草の葉に寄せる   池田大作

『草の葉』
 なんとみずみずしい、逞しき内容をはらんだ題名であろうか。そこに、青春がある、自然がある。そして平等の対話がある。・・・・・

 私が、この一冊を神田のさる書店で買い求めたのは、二十三歳の頃と記憶しているところをみると、発行直後のことではなかったらしい。ともかく買いたくて買った本だった。上質の和紙に印刷され、なかなか立派で王者の風格があった。定価五五〇円を支払う時、私は財布が急に軽くなるのが、一瞬、気にかかったことを憶えている。いまなら二、三千円はする本であろう。思いもかけぬ衝撃は、その後に待っていた。

 冒頭の「人の自主をわたしは歌ふ」という近代の人間宣言は、当時の私には強烈であった。

 人の自主をわたしは歌ふ、一人の素朴な、個の人間を、が、それにもかかはらず発言する、”民主的”といふ言葉を、”大衆と一団になって”といふ言葉を。生理学に関しては頭のてつぺんから足の爪先に至るまで、わたしは歌ふ。人相だけが、頭脳だけが、”詩神”にとつて価値あるものではない。敢えて言へば完全な”人体”こそ遥かにより価値があるのだ。”女性”を”男性”と区別をつけずにわたしは歌ふ。(旧訳)

 私には命の讃歌とも響いた。ここには過去の亡霊はない。現在から未来への燦々たる眺望が、詩人の眼に映っているだけだ。それはアメリカという新世界の誕生と、新世紀の到来を予言したものであろう。旧世界の堅牢な、重い、ヨーロッパ文明との潔よい訣別の辞でもあったのである。

 ウオルト・ホイットマンは、人種的偏見を砕き、階級の壁をうち破っていった。そして、この世で風通しの悪いもの一切を憎み、未来の建設に汗をながす人びとの美しさを歌った。

 彼は自分自身を最も真っ先に歌った。・・・・・一八五五年の初版本の巻頭の長詩「わたし自身の歌」がそれである。

 富田砕花訳の一冊には、幸いにして、この長詩の完訳がのっている。

 わたしはわたし自身を称揚し、またわたし自身をうたふ、そこでわたしが身に着けるところのものは君にも着けさせる、何故ならわたしに属する一切の微分子は同様に君にも属するのだから。(旧訳)

 この詩をたどって行くと、中程に彼の人間像が鮮明にうかんでくる。

 ウオルト・ホイットマン、一個の宇宙人、正真正銘のマンハッタン子、騒動好きで、肥り肉で、肉感的で、よく食ひ、よく飲み、よく種づけるもの、メソメソ屋ではなく、男たちや女たちのうへにはだかるものでもなければ、彼らから超然と離れてゐるものでもない。無作法者以上に謙遜なものでもない。

 このような詩人の眼には、新世界に躍動するあらゆる森羅万象が、躍動するままに映った。彼は新世紀のいそがしい詩人であった。・・・・・山や河や海を歌い、原野や都会の一隅まで歌わねばならず、人間となると老若男女を問わず、農夫や鉱夫や労働者や、水夫や奴隷や娼婦まで歌いあげていった。さらに、暗殺された大統領や、挫折した革命家や、苦闘する開拓者や、戦争で傷ついたものや、夫を失った妻、わが子を失った母をも慰め、勇気づけていったのである。そして、船や機械や摩天楼まで歌わなければ承知できなかった。

 一個の宇宙人は、曇りない愛の衝動を信じて、自由と平等とを、民衆に頒ち与えるために、十九世紀のアメリカで懸命に歌いつづけて、この世を終わったのである。

 敗戦後の占領下にあって・・・・・一人の貧しい青年であった当時の私は、この詩集とのめぐり合いを、いまは懐しく感謝している。私は、その頃の騒然たる灰色の風景のなかで、この書によって、未来を展望する術(すべ)を知った時、感動は愛着に変った。私は好きな詩をいくつも暗誦し、深夜家路をたどる時など、思わず小さい声で朗誦しさえした。ある時は、疲れた体を、神宮外苑の芝生の上に投げ出し、手にしたこの詩集に読み耽った秋の日もあった。・・・・・いまも、この本のなかに、黄ばんだ銀杏の葉が三枚はさまれている。

『草の葉』は私の青春とともにあった。いや、この詩集に青春があったのであろう。勇気も、未来も、情熱も、青春が必要とするすべてのものが、詩人の祈りとともに、この一巻にあったといってよい。

 いま静かに思う時、ホイットマンの出現は、その当時、異端の詩人と思われたにちがいない。だが、彼の最初の唯一人の理解者があった。エマーソンは、彼の詩を「太陽光線」として賛嘆して、手紙を書いておくったという。原始の太陽から、厚い雲間を通して、強烈清澄な光線が、地上に達した思いがするのは、私ひとりではない筈である。私はたしかに温められ今日の使命に自信をもった。

 この詩の出現から、はや百年をすぎさっている。だが、ホイットマンみずから歌ったように・・・・・
「仲間よ、これは本なんてものぢやない、これに触れるものは人間に触れるのだ」(さらば!)ということであろう。私にとって生涯、忘れがたい一冊の本である。

                    グラフ社 昭和四十六年十一月二十日発行より