ところで、「寺子屋」は、室町時代に僧侶が付近の子どもたちを集めて、読み書を教えたのが始まりと伝えられていますが、全盛期を迎えたのは江戸時代でした。前述の近江商人の発祥地である五個荘では、十校の寺子屋があり、全国的に見てもその数は多い方です。そして、当時の算術普及率の平均値が21%に対し、五個荘では70%の寺子屋で算術の授業が行われていたそうです。

この寺子屋で使用していた教科書で有名なのが、前述の『塵劫記』です。この『塵劫記』の特色は、「この教科書を使えば、算数の範囲の数学は容易に独学・独習できたこと」です。前述の関孝和や貝原益軒などはこの『塵劫記』で数学を独習したことが知られています。

  実は、この『塵劫記』の書名の由来ですが、「妙法蓮華経(法華経)」とも関連しています。

『法華経』の中に「塵点劫」(じんてんごう)の言葉が登場します。「塵劫」とは「塵点劫」の略で、『仏教哲学大辞典』(創価学会版)には、「極めて長い時間のこと。塵点、塵劫ともいう。世界を微塵にしてその一塵を一劫(時間の単位で様々な説があるが、極めて長い時間のこと)と数えるくらい時間の長遠であること。法華経では化城喩品第七で三千塵点劫、如来寿量品第十六で五百塵点劫が解かれている。」と説明されています。

また、「五百塵点劫」については、『法華経の智慧』(聖教新聞社)の中で、「五百千万億那由佗阿僧祗という膨大な数の三千大千世界を、すり砕いて細かい塵とします。その塵を持って東のほうへ行き、五百千万億那由佗阿僧祗という数の国を過ぎるごとに、その塵を一粒ずつ落としていきます。(中略)驚いたことに、塵を置いた国も、置かなかった国も、すべてまた砕いて塵とするというのです。そして、その一粒の塵を一劫と数えます。」と説明されています。

「塵点劫」という単位は、一応有限な時間のように考えられますが、実質的には無限な時間を示そうとして使った言葉なのです。

『塵劫記』の場合は、岩波文庫の『塵劫記』(大矢真一校注)によれば、「塵劫」とは「塵劫たっても変わらない真理の書」の意味であると説明しています。また、『塵劫記』の解説の中で、「とにかく日常生活に必要な数学に関しては本書(塵劫記)で完結している。」とも説明しています。

  ともあれ、この「塵劫記」の世界を旅してみましょう。

右の写真は、前述した「数」の呼称を説明した部分です。

「一」から始まり、「恒河沙」「阿僧祗」「那由他」「不可思議」「無量大数」の文字が読み取れます。なお、中国固有の大きな数の名は「載(または極)」までですから、「恒河沙」以降の大きな数は、仏典から出たものであり、後世の追加によるものであると思われます。

まさしく、「算数の範囲の数学は容易に独学・独習できる」内容を苦労して作成した跡が窺われます。数字とは本当に、不思議な存在ですね。