 (3)「仏教哲学大辞典」(創価学会教学部編 池田大作監修)
 (4)「富士宗学要集」(創価学会版 堀日享編纂)
 (5)「昭和定本日蓮聖人遺文」(立正大学日蓮教学研究所編)
 (6)「日蓮大聖人御傳記」(江戸期筆写)
 (7)「日蓮大聖人御伝記」(小林正博 解読・解説)
 (8)「貞観政要」(江戸期)

【参照資料】(東洋哲学研究所主任研究員小林正博論文)

 その1
 (1)日蓮事跡初見年表
 (2)日蓮文書の研究
 (3)初期日蓮教団の門下群像
 (4)江戸期富士門流法難の背景
 (5)寛政法難と大石寺
 (6)日蓮に見る安穏思想
 (7)法主絶対論の形成とその批判

 その2
 (1)『日蓮大聖人御伝記』(延宝九年・一六八一年刊行)の考察
 (2)日蓮真蹟の解読上の問題点
 (3)日蓮の真蹟:その解読をめぐって
 (4)日蓮文書の研究 : 録外御書をめぐって



       2015年11月18日 ウィンベル教育研究所 池田樹冠人 識