『民間経済録』(みんかんけいざいろく)

    


タイトル:民間経済録(みんかんけいざいろく)

著者:福澤諭吉

出版書写事項:明治十年(1877年)十二月新刻
       福澤氏版

形態:一巻全一冊 和装中本(B5木版)

発行所:慶応義塾出版社

目録番号:win-0050006



民間経済録』の解説

 福澤諭吉(天保五年・1835~明治三十四年・1901)については、「西洋事情 初編」で説明したので省略するが、この「民間経済録」は、福澤先生が初学者のために著した経済原論である。特に、今回紹介するこの書籍は当時の小学生を対象に学校読本として配布する意図で著されたものである。

 明治十年までの当時においては、西洋の学説をそのまま経済論として教えていたようである。そこで、福澤先生は日本経済に即した経済原論を展開している。この点がこの著作の優れた点で、当時の状況を知る資料としても重要な書籍である。いわゆる「通俗経済論」である。

 「民間経済録序」の後段には、福澤先生の精神が読み取れる文章が掲載されている。

 福澤先生曰く、「此経済録ハ専ラ此邊ニ注意シテ子供ノ為ニシ兼テ又父兄ノ耳ヲ驚カスコトナカラシトスルノ趣意ナルガ故ニ書中ノ字モ易ク文章モ俗ナリ知字ノ先生慢ニ之ヲ笑フ勿レ」と。つまり、「学問を高みから立って教えるのではなく、民間・通俗に理解できる書籍でないと意味がない。」ということである。

 書中目録には、

 第一章 物ノ価ノ事  第二章 賃銭ノ事  第三章 倹約ノ事

 第四章 正直ノ事  第五章 勉強ノ事  第六章 通用貨幣ノ事

 第七章 物価高下ノ事  第八章 金ノ利足ノ事  

 第九章 政府ノ事  第十章 租税ノ事 とある。

 そして、この書籍の特徴は各章の項目の上段に問題を配している点である。福澤先生は使用方法を「上段ノ問題ハ学校ノ生徒又ハ家ノ子弟ニ毎日此書ヲ読マセテ其義ヲ講シ翌日ニテモ月末ニテモ書物ヲ渡サズシテ其句読ヲ暗誦セシメ其義ヲ誦記セシメ題ニ據テ逐一吟味センガ為ナリ」と教えて、序を締めくくった。

 私こと樹冠人が一番印象に残っている箇所は、第三章の倹約ノ事であった。

 福澤先生曰く、「都会ノ地ニ出稼スル田舎者ヲ見ヨ田舎ニ生レテ粗衣粗食、一年ニ三圓ノ金ヲモ余スコト能ハザル者ガ都会ニ出レバ月ニ二十三圓ノ給金ヲ取リナガラ一年ノ末ニ身代ヲ勘定スレバ三圓ノ余サザルノミカ却テ五圓ノ借越シスル者多シ必竟都会ニ出レバ己ガ給金ノ高キニ由テ油断シ。世間一般。暮シノ豊ナルヲ見テ油断シ、金銭ヲ見ルコト河ノ水ノ如ク山ノ木ノ如ク思フノ罪ナリ油断大敵田舎ヘノ土産ニハ唯悪疾ヲ携ヘテ帰ルノミ斯ル心得違ハ出稼ノ者ノミニ非ズ学問執行ノ書生ニモ甚タ多シ気ノ毒ナルコトナリ」と。現代においてもこの原理は有効である。まさに、「都会恐るべし」である。

 巻末には「慶応義塾出版職証の八字を透かしに漉き込み、その上に「明治十二年十二月ヨリ以後ノ製本ハ此文字漉入ノ紙ヲ以テ本書真版ノ証トスル者也」と印刷した一枚の紙が挿入され、夥しい偽版を防止するための手段であった。

 当時において、初学者のための通俗経済論の書物が殆んど無かったので、この書籍は非常な歓迎を受け、更にやや上級の続編を要求するの声が高かったのであろう。明治十三年八月二編を出版することとなる。しかし、明治十四年の明治政府による教育方針の転換により、「福澤の書籍は、唯の一部も検定に及第せざりしこそ可笑しけれ」という有様であった。

 その後、明治二十五年に至り、堀越角次郎が私費を投じて郷里群馬県の学校に寄附するため二千五百部を活版に附した。これが合本「民間経済録」である。合本は菊版、洋紙、活字印刷、百五十二頁、黒色総クロース装で、旧版と異なるところは、書中の熟字に非常に多くの特殊な振仮名を施したことである。例えば「流行」(はやり)、「幸甚」(しあはせ)、「照合し」(あはし)、「戦争」(いくさ)等の如き類であることが、「デジタルで読む福澤諭吉」に表記してある。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)四月作成