『福翁百話』(ふくおうひゃくわ)

    


タイトル:福翁百話(ふくおうひゃくわ)

著者:福澤諭吉

出版書写事項:明治三十年(1897年)初版発行
      (慶應義塾大学の保存版と同等)

形態:全一冊(A5変形活版)

発行者:時事新報社 吉田東洋

印刷者:高田乙三

発行所:時事新報社

印刷所:株式会社秀英舎

目録番号:win-0050007



福翁百話』の解説

 福澤諭吉(天保五年・1835~明治三十四年・1901)については、「西洋事情 初編」で説明したので省略する。「福翁百話」は、福澤が訪問してくる客との会話・談話を書き留めておいたものから選び出して独立した百話を集めた随想集である。

 この書籍は、福澤が創刊した「時事新報」で明治二十九年から週2・3回の割合で連載した百回分を単行本として時事新報社から発刊されたものである。なお、時事新報社は現在でも「株式会社時事新報社」として存続しているが、経営・著作権等は「産経新聞」が保有している。

 今回紹介する書籍は慶應義塾大学に保存されている初版と同等であるが、私こと樹冠人が保有している別版の明治三十二年十二月五日発行の第十五版「福翁百話」は、内容は同一であるが奥付の記載が異なっている。印刷された発行者の時事新報社と吉田東洋の上から時事新報社の丸印が押され、印刷所が帝國印刷株式会社となっている。

 さて、福澤諭吉が最晩年に纏めた「福翁百話」は、彼自身が生きた危うい幕末から明治維新を経て色々問題が出てきた明治政府を意識した内容となっている。

 特徴としては、福澤の宇宙観・人生観を知ることができ、全体的に女性読者を意識した内容となっている。また、経営感覚を磨くために有効な内容も豊富に掲載されている。

 私こと樹冠人がこの書籍を読んだ時の全体的な感想として、「横着者を諌めている箇所が多いな」ということを感じた。参考のために気になった目次項目を羅列掲載しておく。

 「謝恩の一念発起す可きや否や」
 「善悪の標準は人の好悪に由て定まる」
 「人間社会自から義務あり」
 「子に対して多を求むる勿れ」
 「人事に學問の思想を要す」
 「半信半疑は不可なり」
 「子供の品格を高くすべし」
 「慈善に二様の別あり」
 「人間の三種三等」
 「無学の不幸」
 「人種改良」
 「政府は国民の公心を代表するものなり」
 「人事に絶対の美なし」

 この書籍を読んだ時に一番衝撃を受けたのは「人種改良」の項目であった。この項目は福澤にとって大変勇気が必要なテーマであったのではないかと思われる。

 福澤諭吉先生曰く、「近年家畜類の養法次第に進歩して就中その躰格性質を改良するを甚だ難からず要は唯血統を選ぶにあるのみ例へば牛馬の良きものを得れば之を父とし母として一切他の不良物を近づけず良父母果して良子を生めば其子の中より更らに善良なる逸物を選んで父母と為し常に飼養法に注意して四世五世を経る間には其成績実に驚く可きものあり然かのみならず此馬は四足躰格すべて完全なれども唯首の形に欠点ありと云へば牝牡の一方を選択して其二代目三代目に漸く首の宜しき者を得るが如き自由自在にして恰も木石を削て細工を施すに異ならず西洋諸国にて牛馬羊豚鶏犬の類を飼養して年々歳々之を改良し百年前の物に比して殆んど別種族の観を呈したるは唯その血統を重んじて之を紊るをなきに由るのみと云ふ」と、

 続けて、「扨(さて)人間の躰格性質も之を他の動物に比して素より上下尊卑完全不完全の別こそあれ其世々遺伝の約束に於ては些少の相違ある可らず人畜正に同一様にして薄弱の父母に薄弱の子あり強壮の子に強壮の父母あり其病質を遺伝し其能力を遺伝し身体の強弱精神の智愚すべて父母祖先以来の遺物のみならず其智能の種類も亦遺伝の約束に漏れずして文武芸学常に先人に類似する其趣は狂犬の子に狂犬を生じ守夜犬の子に守夜犬を生じて其毛色までも親に似るが如し此事実果して違ふをなしとすれば爰に人間の婚姻法を家畜改良法に則とり良父母を選択して良児を産ましむるの新工風ある可し其大略を云はんに先づ第一に強弱智愚雑婚の道を絶ち其体質の弱くして愚なる者には結婚を禁ずるか又は避孕せしめて子孫の繁殖を防ぐと同時に他の善良なる子孫の中に就ても善の善なる者を精選して結婚を許し或は其繁殖の速ならんとを欲すれば一男にして数女に接するは無論配偶の都合により一女にして数男を試るも可なり要は唯所生児の数多くして其身心の美ならんことを求るのみにして改良又改良一世二世次第に進化するときは牛馬鶏犬は其寿命短くして効験を見ると速なるに反し人類の改良は割合に遅々たる可しと雖も凡そ二三百年を経過する中には偉大の成績疑ふ可らず人物の製造法は唯その種(俗に父を種と云ひ母を腹と云ふは無稽の妄説なり其実は父母共に所生児の種にして若しも其卵の在る所を求れば却て母体中にこそ見る可けれ)を選み培養に心を用ふるのみにして意の如くならざるはなし爰に道徳を欲すれば天下の人をして悉皆釈迦孔子耶蘇たらしむ可し物理学者の所望とあらば幾千万のニウトンを生じ武人の必要と云へば到る所に加藤清正本多平八郎を見る可し男女の体格を大にするも小にするも美にするも醜にするも其色を白くするも黒くするも其鼻を高くするも低くするも自由自在にして世の風潮果して好男子美女子を求るか在原業平小野小町は普通の男女にして却て珍らしからず或は業平小町に文弱優柔の欠点あらば之に宮本武蔵巴御前の一部分を調合するとも易し頼朝の頭過大なりと謗らるれば其頭のみを小にす可し為朝の臂長しと訴ふれば縮めて適宜にす可し之を要するに人種改良の功績は取りも直さず今の営業馬車の瘠馬を改めてアラビア馬に変化せしむるに等しく国民一般の智愚強弱醜美大小を前後比較して其相違天淵啻ならず全然別物の観を呈して然かも事の成を告るはわづか二三百年なりと云ふ誠に容易なる事業にして若しも或る一国にして此事を実行するものあらんには其国力は忽ち世界中を征服し又心服せしめて地球は一政府の下に帰す可し随分愉快なりと雖も是れぞ即ち言ふ可くして行はれざる事なり」と。

 以上、気になる部分を現代漢字に換えて記載した。この文章の後述が圧巻であるがあまりにも生々しい事実記事なので私こと樹冠人も記載は断念したが、まさに、第二次世界大戦までのナチスドイツのヒトラーを思い浮かべる方も多いと思う。

 「人種改良」の発想はソクラテスの弟子でアリストテレスの師匠であるプラトン(紀元前427年~紀元前347年)に起源があるようだが、現代では「優生学」として確立した理論が展開されている。福澤諭吉の日本人に対する影響力を考え、この書籍を読んだ幾百万の人々はどのように思考し実践したかを想像すると・・・・・この問題は、これからの日本国の存続にも関わる大きな課題でもあり、議論が展開されていくであろうことを念頭に置き記載した。

参考:「デジタルで読む福澤諭吉



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)七月作成