『西洋事情』初編(せいようじじょう しょへん)

    


タイトル:西洋事情 初編(せいようじじょう しょへん)

著者:福澤諭吉

出版書写事項:明治三年(1870年)再刻発行
       明治二年(1869年)再刻官許

形態:三巻全三冊 和装中本(A5版変形)

発行所:尚古堂

目録番号:win-0050001



西洋事情 初編』の解説

 福澤諭吉(天保五年・1835~明治三十四年・1901)は、慶応義塾の創立者としてあまりにも有名である。立身新流居合の免許皆伝の達人で、勝海舟などと同様に生涯に人を斬ったことが無く、居合は求道の手段と考えていたようである。江戸時代と明治時代を勇壮に駆け抜けた文武両道の教育家である。

 また、福澤は明治時代の偉人のイメージが強いが、同世代には明治の夜明けを見る事が出来なかった橋本左内・吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬(全員天保生まれで、天保生まれの偉人は多く、天保時代は人材の宝庫である)などがおり、危うい江戸幕末を生き抜いた一人でもある。

 福澤諭吉は、中津藩の武士として生まれた。白石照山(文化十二年・1815~明治十六年・1883)の「晩香堂」(慶応義塾草創の人材を輩出した)に入門し、「四書五経」「史記」「春秋左氏傳」「老荘」に精通し、特に「春秋左氏傳」が得意であったと「福翁自伝」で伝えている。

 十九歳で長崎留学して蘭学を学び、安政時代には緒方洪庵(文化七年・1810~文久三年・1863)の「適々斎塾」(橋本左内・長与専斎・大鳥圭介・大村益次郎・佐野常民など多くの人材を輩出した)に入門する。その後、江戸に出て岡見彦三清熙の蘭学塾「一小家塾」(慶応義塾の基礎となる塾で、佐久間象山の影響が強かった)の講師となる。

 福澤諭吉にとって大きな起点となったのは、横浜見学においてオランダ語(蘭学)が通用せず、英語の重要性を痛感したことであった。以後、独学で英語の習得に努めた。その後、万延元年遣米使節と文久遣欧使節を経験して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の国々を歴訪し見聞を広めている。つまり、アメリカやヨーロッパなど当時の世界を見聞した数少ない人材であったのである。文久遣欧使節から帰国後、出版したのが今回紹介する「西洋事情」である。

 なお、福澤諭吉と勝海舟の不仲説については有名であるが、万延元年遣米使節・明六社(日本学士院の源流で、官民和合の学術団体)など同席した組織は多い。切磋琢磨する関係であり、日本丸を安全に航行させるために真剣に思考したライバル関係であったと理解した方がよいであろう。ちなみに、福澤は勝を批判はすれど支援した痕跡はないが、勝は徳川慶喜の十男で養子の勝精や佐久間象山の息子で佐久間恪二郎を慶応義塾に入学させて支援している。

 今回紹介する「西洋事情」は、当時の日本に存在しない事柄を紹介した著訳書籍である。福澤の翻訳家の名声を世に知らしめた啓蒙書籍でもある。そして、初出版は慶應二年でもあり、幕末機構の改革を提唱した書籍ともなっている。

 「西洋事情」の構造は、初編三冊・二編四冊・外編三冊の計十冊で構成されている。日本に存在しない事柄を紹介する苦労が随所に散見される。例えば、英語の和訳を創出する場合、ライトは「通義」を当て、ポステージは「飛脚」を当て、フリードム(現在ではフリーダム)は「自主任意」・リバアティ(現在ではリバティ)は「自由」と訳したが、自由とか権利とかの概念を知らない日本民族に紹介する困難は想像に難くない。

 初編三冊の構成は、巻之一では政治・収税法・國権・紙幣・商人会社・外國交際・兵制・文學技術・新聞紙・文庫など西洋のシステムを紹介し、巻之二では亜米利加合衆國(アメリカ)・荷蘭國(オランダ)の史記・政治・海陸軍・銭貨出納を、巻之三では一巻全部を費やして英國(イギリス)の史記・政治・海陸軍・銭貨出納を紹介している。そして、福澤の得意とする理化学や器械学が強調されているのも特徴であり、生活に必要な病院・銀行・郵便の制度の紹介も特徴的である。特に、巻之二では千七百七十六年第七月四日の項目で、「亜米利加十三州独立ノ檄文ヲ作ル」としてアメリカ独立宣言を紹介した。

 福澤は巻之一で、欧羅巴(ヨーロッパ)の政治学の説を紹介して、文明政治の六ヶ條を提示している。

 第一條 自主任意⇒自由尊重・四民平等・教育を論ず
 第二條 信教⇒信教の自由を論ず
 第三條 技術文学⇒発明を論ず
 第四條 學校⇒人才教育を論ず
 第五條 保任安穏⇒産業・国債・商人会社・為替を論ず
 第六條 人民飢寒⇒病院・貧院・貧民救済を論ず

 明治新政府による教育改革は、大学の官立化を固定化しようとした痕跡があるが、福澤は私立大学の多様化を推進するため門弟を商法講習所(一橋大学の源流)や大坂商業講習所(大坂市立大学の源流)へ派遣し、英吉利法律学校(中央大学の源流)・東京専門学校(早稲田大学の源流)・専修学校(専修大学の源流)などの設立を支援している。これらは、明治政府の藩閥政治に反発して大隈重信(天保九年・1838~大正十一年・1922)を担いだ行動でもあった。

【参考】 「デジタルで読む福澤諭吉



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)二月作成