『勝海舟』(かつかいしゅう)

    


タイトル:勝海舟(かつかいしゅう)

著作者:子母澤寛

出版書写事項:昭和四十八年(1973年)三月二十四日 初版発行

形態:六巻全三冊

装幀者:辻村益朗

発行者:野間省一

発行所:株式会社講談社

印刷所:凸版印刷株式会社

製本所:大製株式会社

目録番号:win-0030007



勝海舟』の解説

 梅谷松太郎こと子母澤寛(明治二十五年・1892~昭和四十三年・1968)は、早くに実母と別れ、祖父に溺愛されて育ったという。『新選組始末記』を皮切りに、大量の作品を創出した。特に、NHKの大河ドラマの原作で俄かに脚光を浴びる。子母澤寛の命名については、「子母澤」は当時住んでいた新井宿子母澤の地名であり、「寛」はいつか菊池寛のような大作家になりたいという憧れからであるといわれている。

 あるとき私の父が「おまえの一番尊敬する偉人はだれだ」と質問してきた。私は、間髪いれず「勝海舟だよ」と答えた。すると、しばらくして「それなら、これを読めばいい」とポーンと渡してくれたのが、古本の「勝海舟」(子母澤寛全集)であった。そして、いつもの口癖で「スポーツ馬鹿になるなよ」と。私はこの時分、吉岡隆徳先生に師事して陸上競技で日の丸の旗を掲げる夢を抱いた青春時代であった。あまり裕福な家庭ではなかったから、父の小遣いも少なかったことであろうが、今となっては亡き父の大切な形見である。

 まさに今回紹介する講談社の「勝海舟」(子母澤寛全集)第六巻・第七巻・第八巻が、亡き父の大切な形見となった書籍である。勝海舟(文政六年・1823~明治三十二年・1899)については、子母澤寛の『勝海舟』などで紹介したので省略する。この書籍は、子母澤寛の死後編纂された全二十五巻の全集の内の三冊である。昭和十七年(1942年)に初出版された大道書房の『勝安房守』全三巻から比べれば、全六巻と拡大された新編である。

 ここでは、子母澤寛その人について紹介しておこう。

 北海道厚田村に生まれた梅谷松太郎こと子母澤寛は、北海中学校に在学中から文学活動を始め、明治大学に進学する。江戸の御家人だった祖父・斉藤鉄太郎に溺愛されて育った。祖父は彰義隊として箱館戦争に敗れ、時代に背を向けて厚田の寒村でひっそりと暮らし、村人たちに必死で溶け込もうとした人である。

 その生き様を見てきた松太郎は深い思いを抱えながら時代小説の世界に踏み出す決意をしたのであろう。卒業後は、横須賀や札幌で地方紙の新聞記者などを勤めた後、上京して読売新聞社に入社する。新聞記者をするかたわらで、昭和三年(1928)に処女作の「新選組始末記」で文壇にデビューする。

 全集を読む時の楽しみの一つに、配本と共に附録される「月報」がある。その中のいくつかを紹介すれば、子母澤寛の人となりが摑めるであろう。

 映画監督の山本薩夫氏のコメントに、「歴史上の敗者に対する子母澤さんのいわば思い遣りの深さがあらわれているのであろう。また、その思い遣りや同情を、ただ直感的に主観的にうたいあげるのではなく、むしろ、その感情の昂りを克明な調査と記述のほうにふりむけていき、客観と照らし合わせようとしたところに、子母澤さんの謙虚さがあり、さらにそのことに十年の歳月を費やしたところに、子母澤さんの執念の人たる所以があるのだと思う。」とある。

 また、フジテレビの萱原宏一氏のコメントには、「作家には小説は面白いが、随筆はさほどでない人。反対に小説より随筆が面白い人、いろいろあると思いますが、子母澤さんは小説も随筆もともに面白い。というよりもっと適切に申せば、子母澤さんの小説は随筆を併せ読むことによって、いよいよ面白さが加わり、子母澤さんの随筆は、小説と併せ読んでこそますます精彩を覚えるということになります。」ともある。

 子母澤寛との命名の願いを叶えたのは、昭和三十七年(1962)の七十歳の時、菊池寛賞の受賞であった。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)十一月作成