『吉田松陰』(よしだしょういん)



タイトル:吉田松陰(よしだしょういん)
編者:徳冨猪一郎(徳冨蘇峰)
出版書写事項:(上部写真)明治二十八年(1895年)十一月二十三日 七版発行
(下部写真)昭和十七年(1942年)七月二十五日 改版二十八版
形態:一巻全一冊 (変形A5版)
発行者:(上部写真)垣田乙三 (下部写真)株式会社明治書院
印刷所:(上部写真)株式会社秀英舎 (下部写真)株式会社明章印刷所
発行所:(上部写真)民友社 (下部写真)株式会社明治書院
目録番号:win-0020007
『吉田松陰』の解説
明治二十五年春、徳冨猪一郎こと徳冨蘇峰(文久三年・1863~昭和三十二年・1957)は「本郷会館」にて「吉田松陰」と題して講演した。そして、民友社発行の「国民之友」に「吉田松陰」と題して全十回の連載を掲出した。更にそれを編集して、今回紹介する「吉田松陰」として発刊した。まさに、吉田松陰のまとまった評伝の魁である。
また、「吉田松陰の『幽室文稿』『吉田松陰傳』の事実を抽出して、その他参考文献は枚挙に遑(いとま)あらず」と諸言で述べている。そして、松陰の妹婿の楫取男爵とその親友の高原淳次郎、松陰の後嗣の吉田庫三が助言・資料提供をしている。なお、吉田松陰(文政十三年・1830~安政六年・1859)については、「幽囚録」で紹介したので省略する。
この書籍の著者である徳冨蘇峰は、文久三年(1863年)に生まれ、昭和三十二年(1957年)に長寿を全うして永眠した歴史家でありジャーナリストである。まさに、江戸・明治・大正・昭和の四時代を駆け抜けた巨星である。頼山陽(らいさんよう・安永九年・1780~天保三年・1832)に触発されて百巻にも上る『近世日本国民史』を創出したことでも有名である。号は蘇峰学人、山王草主人、頑蘇老人などを多用した。実弟は小説『不如帰』で有名な徳冨蘆花(とくとみろか・明治元年・1868~昭和二年・1927)である。
今回は、明治期(上部写真)と昭和戦前期(下部写真)の二冊をまとめて紹介する。なぜかと言えば、著者の思考転換を探る材料として重要な書籍だからである。
まず、明治期(上部写真)の目録を掲載しておく。
第一 誰ぞ 吉田松陰とは、第二 家庭の兄、第三 徳川制度
第四 鎖国的政策、第五 天保時代、第六 水野越前守の改革
第七 長防二州、第八 旅行、第九 象山と松陰
第十 攘夷、第十一 尊王、第十二 幕政の変局、第十三 松下村塾
第十四 打撃的運動、第十五 革命家としての松陰、第十六 最後
第十七 松陰とマヂニー、第十八 家庭における松陰、
第十九 人物、第二十 事業と教訓
これが、昭和戦前期(下部写真)になると、
緒論一~四
誰ぞ 吉田松陰とは、家庭の兄、徳川制度、鎖国的政策、
天保時代、水野越前守の改革、長防二州、修養時代、
鎮西旅行、亡命、東西上下、韜晦の失敗、象山と松陰、
攘夷、尊王、幕政の変局、松下村塾、打撃的運動、最後、
松陰と国体論、松陰と帝国主義、松陰と武士道
交友に於ける松陰、書生としての松陰、家庭に於ける松陰、
畫龍點睛(がりゅうてんせい)、緒論一~十
以上が、国威高揚の先導ジャーナリストを気取っていた蘇峰の変説(変節)を公言している対比表である。
明治期(上部写真)の「第十五 革命家としての松陰」が削り取られ、昭和戦前期(下部写真)では「松陰と国体論」「松陰と帝国主義」「松陰と武士道」が付加されている(明治四十一年から改版されている)。
そして、昭和九年の序を読むと、国家主義的傾向も強くなり、帝国主義の絶頂期で乃木大将(乃木希典)の影響が大であったようでもあるが、明治維新に対する国民意識の変化に即応したもので、社会情勢を反映させる意図が手に取るようにわかる。
また、昭和戦前期の普及版(下部写真)を手にとって見ると、長期保存に耐えられぬほど、紙の材質は悪く劣化して、あたかも蘇峰晩年の姿そのものである。
所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
平成二十二年(2010年)十月作成