『篆書唐詩選』(てんしょとうしせん)

    


タイトル:篆書唐詩選(てんしょとうしせん)

閲:鳳岡関思恭子粛父

撰并書:黄山関口忠貞篤父

序:金谿漸斎宇鴻

出版書写事項:宝暦三年(1753年)三月

形態:一冊 和装大本(B5版)

書肆:皇都 茨城多左衛門
   東都 前川六左衛門

目録番号:koten-0020007



篆書唐詩選』の解説

 「唐詩選」についてはある程度紹介したので省略するが、「篆書(てんしょ)」とは、漢字の書体の一種で「篆文」とも呼ばれている。中国の秦時代以前に使用していた書体を指す場合もあるが、通常は西周時代の「金文」を発生の起源として秦の始皇帝時代の「小篆」を指す場合が多い。また、この「小篆」は戦国時代の石刻である「石鼓文」が起源といわれている。

 そして、「小刻」は漢時代には「隷書体」が公式書体となり影を潜めることになる。公式書体の歴史は短かったが、唐時代の韓愈らの古文復興運動の影響で「小篆」は復活して書道の世界で再興されることになる。また、宋時代以降「説文解字」の字典が作成され、「印譜」など古印を鑑賞する趣味が隆盛したこともあり、書作品や篆刻作品に「小篆」を押印し作者の所有権を表示することが定着した。元時代や明時代以降には、「篆書」を彫った印章を作成する「篆刻」が書道家の常識ともなった。

 「篆刻」の歴史は「印章」の歴史でもある。日本においては、室町時代には「私印」が儒学者・禅僧・戦国武将・文人の間で盛んに使用された。特に、織田信長が禅僧から譲り受けた「天下布武」の印章は有名である。正式な「篆刻」の歴史は、江戸時代初期に中国から亡命して来た黄檗派禅僧の独立性易(どくりゅうしょうえき・万暦二十四年・1596年~寛文十二年・1672年)が日本の篆刻の祖と謂われ、「石印材」による篆刻を伝えた。

 「寛永の三筆」と呼ばれた本阿弥光悦(永禄元年・1558年~寛永十四年・1637年)・近衛信尹(永禄八年・1565年~慶長十九年・1614年)・松花堂昭乗(天正十年・1582年~寛永十六年・1639年)や芸術家の俵屋宗達(生没年不詳)・尾形光琳(万治元年・1658年~享保元年・1716年)などの印章も有名であるが、中国伝来の正式な篆刻ではないようである。

 同時代を生きた石川丈山(天正十一年・1583年~寛文十二年・1672年)が使用した篆刻は、明時代の正式な篆刻の先駆けとも謂われ、交友関係から推測すれば独立性易の指導を仰いだ可能性は高いと思われる。石川丈山は、私こと樹冠人のふるさとである広島とも縁があり、京都の観光名所で紅葉が有名な「詩仙堂」で隠遁生活を送った武人・文人である。儒学・書道・茶道・庭園設計に通達した彼は、林羅山(天正十一年・1583年~明暦三年・1657年)の紹介で、下冷泉家に生まれ京都五山の禅僧の教養科目であった儒学を京学派として昇華した藤原惺窩(せいか・永禄四年・1561年~元和五年・1619年)の門人となった。ちなみに、京都「詩仙堂」の「三十六詩仙」は林羅山と相談して選定したと伝わっている。

 今回紹介する「篆書唐詩選五言絶句」は、「唐詩選」の五言絶句から抜粋した詩を題材にして、「古篆」「金石」「印譜」「彙選」など篆刻文字の種類を収録し、いわゆる字体を提示した字典である。また、260年前に出版された貴重な書籍でもある。この書籍の校閲を担当した鳳岡関思恭(元禄十年・1697年~明和二年・1766年)は、五千人の門弟を擁したと謂われた江戸時代中期の儒学者・書家・篆刻家である。

 関思恭は、日本篆刻の先駆けの一人と謂われた初期江戸派の細井広沢(万治元年・1658年~享保二十年・1736年)の門人である。広沢は独立性易の門弟である高玄岱(慶安二年・1649年~享保七年・1722年)から篆刻を学んだ北島雪山(寛永十三年・1636年~元禄十年・1697年)の門人で、元禄赤穂事件では吉良邸討ち入りに協力した関係者でもあった。また、選書を担当した黄山関口忠貞は関思恭の門弟である。

 「篆刻」は、現代でも「公的証明書」や「旅券の表紙」や「商店の看板」などに使用され頻繁に見ることができる。また、コンピュータの世界でも「篆書体フォント」が何種類も作成されて、印章作成も安価で短期間に作成できるようになった。しかし、書道界では手彫りの「篆刻」を使用することが常識であるようである。

 最後に、裏書にある茨城多左衛門について記録しておこう。

 茨城多左衛門(生没年不詳)は、江戸時代前期の京都の書肆(六角通御幸町西入)で屋号を小河屋、柳枝軒といった二代目である。寛政の三奇人と呼ばれた蒲生君平(明和五年・1768年~文化十年・1813年)によれば「庭の柳の大樹が軒を覆うほどに枝を垂れていたので柳枝軒と号し、寛永末期に父が創業した」と紹介している。水戸徳川家の蔵版書支配を務め、貝原益軒(寛永七年・1630年~正徳四年・1714年)の著作を数多く手掛けた。また、禅宗仏書も多く手掛けていた。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)十月作成