池田先生が、「恩師戸田城聖先生」(池田大作著・第三文明社)の中で、戸田先生の教育方針を述べられている章があります。少し長くなりますが、大切な点なので引用させていただきます。

まず、『恩師の教育法』では、「たとえば、数学の授業のさい、子どもたちに「犬の欲しい人はいないか?」と語りかけることから始めます。すると教室のあちこちから手があがります。恩師は、目を細めて教室を見渡し、「さあ、だれにあげようか」といいながら、黒板にチョークで「犬」と大きく書くのです。「これは、なんだ!」「イヌ!」「そう、イヌだね」「はーい」「さあ、欲しい人はもっていきなさい」子どもたちは一瞬、困惑してしまうが、ややあって、一人の少年が叫ぶ。「なんだ、字か!」。どっと教室に笑い声があがる。」

このエピソードは、戸田先生がおもしろい実例をあげながら、黒板の字が抽象された「記号」であることを教え、数学というものが数の記号のうえに成り立っているという根本概念を、小学生に指導したものです。「小学生対象の算数」を教える場合、この抽象された「記号」を多用して、より具体的にその問題の意味をわかりやすく解説しないと、「算数授業」は成立しません。

例えば、小学生に指導する場合、問題文から数字を拾い出して線分図(線で表現した図)を描いて問題を解くことが多々ありますが、まずこの「記号」の認識がされていない子どもは、みずからの力で活発に応用問題を解くことはできません。

また、池田先生は教育で大切なのは「考える力」「伸びゆく力」を内側から引き出していく内発的な「智恵」です。とも述べられています。まさしく、「推理する力」の発動は、この根本概念の認識があって始めて可能となり、内発的な「智恵」により応用問題を解くことができるのです。

次に、『指導算術』の「計算は算術の基礎であるから、算術に熟達するには、まず、土台から、しっかり築きあげねばならぬ。」という点を引かれて、基礎計算力の大切さを強調されています。ちなみに、『指導算術』の最初の章は「計算の検査」から始まり、「四則応用問題」へと展開されています。このことは、極めて重要なことなのです。

『指導算術』には続けて、「しかもその最高目標は正しく早く美しくという三点の完成に置かねばならない。一見同時には不可能に見えるこの三つも正しい順序を踏んで根気よく練習さえすれば必ず達成できるものである。最初はまず正しく、次に早く、次にそれを美しく書きあらわすことを心がけ、次第にこの三つの目標を自分のものとしなければならない。」とも述べられています。つまり、最高目標地点は「美しく」ですから、逆に考えると、「美しく」表現するには、「早く・正しく」計算できる訓練が必要となるわけです。

池田先生はさらに、「もし計算の方法・順序をよく知っていながら、正確な答えを得られなかった人は、次のことがらを反省しなさい」という点も引かれ、次の三点の指摘を強調されています。

@  「問題の数字」と「自分が計算するために書いた数字」との間に違いがないか調べたか。
A  字を書くのが乱暴でなかったか。
B  ていねいに計算をし、検算をしたか。

  ウィンベル学院のスローガンとしている「正しく・早く・美しく」については、このような経緯があります。また、なぜこの3点が重要かが、ご理解いただけると思います。

『指導算術』の「整数小数計算」の章の最後には、「式題の答案には必ず運算(計算のプロセス)の順序を正しく明らかに記入しておくこと」とあり、その理由として、

@  正しい計算法を他に発表するものであるから大切なものである。
A  正否の検算(たしかめ計算)にも都合がよい。
B  正確な頭の持ち主は順序正しく発表ができるものである。

との三点を挙げられています。まさしく、この点を達成してから、何々算の学習が可能となるのです。

この他にも、「校門での励まし」について紹介されていますが、戸田先生は、現代の「中学受験当日の校門前の光景」を創出した元祖と言っても過言ではありません。学習塾のシンボルマークが入った旗を掲げた一群が、我が手塩にかけた弟子たちを見送る光景をご覧になったことがありますでしょうか。この伝統は、私が学習塾の門を敲いたときから存在していました。そして、私が毎年実施した年中行事の一つです。

池田先生も「心というものは通じるものです。勇気も、希望も、情熱も、教師の心が燃えている限り、生徒にも必ず伝わっていく。」と述べられています。

  また、前述の『戸田城聖伝』によれば、「時習学館」には学校と違った雰囲気があった。学校では授業が「起立、礼」からはじまる。ところが、「時習学館」はちがっていて、戸田は最初の授業で塾生にいった。「大学では起立、礼なんかやらないんだよ。先生が講義に教室にくると、学生は起立、礼ではなくて、拍手して迎えるんだ。大学とおなじに、坐ったまま、拍手ではじめることにしようじゃないか。さあ、拍手」とあります。

この姿勢こそ、教える者と学ぶ者の心の交流の始まりと言えます。私も戸田先生の受け売りで、この始業挨拶を実践していますが、その日の授業の充実度は清々しいものがあります。

  また、『指導算術』の卓越性・先見性といえば、「実践の書」である点が挙げられます。

それでは、『指導算術』の世界を少しご紹介しましょう。

『指導算術』が現代の中学受験参考書と決定的に違う点は、指導の流れが、学習塾内で指導する通りに表示されている点です。

現代の受験参考書は書店でご覧になればわかりますが、「例題」「基本問題」「練習問題」「応用問題」そして、「解答・解説」というように、一問一問独立した設問になっていて、受験塾内で指導する通りの流れで記載してあるのではなく、一問一問の解き方に比重がおかれています。参考書とは言うものの問題集に毛の生えた程度の参考書です。

『指導算術』の場合は、「基本原形1」「推理法」「第一変化」「推理法」「第二変化」「推理法」「基本原形2」「推理法」「第一変化」「推理法」「第二変化」「推理法」そして、「練習問題」というように(この推理法とは、解き方・考え方の流れのことです。)、そのまま指導していけば、ある程度その単元が理解できるように構成されているのです。いな、その単元だけでなく単元間の関連性、つまり「同等性と差別性」が浮き彫りになるよう構成されています。

現代の市販されている参考書においてもこのような構成を提示している参考書は存在しません。ただし、受験塾内で使用するテキストは『指導算術』のそれと大変酷似していますし、このテキストは門外不出です。ですから、このことがわかるのは経験者のみであると述べたのです。ゆえに、前述したように、受験塾内で使用している内容を公開した参考書が『指導算術』であると明言できるのです。そして、この「受験塾の秘伝」を公開することは現代でもタブーです。それもそのはず、平たく言えば「飯の種」は通常、一般公開しません。まだ言えば、『指導算術』はいわゆる教師の「虎の巻」なのです。戸田先生はこの「虎の巻」を公開したわけですから、現代でも驚異的なことです。

もう一度、「実地の教授にあたっては用ゆるべき教科書がない。もちろん教える者の悩みは学ぶ者の悩みであり損失である。これ余が不敏をも顧みず推理練習を主眼とした本書発刊の動機である。」との戸田先生の言を吟味していただくと、『指導算術』発刊の意義がよくご理解いただけると思います。

「実地の教授にあたっては用ゆるべき教科書がない。」とは、市販の参考書では実地の教授に使用できないということです。「教える者の悩みは学ぶ者の悩みであり損失である。」とは、このままの状態を放置すれば損失を見て見ぬ振りをすることになるということです。そして、「推理練習を主眼とした本書」とは、「推理力向上→学力向上を目指す指導書」であるということです。

なぜ戸田先生は『指導算術』を一般公開されたのか?

中学受験を目的とする生徒のみが必要な書ではなく、「推理力向上→学力向上」を目的とする生徒にも必要な書であることは明白です。ですから、私は現代の初等教育の算数の指導法にマッチしている『指導算術』こそすすめる価値があると考えました。そして、『指導算術』を現代風に蘇らせ、ホームページという現代の利器を活用して、公開したのです。