『陸援隊始末記』(りくえんたいしまつき)

    


タイトル:陸援隊始末記(りくえんたいしまつき)

著作者:平尾道雄

出版書写事項:昭和十八年(1943年)一月二十日 再版発行

形態:一巻全一冊 (B6版)

発行者:志水松太郎

印刷者:志水松太郎

印刷所:大日本出版社印刷部

発行所:大日本出版社峯文荘

配給元:日本出版配給株式会社

目録番号:win-0030009



陸援隊始末記』の解説

 著者の平尾道雄(明治三十三年・1900~昭和五十四年・1979)については、「海援隊始末記」で説明したので省略するが、「海援隊始末記」と「陸援隊始末記」は、いわゆる姉妹篇である。

 「陸援隊」は、海援隊の坂本龍馬(天保六年・1836~慶應三年・1867)とは盟友の中岡慎太郎(天保九年・1838~慶應三年・1867)が脱藩浪士を集めて組織した軍隊である。京都白川村の土佐藩邸(白川陣屋)に本拠を置いた。白川陣屋は、京都洛東の白川村にあり、今出川通りを西に一直線行けば御所の北側に到達する位置にあった。現在では百万遍交差点を東に入った京都大学農学部がある地点である。この陣屋は、大名屋敷ではなく陣地を確保したもので長屋に隊士たちが寝起きしていた。高杉晋作が組織した「奇兵隊」を模範にして、十津川郷士らと共に西洋式軍隊の訓練を行っていたと伝えられている。

 隊長の中岡慎太郎は、坂本龍馬と同郷の土佐藩浪士である。武市半平太(瑞山・文政十二年・1829~慶應元年・1865)の道場に入門し、土佐勤王党に加盟した。長州藩の久坂玄瑞(天保十一年・1840~元治紀元・1864)と山県半蔵(宍戸璣・文政十二年・1829~明治三十四年・1901)とともに、佐久間象山を訪問し国防等の政策について激論を交わしている。後に、三条実美の随臣となり志士たちの連絡役となって活躍した。京都四条の近江屋で坂本龍馬と共に暗殺されたことは有名である。

 薩長同盟が進行していた時期の中岡慎太郎の著作に「時勢論」がある。平尾道雄は「陸援隊始末記」で一項目を設けて「時勢論」を詳細して、その中で「此の一篇は、中岡の志士的生涯を記録したもので、坂本龍馬の八策と並び称すべきものであらう。」と記述している。また、慎太郎の笑顔の写真が遺されているが、慎太郎は気さくで信用に足る人物との定評があった。

 さて、今回紹介する「陸援隊始末記」であるが、「海援隊始末記」を出版した翌年の昭和十七年に出版している。私こと樹冠人が所蔵している昭和十八年再版発行の書籍は、京都大学図書印があり、京大が収蔵していたものである。著者は資料検索に十余年を費やし、血縁者から秘蔵記録の閲覧を許されている。この書籍には、十六頁に亘って関係写真を掲載した後、平尾道雄の緒言に続いて、目次が配置されている。

 目次によれば、本文は六つの章で三十七項目で構成されている。

 土佐勤王党
 「陸援隊とその時代」「里正の家」「土佐守上京」「五十人組」
 「水戸行と佐久間象山」「お雇徒目付」「藩論と同志」
 三田尻招賢閣
 「三田尻探索」「招賢閣会議員」「京洛風雲記」「嵯峨天龍寺」
 「禁門の戦」「馬関戦争」「形勢探索行」「忠勇隊総督」
 「西郷南洲対話」「絵堂の戦」
 筑前太宰府
 「五卿筑前遷座」「京都薩摩屋敷」「答礼使」「南船と北馬」
 「時勢論」「薩長同盟成立」「防長四境戦」
 王政復古策
 「知己に示す論」「京都会談」「討幕密約」「中岡と政権奉還論」
 陸援隊
 「岩倉卿と三条卿」「白川陣営」「戦争準備」「中岡、坂本の最期」
 「陸援隊と新撰組」
 錦旗
 「高野山挙兵」「錦旗下賜」「出陣」「御親兵」

 以上、目次は現代漢字で表記した。

 中岡慎太郎は近江屋事件の後も二日生き延び、谷干城(天保八年・1837~明治四十四年・1911)らに顛末を伝えているが、干城は実行犯を新撰組と理解していた。しかし、陸奥陽之介(宗光・天保十五年・1844~明治三十年・1897)は近江屋の事件の黒幕は紀州藩ではないかと推定し、海援隊・陸援隊・十津川郷士と相談して、京都油小路正面にあった天満屋を襲撃した。その折の新撰組との乱闘は「花屋町の襲撃」(司馬遼太郎の「幕末」収蔵)に詳しく記載されている。なお、著者の平尾道雄は佐々木唯三郎が指揮する京都見廻組説の結論で結んでいる。

 最後に、陸援隊と行動を共にした「十津川郷士」について触れておこう。

 十津川郷士は、南大和の十津川村の郷士集団である。壬申の乱・平治の乱にも朝廷に仕え、南北朝時代は吉野の南朝を支えた。古来から武道に優れた人材を輩出した純粋な勤皇派である。また、十津川村は伝統的に明治の地租改正まで租税減免措置を受けている村でもある。幕末には勤皇の志士となるものが多く、朝廷の御親兵として朝廷を支え、維新後の明治時代は士族となった。なお、神武天皇東征の道案内の八咫烏を象徴信仰していた。

 なお、「海援隊始末記」と「陸援隊始末記」が共に中公文庫から復刊されたことは喜ばしいことである。


   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)一月作成