『氷川清話』(ひかわせいわ)

    


タイトル:氷川清話(ひかわせいわ)

著者:勝安芳(勝海舟)述 吉本襄 撰

出版書写事項:明治三十一年(1898年)一月五日 三版発行

形態:一巻全一冊 (B6版)

印刷者:髭本仕平

発行所:鐵華書院

印刷所:一心堂

目録番号:win-0030001



氷川清話』の解説

 「氷川清話」は吉本襄の編集した勝海舟(かつかいしゅう・文政六年・1823~明治三十二年・1899)の回想録である。「氷川清話」を、明治期の発刊の順で追うと、「氷川清話」「續氷川清話」「續々氷川清話」「校訂氷川清話」となる。

 「氷川清話」の中で語っている勝海舟(以下、海舟と表記)については、西郷隆盛との会談による江戸無血開城が有名である。海舟曰く、「おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。おれだってことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。このときに際して、小籌浅略を事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見すかされるばかりだと思って、おれも至誠をもってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり立談の間にすんだのさ」と。

 剣をとっては免許皆伝の達人で、「幕末の三舟」(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)と呼ばれる如く、漢学の素養も深く鋭い視点からの漢詩や詩歌を創作した。陽明学にも通達し禅の修行もしている。(「陽明学」は儒学を装っているが、内実は「禅学」であるとの考えもある。)

 蘭学修行中に蘭和辞書「ドゥーフ・ハルマ」(当時、大阪「適々斎塾」にも常備されたが、大変貴重な書籍であった。)を一年かけて二部筆写して一部を売って生活費に充てたことは有名な話である。江戸赤坂田町に私塾「氷解塾」を開き、西洋兵学を広めた。

 そして、長崎海軍伝習所に五年間在籍する。蘭学を始め英語にも堪能であり、航海術にも通達していたから、咸臨丸による日本初の単独航海の船長の任も全うすることができたのであろう。帰国後、神戸海軍操練所を設立している。

 また、神戸海軍操練所の塾頭であった坂本竜馬の師匠であることでも有名であり、西郷隆盛を始め明治期に活躍する榎本武揚・谷干城・田中正造など交友関係は広範に亘っている。なお、勝海舟は日清戦争反対運動を展開するなど、晩年に至るまで明治新政府に対しての監視を緩めなかった。

 「氷川清話」は、まず最初に「吉本襄 撰」として海舟の人となりを説明した後、「戊辰の變は、おれは町飛脚の知らせによって、幕閣よりも一日早く承知したけれど、おれは當時閑居の身だつたから、意見を進める機會を得なかつた。」と、海舟の座談が開始される。そして、この書籍で一番印象深く残っているのは、「人物評論」の箇所である。

 海舟曰く、「全体大きな人物といふものは、そんなに早く顕れるものではないヨ。通例は百年の後だ。今一層大きい人物になると、二百年か三百年の後だ。それも顕れるといつたところで、今のやうに自叙伝の力や、何かによつて顕れるのではない。二、三百年も経つと、ちやうどそのくらゐ大きい人物が、再び出るぢや。其奴(そやつ)が後先の事を考へて見て居るうちに、二、三百年も前に、ちやうど自分の意見と同じ意見を持つて居た人を見出すぢや。そこで其奴が驚いて、成程えらい人間が居たな。二、三百年も前に、今、自分が抱いて居る意見と、同じ意見を抱いて居たな、これは感心な人物だと、騒ぎ出すやうになつて、それで世に知れて来るのだヨ。知己を千載の下(もと)に待つといふのは、この事サ。」(「若き日の読書」より抜粋)と、この鋭い洞察は大変参考となる人物評論である。

 海舟の人物評論の部分は、水戸の烈公(徳川斉昭)の評判から始まり、次に「おれは、今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。」として、西郷隆盛と横井小楠を紹介する。そして、島津斉彬、小栗上野介、佐久間象山、藤田東湖、木戸松菊(木戸孝允)、山岡鉄舟と大久保一翁、大楽源太郎、二宮尊徳、大迫貞清、今北洪川、北條義時、頼山陽、足利義満、細川頼之、北條早雲、西行法師、沢庵禅師、荻生徂徠、李鴻章、朴泳孝、丁汝昌と人物評論が続く。

 「思想を貯めよ」とは、牧口常三郎先生の指導である。私こと樹冠人がこの指導と遭遇したのは、二十歳のときであった。最初は「そうか思想を貯めるのか?」と単純に理解した。しかし、それは認識不足であったことが判明する。この指導が血肉に染み渡ったのは、池田大作先生の「若き日の読書」(第三文明社)の「百年の後に知己を待つ 勝海舟『氷川清話』『海舟座談』」を読んだ二十一歳のときのことである。

 「人生には、いくつかの節がある。(中略)とりわけ二十歳前後の青年は、知識の養分を満身に吸収して、見るみるうちに頭角をあらわしていくものだ。読書においても、この時期に読んだ本は、その人の血となり肉となって、終生忘れることはない。すぐには役に立たなくても、いつか人生の節目に直面したときなど、突然記憶の底から呼びおこされ、ダイヤモンドのように光輝く貴重な財産となろう。」との文面を読んだ瞬間から読書の覚悟と勇気が涌いてきたことも良き思い出である。

 学習と思索を重ねて、思想を蓄積してこそ、鋭い主張が生まれることを学んだのである。そして、私もその後何度とはなく、身に染みる体験をしてきたが、全て克服できたのも、池田大作先生の「若き日の読書」のお陰であったと思っている。

 そして、もう一つの大切な思い出がある。それは、あるとき父が「おまえの一番尊敬する偉人はだれだ」と質問してきた。私は、間髪いれず「勝海舟だよ」と答えた。すると、しばらくして「それなら、これを読めばいい」とポーンと渡してくれたのが、古本の「勝海舟」(子母澤寛全集)であった。そして、いつもの口癖で「スポーツ馬鹿になるなよ」と。あまり裕福な家庭ではなかったから、父の小遣いも少なかったことであろうが、今となっては亡き父の大切な形見である。

【参考】 「若き日の読書」について

 池田大作先生は、「若き日の読書」(第三文明社)の「百年の後に知己を待つ 勝海舟『氷川清話』『海舟座談』」の中で、勝海舟の「人物評論」は「百年後の今日読んでも、的確なる人物評論の眼を養うのに十分参考となろう。」と述べられている。また、戦時中に子母澤寛が連載を開始して、戸田城聖先生が経営する大道書房から出版した「勝安房守」(戦後、「勝海舟」と改題され戸田城聖先生が経営する「日正書房」から発行)について紹介されている。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)十一月作成