『御義口伝』(おんぎくでん)

    


タイトル:御義口伝(おんぎくでん)

講述:日蓮大聖人

執筆:日興上人

出版書写事項:承應三年甲午(1654年)春正月 開板
       享保六年辛丑(1721年)秋七月 重改
       華洛要法寺蔵板

形態:全二冊 和装大本(B5版)

書肆:京都東洞院通三條上町
   平楽寺村上勘兵衛

目録番号:soka-0010004



御義口伝』の解説

 『御義口伝』(おんぎくでん)は『就注法華経御義口傳』が正式名称である。『御義口伝』は日蓮大聖人(貞応元年・1222~弘安五年・1282)の「妙法蓮華経」の御講述を日興上人(寛元四年・1246~元弘三年・1333)が筆録された書で、弘安元年(1278年)に上下二巻で完成した口伝集である。

 今回紹介する『御義口伝』には、下巻の最終頁の「就注法華経御義口傳巻下 日蓮在御判」の後に、「弘安元年戊寅正月一日」「執筆日興在判」「六老僧在判」とある。また、正筆の存在は確認されていないが、今回紹介する書籍は360余年前の承應年間に開板され享保年間に重版された貴重な書籍でもある。

 また、奥書には「華洛要法寺蔵板」とあるが、14世紀の初頭のころ、日興門流の日目上人(文応元年・1260~元弘三年・正慶二年・1333)が天奏のために上洛する途中に死去したので、随伴していた弟子の日尊(文永二年・1265~興国六年・康永四年・1345)が遺志を継ぎ、京都に法華堂を建立し西国弘通を開始し、後醍醐天皇(正応元年・1288~延元四年・1339)に天奏して、寺領を賜り上行院を建立して、京都広布の基盤を築いた。その後、上行院は要法寺と改名し現存している。

 『御義口伝』は、日蓮大聖人が晩年の建治年中に、身延山において、法華経の要文について大聖人の御内証の立場から講義されたものを、日興上人が筆録され、日蓮大聖人の御允可(ごいんか・「許可」の漢語的表現)を得たもので、日蓮大聖人の文底下種の法門が明かされている重要な書でもある。

 その構成は、上巻には序品第一の七箇の大事から従地涌出品第十五の一箇の大事まで、下巻には如来寿量品第十六の廿七箇の大事から普賢経の五箇の大事まで、そして別伝として「廿八品に一文充(ずつ)の大事」「一廿八品悉(ことごとく)南無妙法蓮華経の事」が収録されている。

 また、『御義口伝』は主として初めに天台大師・妙楽大師の解釈を引かれ、次に「御義口伝に云く」という述べ方で記録されているのが特徴で、日蓮大聖人の寿量文底下種の法門が明かされている。宗教の極理論においては、「種脱相対」「三大秘法」「人本尊」「法本尊」「人法一箇」「久遠元初」が明かされ、生命の本質論においては、「色心不二」「三諦」「三身」「十界互具」「一念三千」が明かされ、「世界広宣流布」「永遠の幸福」が明かされている。


 上巻の冒頭には「南無妙法蓮華経」について詳しく説明されているので、通解を記載しておく。ただし、今回紹介した江戸期の『御義口伝』には、『日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)には記載されていない続きの約十一丁分の説明文が掲載されているが、『日蓮大聖人御書全集』に記載されている部分のみ通解する。

【本文】

 御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と、又帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり、釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり、又云く梵語には薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧と云う此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり、九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり、妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し已上。

【通解】(「御義口伝講義」より)

 南無妙法蓮華経について、日蓮大聖人の御義口伝には、次のように仰せである。

 「南無」とは梵語であって、これを漢語に訳せば「帰命」という。その帰命する対境、対象に「人」と「法」とがある。「人」とは、文底の釈尊即人本尊たる日蓮大聖人である。「法」とは末法の法華経であり、法本尊であるところの南無妙法蓮華経である。すなわち、人法一箇の大御本尊に帰命することが、真実の中の真実の帰命なのである。

 「帰」とは、迹門不変真如の理(永久に不変である真実の法理)に帰するのである。「命」とは本門随縁真如の智(縁に随って、刻一刻と変化する事象に対応した幸福への生命活動で、一念三千の当体の生命の確立を意味し、仏界を涌現すること)に命(もとず)くことなのである。南無妙法蓮華経は、宇宙本源の絶対真理である。ゆえに、妙法を唱えることによって、宇宙の本源に合致できうるのである。したがって、不変真如の理に帰したことになる。そして、その偉大なる妙法の力が、わが生命活動に、生活の上に、顕現してくるのである。これ随縁真如の智に命(もとず)いたことになるわけである。結局、帰命とは、南無妙法蓮華経自体のことなのである。

 「妙法」については、「妙」は法性であり悟りを表し、「法」は無明であり迷いを示している。したがって、「妙法」というとき、すでに無明法性一体であることがあらわされている。「蓮華」とは、因果の二法を示し、因果一体、すなわち因果倶時をあらわしている。「経」とは、一切衆生の言語音声をあらわしている。そして、生命が、過去・現在・未来の三世にわたって、永遠に続いていくことを「経」というのである。

 「八葉九尊」とは、一往真言家の説く、胎蔵界曼荼羅の中央の一院(中台院)が八葉の蓮華となっていて、中台には大日如来、東・西・南・北・東南・東北・西南・西北の周囲の八葉には四仏四菩薩の八尊が坐っている。これらを指して九尊といっているが、これは大日の経文に説くといっても権大乗教で、実大乗教の法華経から見れば、「八葉九尊」とは「九界即仏界」の意味を説明しているのである。大日経では、九界即仏界を説くことができないので、生命論の解明の前提として、一つの形式を示したので、日蓮大聖人が引例されたのも、その意味は生命論として扱われたのである。ゆえに、前文に「九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり」と仰せで、九界は因であり、仏界は果で、九界即仏界は、因果倶時であり「蓮華の法」である。だから、「蓮華とは八葉九尊の仏体なり」と仰せられたのである。


 最後に、『十一通御書』でも紹介した書林の平楽寺村上勘兵衛であるが、創業者の村上浄徳は丹波国出身の武士で、京師に出て書肆を開き医書や仏書を出版し、代々の当主は「村上勘兵衛」を名乗った。第三代の村上宗信までは浄土宗の宗書を扱っていたが、宗信の代になって法華宗に転向して、日蓮宗の宗書を出版するようになって、書林平楽寺村上勘兵衛は、寛保元年(1741年)ごろから「法華宗門書堂」と称することになる。明治時代には廃業し大正時代に井上治作に店を譲渡して「平楽寺書店」(東洞院三条上ル)の社名で日蓮宗の宗書出版を中心に刊行する出版社として再出発した。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十七年(2015年)十一月作成