さて、世間で騒がれている「学力低下問題」ですが、「少しおかしいな?」とは思われませんか?

現代の小学生の頭脳の中身が低下したのでしょうか?

前述の「理解力に異常な欠陥のある者はともかく、普通の推理系統を有する者にとって、算術が至難の学科であるはずはないとは余が二十年来の信念である。」との牧口先生の言をもう一度吟味して読んでください。

現代の小学生は「理解力に異常な欠陥」があるのでしょうか?決してそのようなことは無いはずです。

では、なぜ「算数問題」を解く力が低下しているのでしょうか?理由は以下の点が考えられます。これは、当然公立小学校レベルでの問題点です。

@「算数をなぜ学ぶのか」の目的意識の欠如。つまり、算数という教科は、「楽しかった」「おもしろかった」という感覚だけが残る教科で、本当に理解できたかどうかは、何かの数値で客観的に評価しないと、「自己満足」「算術遊び」で終わってしまう教科であることの認識不足。小学校では「毎回のテストは実施している。」との返答が帰ってきますが、客観的に順位を決めたりするテストはご法度のはずです。毎回百点を獲得できるテストを実施しても意味をなさない。

A「ゆとり教育」により、小学生の「競争本能」を散漫化させた。つまり、「ゆとり」と「進度」を同等に考えた誤解が、切磋琢磨する人間の本能を希薄化させた。と共に、歪んだ平等感が全国に蔓延した。「ゆとり」を持つために、週休2日制にして、「学習内容」を削減した。「算数」について言えば、中学に進学した場合の「数学」に支障をきたす程の削減を実施した。週休2日制にして微笑んだのは、「学習塾」です。小学校では聞くことも無い「新鮮」な問題に遭遇できる「学習塾」は、小学生にとって「楽しく」「新鮮な」場所なのです。また、「順位をつけると差別となる」との偏見により、運動会でも今や一等賞・二等賞は存在しません。また、演劇大会などは、主人公が複数登場する始末です。

B教師の意欲・情熱の阻害。つまり、今まで枠にはめた授業システムを強いてきたのに、急に「自由裁量」(実際はそうではないが)で授業を進めなさいと言われても、教師は意欲・情熱の焦点をどこに見定めて良いものか判断に迷った。いわゆる「漠然とした教育」の創出をしてしまった。「自由裁量」により教師の個性が生かされた授業が展開されている小学校は存在しますが、あくまでも実験的試みですよね?(実験的試みばかり実施して、生徒たちは、モルモットではない!)「教師評価基準(評価評定)」が給与に反映されないシステムでは、現場の教師の方々も意欲は半減すると思います。

C小学校の「算数授業」が「算数授業」として成立していない。つまり、「中学受験」の盛んな地域(都市部)の小学校の「算数授業」は、「復習の場」として機能しているのが実態です。つまり、生徒たちの方が先取りした授業を「学習塾」ですでに受けているのです。学校の先生もこのことは認識しています。だからと言って、「学習塾」が悪ではない。

D「何のための算数」か?つまり、最大の原因となるのは、教える側の「学問するのは何のため」との根幹思想が磐石に定まっていないことが原因と言っても過言ではないと思います。この根幹思想が定まって初めて、「指導用教科書」「教師資質」などが議論されるのではないでしょうか?

やはり、「新鮮味」の無い授業は、面白くないですよね。「小学校」「学習塾」の両方に共通するのは、「新鮮な驚き」のある授業こそ、小学生を引き付ける最高の授業であると思いますが、皆様はいかがお考えでしょうか。

夜間に活動している「受験塾」の場合は、「志望する中学に合格させる学問」ですから、「目的意識」は明確です。当然、教師・父母・生徒の三者の「目的意識」が持続されなければ合格という目標は完遂されません。

それでは、昼間に活動している「小学校」の場合は、三者の「目的意識」が希薄になりがちです。「志望する高校」を目指して学習している家庭はほとんど無いでしょう。いわゆる家庭にとっての「小学校」は「託児所」と同等の価値しか認めていない現状です。特に、共働きのご夫婦が増えた現代においては、「小学校」の休みが多いと困るとの意識が強いのが現実です。

  勉強に行く場所は「学習塾」、安全を確保してもらう場所が「小学校

そして、「学習塾」で何か問題が発生すれば、やめれば解決しますが、やっかいなことに、「小学校」は義務教育ですから殺傷事件などの色々な事件が発生しても、やめるわけにいかない。ご家庭にとって「やめるわけにいかない小学校」はかなりのストレスだと思います。(最近では、「教育を受けさせる義務」があるなら、「義務教育拒否の権利」もあるとの論理で、積極的不登校を推奨するご家庭も増えています。)

小学校関係者は、小学校の存在意義を「集団活動を学ぶ小学校」「生活習慣を身につける小学校」等々、色々理由付けをしますが、「何のための小学校か?」との存在意義まで議論される現状です。それもそのはず、「無難に小学校を卒業させて中学に進級させること」が最大の目標に見受けられるのは、私だけが思っていることでしょうか。

逆に、近年では「受験塾」に対して「集団活動を学ぶため」「生活習慣を身につけさすため」「しつけをしてもらえる」との思いを込めて入塾させるご父母が増えています。

実は、戸田先生の時代の社会状況と現代は良く似ています。当時の世相を克明に伝えている『小説時習学館』(奈街三郎著・潮出版社)をご紹介しましょう。

  この本の「魔法使いの先生」という章の中に、その当時の世相を表現している箇所があります。

「昭和のはじめ。世界的不況は、日本にもどっと押しよせてきました。家にいても、町へ出ても“不景気”という声を、聞かない日はありませんでした。失業者は巷にあふれ、“ルンペン”と呼ばれる浮浪者たちは、公園や駅のベンチにごろごろしていました。大学出の学士さまが、月給三十円でも就職先はありませんでした。当時の三十円は、最低の生活どうやら露命だけはつなげるていどの金額でした。『大学は出たけれど』などという、映画が上映されました。世の中は絶望的でした。人心は荒廃しました。人びとは退廃的享楽を追いもとめ、子どもたちは、流行しはじめた俗悪マンガへとびついていきました。政党は、ただ党利党略に明けくれて、国民の信頼を失いました。」 

さあどうですか? 何と現代と酷似した世相でしょうか?このように、現代と酷似した時代に、戸田先生が生み出された「時習学館」「指導算術」が存在していたのです。そして、この時代は「受験戦争時代」でもあったのです。

もう一つ酷似した点が、この「受験戦争」ですが、近年の受験業界を見れば暗い世相を背景にして「受験戦争時代」の到来を予感させる現象が続いています。第三期とも第四期ともいわれる「受験戦争時代」が到来しています。「公立中学校離れ」が進み、首都圏の2005年の中学受験者はピークを迎えたことが、それを物語っています。この「受験戦争」について「学習塾」を非難される方がおいでになりますが、どうも誤解があるようです。「学習塾」がこの「受験戦争」を創出しているのではありません。公教育の惰弱さ・腐敗から「受験戦争」が起こることを認識していただきたいと思います。いわゆる、公教育の惰弱さ・腐敗により「学習塾」が豊かになる構造です。

実は、「学力低下問題」で一番危惧されることは、「学力の2局分化」(「学力の貧富の差」とも言う)の方が深刻な問題なのです。この「学力の2局分化」とは「教育の機会均等」とも関連する問題です。

現代社会は、経済的「貧富の差」が激しくなり、また「少子高齢化」も加わって、「金持ち」と「貧乏人」の格差が広がる時代と言われています。いわゆる、「金持ち」の一人勝時代の到来です。このことにより、「教育の機会均等」が阻害されることになります。つまり、「金持ち」と「貧乏人」は運命・宿命といえばそれまでですが、「金持ち」の子弟は、恵まれた環境を提供されて、すくすくと学力が伸びる。「貧乏人」の子弟は、学力を伸ばしたくても、その環境を享受することができない時代です。こんな暗い社会は誰しもいやだと思いますが、これが現実です。ですから、この社会現象が浮き彫りになる前に、何がしかの手を打っておかないといけないと私は考えます。

【「つめこみ教育」批判の誤解】

「受験戦争」がマスコミなどで議論されると、必ず登場する「つめこみ教育」について、皆様の誤解を解く必要があると思いますので、少し触れておきます。この「つめこみ教育」ですが、「学習塾」全部をくくって「つめこみ教育だ!」と発言されることは、正確な表現ではありません。

「受験塾」においては、「ご家庭の方針で、つめこみ教育を選択せざるを得ない環境」にある場合があります。これはご家庭でも一番悩まれる「受験勉強のスタート時期」とも関連します。つまり、前述したようにご父母が「中学受験経験者」であれば、大体の予想がつきますが、「中学受験未経験者」の場合、「受験勉強のスタート時期」の情報を他者から入手することになります。そのことにより、情報入手時期が遅れ、6年生になって「受験勉強のスタート」となるご家庭が相当数おいでになります。そうなると、中学受験に必要な単元を一年(現在では、6年生の夏期講習までが単元消化期間が通例)で消化しなければならないわけです。これがいわゆる「つめこみ教育」です。

この解決法はいたって簡単なことです。「受験勉強のスタート時期」を4年生・5年生に設定すれば良いわけですから、4年生・5年生からスタートすれば、中学受験に必要な単元を消化することは可能です。(当然、ご家庭の都合で4年か5年かは異なりますが・・・・)

実は、私が一番願っていることは、「早く私のホームページに出合って欲しい。」ということなのです。

牧口先生・戸田先生の時代の小学校こそが本当の意味での「つめこみ教育」時代であったのです。平たく言えば、「受験戦争」の勝ち組となろうとした小学校が短期間に中学受験に必要な単元を消化させるカリキュラム設定をしていたのです。ですから、「落ちこぼれ生徒」は相当数いたと予想できます。その小学校では、いきおい「公式暗記」の算数授業が展開され、本当の楽しい算数授業は出来るはずがありません。

このような学校制度に疑問を感じ、このような劣悪な環境にある生徒たちを救うために、戸田先生は「時習学館」を創設されたのです。

本格的「中学受験」の手本を示しながら、「学力向上」の実証を示しながら、当時の教育界と闘われたのです。