平和と友愛の讃歌
   世界に教育の光を
   山本伸一

                    二〇〇三年二月十九日 聖教新聞紙上に発表

厳粛なる道!
それは
教育の道である。
それは
正しき人間の道である。

そして
それは
人間にとって
最も大切な
学問と人格の
向上の道である。

君よ
無価値な人生を送るな!
最も価値ある
教育を身につけた
無上の人生を
晴れ晴れと生き抜き
勝ちゆくのだ!

人間が人間として
最高に目覚めるのは
教育しかない。
教育は
知識の拡大と深化とともに
健全なる身体の鍛錬であり
そして
知性と情熱と
人格の完成への一歩である。

それは
学歴のための教育ではない。
出世のための教育でもない。
傲慢になるための
教育でもない。
見栄の教育でもない。

真正の人間を創りゆく
謙虚にして遠大なる
生命の道を修得するための
教育である。

アメリカ・ルネサンスの哲人
エマソンは語った。
「輝かしい
 広大な成果を期する
 世界の主要な事業は、
 人間の薫陶ということに
 あります」

教育は
知識をポンプとして
智慧の泉を
汲み出す力である。

そして常に
瑞々しい向上心をもって
知力と体力と精神力を
磨き鍛えゆく場なのである。

「艱難に勝る教育なし」
私が
十代の時から好きな
ギリシャの箴言であった。

その教育は
人格を磨くものだ。
人のために
尽くすものだ。
いな
人のために
犠牲になっていくものだ。

平和のために
戦うものだ。
いな
平和のために
自らを犠牲にして
戦闘していくものだ。
それが
教育の皇帝だ。

願わくは
君よ
今までの出世主義の教育に
溺れるな!

そのような集団から
もっと高い自由を
求めゆけ!
人のために
平和のために
深い人生のために!

政治的権力に
繋がれるな!
常に
見苦しい政治の世界から
夢に見た
誰人も自由にして伸び伸びと
生き抜いていける
新しき世紀を
創造しゆくのだ。

そのために
良き伴侶として
真の教育を持ちたる人と
連動しながら
賢明にして勇敢に
断固として
暗き権力の魔性と
戦いゆくのだ。

教育には
正義と邪悪の争いに勝ちゆく
満ち足りた
無数の智慧の弾丸が
あることを忘るるな!
険悪な悪人どもに対して
毅然と
立ち上がっていくところに
教育の本義がある。

創価教育の父
牧口常三郎先生は言われた。
「利害の打算に目がくらんで
善悪の識別のできないものに
教育者の資格はない。
その識別ができていながら
その実現力のないものは
教育者の価値はない。
教育者はあくまで
善悪の判断者であり
その実行勇者で
なければならぬ」

狡賢い出世主義の
似非学者になるな!
それは
教育ではなくして
教育を盗んで
人々を下に見
自己満足の
魔性の正体と
なってゆくからだ。

オランダの人文主義者
エラスムスは
「生徒の育成よりも
 報酬を最も優先させている」
不正な学者を
容赦なく呵責した。

あの獣のように
ただ自身の名誉のために
地面を這いずり回る姿を
見るがいい。
自分は
俳優のように思っているが
実に愚かだ。

ある哲学者いわく
「それは
 目を背けたくなる
 反っくり返った
 野蛮人なのだ」
「いや
 いつか必ず倒れゆく
 荒れ狂う馬なのだ」

ある青年が
厳しく訴えた。
「私たちは
 あの教育者の
 不潔な振る舞いの教育は
 認めることはできない。
 それは何たることか!
 道化師か
 望みを絶たれた
 生ける屍の仕草だ。
 あんな
 砂漠から這い上がった
 地獄のごとき声は
 聞きたくない」と。

我々の欲するのは
天上の声だ。
善良なる人々の歩みに
歩調を合わせる声だ。
そしてまた
心臓にまで達しゆく
鋭い明確なる
理性の教育だ。

そして
その講義の流れは
高尚であり
理知深く
峻厳の中にも
学生を思う
大慈悲の魂の光が
輝いていることを望む。

素敵な
目が覚めるような声の
教育であってほしい。
愛情豊かな
妙なる深き
英知の響きが欲しいのだ。

偉大にして不思議なる
教師の
武者震いするほどの
真剣な態度が欲しいのだ。

そこにのみ
師の慈愛を
感じることができるからだ。
ここにこそ
師弟不二の
未来への誓いが
深まっていくのだ。

尊大ぶった学識が何だ!
鼻にかけた学歴が何だ!
若き日の探求の心に
向学の炎を灯し
より大いなる世界に
共に目を開いて
学生たちへの
贈り物とするのが
道理ではないか!

民衆教育に献身した
ロシアの大文豪
トルストイは喝破した。
「思い上がっている人間は
 つねに視野が狭い」

学生があっての
教員だ。
教員あっての
学生ではない。
未来洋々たる
求道の学生を
過去に縛られた
惰性の教員が
見下すならば
それは
独りよがりの
哀れなる学識だ。

学生も 教員も
互いに真摯に
平和と文化の
人間世紀の学識を求め
さらに前進しゆく
探求の同志であるはずだ。

ある哲学者いわく
「わが子以上に
 学生を大切にせよ!
 わが子以上に
 師弟の道は
 尊く深いことを知れ!」

教育は
人間と人間の
友愛の魂の交流である。

そこにこそ
新しき社会
文化の社会
平和の社会
人間共和の社会
価値創造の社会
そして
平和共生の社会へ
進歩と発展が
成し遂げられるのだ。

我らの陽が
輝いている。
穏やかな微風が
我らを包む。
我らの
勉学の朝が来た。
頬を紅潮させながら
多くの学友が
急ぎ足で
わが校舎に向かう。

幾多の国々から
学び来った
深い友情の友らと共に
私たちは
学問の王座に座る。
栄光の人生のために
今日も学ぶ。
勝利の歴史のために学ぶ。
勝利の歴史のために学ぶ。
人類の
平和と幸福のために
我らは学ぶ。

緑の丘に高く聳える
我らの学舎!
彼方に富士を仰ぎつつ
揺るぎなき
不動の自分自身を
築きゆくのだ。

アメリカの大教育者
ジョン・デューイは論じた。
「教育の目的----------
 それは
 人間が自らの一切の力を
 発揮できるようにする
 ことだ」

さらにまた
アメリカ創価大学に立つ
マハトマ・ガンジーの像も
我らに語りかけている。
「真の教育は
 自己の最善のものを
 導き出すことにある」

たゆまぬ
自身の開拓なき人生は
やがて空転して敗北する。
今 若き我らは
立ち上がった。

新たな世紀を迎え
真剣に
学問の王者になるために
勇敢に歩き出したのだ。
そこには
明確な真理と
明確な学識が輝いている。

青年は
国の宝である。
いな 人類の宝である。
青年は
時代の建設の宝である。

青年は
人間社会に
生き抜く勇気を与える魂だ。
無限に価値を創りゆく
創造力の塊だ。

青年を大切にし
伸ばした団体が
必ず勝っている。
一国もまたそうである。

多くの
人生の観衆が
ただ平凡に
生きゆくのか。
幾多の人々が
仕事と金銭の世界に
左右される。

地球は
楽しき天地なのか。
それとも
悲惨な地上なのか。
汚辱と暴力の
歴史なのか。

滑稽な化かし合いの
人間社会なのか。
些細な誤りで
人を殺したり
傲慢になって
善人を侮辱するなど
愚かな
迷い込んだ一日一日が
惨めだ。

名誉ある
人間の指針を教えるのは
教育だ。
自分を
無価値にするか
価値ある人材にするかも
教育だ。

トルストイは言った。
「教育の基礎は----------
 宗教的な教え、
 言い換えれば、
 人生の意義と使命を
 明らかにすることである。」

自己陶酔の
呪縛の人生になるか。
宿業から解き放たれて
友情を深め
明白なる真理の世界を
見つめながら
我々の理想の社会を
建設していく力が
教育者である。

嘘偽りの
悲しき日々より
真実の流を断ち切る者と
戦い
真実の人間の深き価値をば
会得するのが教育だ。

スイスの大教育家
ペスタロッチは叫んだ。
「すべての悪に抗し、
 すべての善に組する
 心において勇敢に、
 その精神において力強く、
 一つの情と、一つの魂に
 団結せよ」

教育は
幸福の道だ。
教育は
平和の道だ。
教育は
正義の道だ。
そして教育は

勝利の道だ。

悔恨の日々をば
充実の日々へと転じて
新しき尊極の自身の
人生の博士論文を
綴りゆく歩みだ。
そして
一人も残らず
幸福への光を
放ちゆくのだ。

「教育立国」!
これが
目指すべき
理想の国家だ。

教育こそ
人間が人間らしく
平和と文化と人類連帯の
最極の金の道を創りゆく
根幹である。

人材を創る。
これが
教育だ。
その人材が
平和を創る。
時代を創る。

教育は
人間を人間として
平和と幸福へ導く
唯一の道だ。

「教育の世紀」!
それは
「人間の世紀」である。
さらに
「平和と幸福の世紀」だ。
そして
「人類の連帯の世紀」
なのである。

              二〇〇三年二月十四日

                     世界桂冠詩人


   エマソンの言葉は斉藤光訳。
   エラスムスの言葉は中城進訳。
   トルストイの言葉は小沼文彦訳。
   ガンジーの言葉は古賀勝郎訳。
   ペスタロッチの言葉は四本忠俊訳。
   一部、現代表記。