『勝海舟』(かつかいしゅう)

    


タイトル:勝海舟(かつかいしゅう)

著者:山路愛山

出版書写事項:明治四十四年(1911年)四月十日 初版発行

形態:一巻全一冊 (A5版)

発行者:伊東芳次郎

印刷者:金子久太郎

発行所:東亜堂書房

目録番号:win-0030005



勝海舟』の解説

 著者の山路愛山(元治元年・1865~大正六年・1917)は、明治および大正期に活躍した歴史家であり評論家であった。徳冨蘇峰に知遇を得て「民友社」に入社、国民新聞記者からスタートして、慶應義塾の教授にも就任して「三田文学」の創刊にも携わり、その後、「信濃毎日新聞」の主筆となった。信濃人を愛して十九年間信濃に居住していた。

 また、愛山が生きた時代は「言論戦時代」でもあった。内村鑑三に対しては、「余は何故に帝国主義の信者たる乎」と宣戦布告すれば、内村鑑三は愛山と蘇峰を「君子豹変の実例」と応戦した時代である。日露戦争後は、「国家社会党」を創設して社会主義の傾向を強くする。晩年は、「信濃日日新聞」の主筆として貢献した言論人でもあった。

 著作には「荻生徂徠」「新井白石」「豊太閤」「足利尊氏」「源頼朝」「西郷隆盛」「徳川家康」「為朝論」など、人物紹介の書籍が多い。なお、勝海舟(文政六年・1823~明治三十二年・1899)については、「氷川清話」その他の書籍で略歴を紹介したので省略する。

 さて、今回紹介する勝海舟死後十二年に発刊された「勝海舟」であるが、「勝家の家系と海舟先生の血統」から始まり、「海舟先生の少年時代」「西洋兵學家としての海舟先生」「長崎練習所の海舟先生」「海軍防備計画」「幕府の長州征討計画」「同」「将軍政権返上の議=幕府瓦解の前提」「江戸開城の顛末」と続く、永年新聞に携わった人間らしく、資料を駆使して綺麗に整理された書籍である。旧仮名遣いにもかかわらず、読みやすい書籍となっている。

 海舟の生まれた三河武士の勝家は、父小吉が末期養子となった家で、この江戸時代の末期養子の制度(武家の当主で嗣子のない者が、死を前にして、家の断絶を防ぐために緊急に縁組された養子制度。)について、愛山は詳しく説明している。門閥の重んじられた世に微賎に生まれた英雄が身を立てる方法の一つが、この末期養子の制度である。

 海舟の祖父にあたる男谷検校(おだにけんぎょう)を、愛山は「日本立志編中に特筆大書せらるべき一個の英雄である。」と評価している。盲人の検校は、江戸中に十七箇所の地面を持ち、高位高官の株を買い、三十万両の金を九人の子に分配して、武家の株を買い末期養子の制度を有効活用した人として紹介している。つまり、この九人の子の一人が勝海舟の父である七男の勝小吉である。

 また愛山曰く、「この養子の制度がなかったら、人才の発達は丸で止まって、徳川の天下は早く滅亡したかもしれない。」とも述べている。

 そして、「西洋兵學家としての海舟先生」の章では、長崎の町年寄の高島四郎太夫(高島秋帆)が江戸で西洋式の調練をしたことに触れ、高野長英の西洋兵学についても詳しく紹介している。また、蘭学者の箕作玩甫(みづくりがんほ)との縁切り話の後、西洋兵学の師匠である筑前藩士の長井助吉との出会いも紹介している。

 蘭学修行中に蘭和辞書『ドゥーフ・ハルマ』を筆写して一部を売ったのは、海舟が二十五歳のころの話であるが、驚くべき勉強をした逸話がもう一つある。それは、二十二三歳の時、新しく舶来した和蘭の兵書が五十両の高値で売られていた。それを海舟は購入したくて金の工面をしたにも関わらず、ある与力某様が買ってしまっていた。買い戻そうと交渉するが拒否される。

 そこで、並の人間でない海舟は「あなたは昼間はお読みになるからその本も御入用でございましょう。また夜分も御寝みになるまでは御読みになるのであろうが、御寝みになった後は御入用もなかろうからその間だけ貸して下さい。」と言い出した。それではということで、四ツ時(午後十時)から筆写したのである。感心した与力某様はこの本も海舟に与えてしまう。そして、筆写した本は三十両で売れたのであった。

 海舟の勉強は、決して唯だ書物を読むことにばかり耽って居られる尋常書生の境涯で実行されたものではなく、非常な困難と闘いながら勉強したことを教えている。池田大作先生曰く、「苦しく困難な登はん作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書である。」と、まさに、言われた通りである。

 愛山は最後に、「明治二年以後勝先生年譜」として年譜を追記し、以下の説明を付記している。

 「予は明治以後の海舟先生を説くを好まず。何となれば先生一代の事業は明治元年を以て完成したるものなりと信ずればなり。唯だ先生行實の始終を明かにせんとせば別に論著する所なきを得ず。是れ此表を附する所以なり。」愛山生 と締め括っている。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)十一月作成