『宇治拾遺物語講義』(うじしゅういものがたりこうぎ)

    


タイトル:『宇治拾遺物語講義』(うじしゅういものがたりこうぎ)

講述:高津鍬三郎

出版書写事項:明治期 発行
       国立国会図書館収蔵と同等

形態:全一冊(和装A5版変形)

目録番号:nihon-0020002



宇治拾遺物語講義』の解説

 「宇治拾遺物語」は、建保元年(1213年)から承久三年(1221年)の十三世紀前半に編纂されたと推定されている説話物語である。殊に、第百五十九話に「後鳥羽院」の名が登場していることから、推定されたと思われる。

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう・治承四年・1180~延応元年・1239)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第八十二代の天皇である。源平興亡の忙しい時代を生きた天皇で、壇ノ浦の戦いで平家滅亡の折、宝剣が安徳天皇と共に海中に沈んだ事件で、「三種の神器」が揃わぬまま即位した天皇でもあった。なお、天皇家の紋章である「菊花紋章」を固定化した天皇でもあった。

 この物語の作者については、古来から源隆国(みなもとのたかくに・寛弘元年・1004~承保四年・1077)という説が存在している。本朝書籍目録に「宇治拾遺物語廿巻源隆国作」とあり、順徳天皇の「八雲御抄」には宇治大納言とあって、隆国と記されてある。

 源隆国は、権大納言俊賢の次男で西宮左大臣高明の孫にあたる権大納言の醍醐源氏で、後冷泉天皇の御世の関白頼通の女が立ち皇后となったときの皇后宮大夫である。宇治に別荘を構えて宇治大納言と呼ばれた。

 「宇治拾遺物語」の序文では、「宇治大納言と呼ばれた源隆国によって書かれた『宇治大納言物語』が執筆され、その後、『宇治大納言物語』に手が加えられ増補が繰り返された。そして、この物語に漏れた話、その後の話などを拾い集めた拾遺集が編纂された。」と、成立事情が掲載されている。

 参考までに、「巻第二 柿木に仏現ずる事」をご紹介しよう。

【原文】

 「昔延喜の御門御時五条の天神の辺に大きなる柿の木の実ならぬあり その木の上に仏現れておはします 京中の人挙りて参りけり 馬車も立て敢へず人もせき敢へず拝み喧騒りけり かくするほどに五六日あるに 右大臣殿心得ず思し給ける間誠の仏の世の末に出で給ふべきにあらず 我行きて試みんと思して 昼の装束美はしくして 梹榔の車に乗りて 御前多く具して集まり集ひたる者ども退けさせて 車かけ外して榻を立てて 木末を目もたたかず 他見もせずして凝視りて 一時ばかりおはするに この仏暫しこそ花も降らせ光をも放ち給ひけれ 余りに余りに凝視られてし侘て 大きなる糞鵄の羽折れたる 土に落ちて惑ひふためくを 童部ども寄りて打殺してけり 大臣はさればこそとて帰り給ひぬ さて時の人この大臣をいみじく賢き人にておはしますとぞ評判りける」

【現代訳】

 「昔、延喜帝(醍醐天皇)の時代、五条天神の辺りに実ならぬ大きな柿の木があった。その木の上に仏が現れておられたので、京中の人がこぞって参った。馬も車も停められず、人も押し合いへしあい、拝み騒いでいるそうこうするうちに、五・六日が過ぎた。右大臣殿が得心がいかないと思い本当の仏が世の末に現れるはずがない自分が行って試みようと思い。昼の装束をきちんと装い、檳榔の車に乗り、前後に従者を大勢随えて、集まっていた者らを退けさせ、車から牛を外して榻を立てると、梢を瞬きもせず、よそ見もせずに見守り、一時ほどその場にいると、この仏、しばらくは花も降らせ、光をも放っていたが、あまりにもじっくり見守られ、困ってしまった。大きなノスリ(タカ目タカ科・別名「糞鳶・くそとび」)の羽の折れたのが、地に落ちて、惑いふためくと、子供らが集まって殴り殺してしまった。大臣は思う通りだと帰った。さて、当時の人々はこの大臣をたいへん賢い人でいらっしゃると評判した。」


 今回紹介する「宇治拾遺物語講義」の講述者の高津鍬三郎(たかつくわさぶろう・元治元年・1864~大正十年・1921)は、明治・大正時代に活躍した国文学者で教育者でもあった。明治時代以降の日本の古典教育におけるそれは文学に限定され、『攷証今昔物語集』で紹介した芳賀矢一や高津鍬三郎などの帝國大学文科の教授たちによって選定され講義された。明治期に体系化された古典文学に疑いも起こさぬまま今日まで継承されてきたのである。

 また、『攷証今昔物語集』で触れたが、明治・大正時代に活躍した国文学者の芳賀矢一(はがやいち・慶應三年・1867~昭和二年・1927)は、「宇治大納言物語」「宇治拾遺物語」の書名について、現代に「宇治拾遺物語」と呼ばれた書籍は、総計百九十六段の内、八十五段は「今昔物語集」から採用された事実を披瀝し、同名同一書であることを断定した。また、「宇治大納言物語」も本書の一名を名乗っているだけで、鎌倉時代の著作であると断定し、同様に、「十訓抄」「古今著聞集」などもよく似たものであると追記した。

 ちなみに、私こと樹冠人は、学校教科書に登場する明治期に固定化された文学作品に疑問を感じ、江戸時代の国学に立ち戻る必要を感じて、古典籍の元本蒐集を始めたのが大学時代であった。今では、学校教科書に掲載する古典作品の選定においては、文学に限定することなく思想系・宗教系・歌学系・科学系・啓蒙系と多種多様の著作を紹介すべきであると考えている一人でもある。ゆえに、「19歳からの智慧のロマン」を執筆しているのであるが・・・・

【参考】陽明文庫本「宇治拾遺物語」(やたがらすナビ




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十五年(2013年)一月作成