『日本政記』(にほんせいき)

    


タイトル:日本政記(にほんせいき)

著者:頼襄子成(頼山陽)

出版書写事項:明治十七年三月 再版出版 頼氏蔵板

形態:十六巻全八冊 和装中本(A5版)

発行書林:田中太右衛門(大阪府)
     柳原喜兵衛(大阪府)
     山内五郎助(大阪府)
     湯上市兵衛(大阪府)

同校:男 頼復 門人 後藤機・牧輗・石川章・岡田喬

目録番号:win-0010006



日本政記』の解説

 頼山陽(安永九年・1780~天保三年・1832)の「日本政記」(以下、政記と表記)については、文久紀元版である程度説明したので、明治版は重複しないように、山陽が政記に込めた政治哲学について触れておこう。なお、今回の明治版は和装中本(A5版)サイズで、A4サイズの用紙を二つ折りした和綴本で小型サイズの書籍である。現代でいえば文庫本に当たり、持ち運びに便利なサイズである。

 まず、山陽は勧善懲悪の条理を神武の建国から戦国時代までの歴史上で証明し、人民の幸福を高めようとする悲願があった。たとえば、元正天皇紀では「君王は末(すえ)であって、人民は本(もと)である。君王のために人民があるのではない。」などがそれである。

 また、天皇絶対主義ではなく、天皇の所業でも人民を苦しめたものは痛烈に糾弾している。たとえば、孝謙天皇紀では「人民の膏血をしぼって、私利、私欲を追及した」と述べ、白河天皇紀では「公私を混同し、天下の人民は、みなその害毒をこうむった」などがそれである。これらは、まさしく前代未聞の表現であった。

 そして、政治の要諦については、嵯峨天皇紀で「強者をおさえ、弱者を扶けることである。つまり、富豪から財産を奪って、民産を済(すく)うことである」と述べ、桓武天皇紀では「人民の手許に必要な物資が行き届くかどうかにある。人民に還元しようとせず、むやみに費い果たすのは、これを暗君というのであって、まさに論外の小人(しょうじん)である」と痛切に論を進めて行く。

 さて、現代において、この政記をどれだけの政治家が読んだであろうか。いわゆる山陽が言わんとしていることは、「政治は、財政の規模を縮小して租税を減免し、事務を省き役人の数を減らす。そうすれば、人民は礼節を知り、悪を恥じ、善に就き、産業に励むから、国家の財用にも余裕が生じ、国防にも憂いがなくなる。」ということである。

 光仁・桓武・天智などの天皇を聖帝とし、特に天智天皇紀では「天智天皇が定められた税法は収穫の二十分の一よりも軽かった。これが正税というもので、歴代の聖帝は、この路線の上に、活気あふれる時代を現出した。」とまで述べている。二十分の一の税法とは5%である。さて現代の租税制度はいかがなものであろうか?

 圧巻なのは次の件(くだり)である。元正天皇紀に「聖帝の時代には、人民に教えて穀物を豊富にさせ、野菜なども粗末にさせなかった。売り買いにも、後世のように金や銀を使わせず、銅貨だけでも滞ることがなかった。」と述べ、また、「それはどういう訳であろうか。物質を節約したからである。」とも述べている。

 「聖武天皇の初年、京洛の人々でさえ屋根を葺くのに板や草であった。それでは葺くのに面倒で、破れやすいというので、五位以上の役人、及び人民でも資力のある者には、命じて瓦で葺かせたのである。世のなかの風俗が質素であったことは、これによっても知られる。」と。

 また、「後世の為政者が金銀の奴隷となり、愚痴ばかりこぼして足らないことを歎いている一方、人民は一日として肩の休まる暇もなく、働きづめに働きながら貧乏でいなければならない理由は、以上に説いたところによって、おのずから明らかであろう」とも述べている。

 そして、最後の章に至って、山陽は豊臣氏の地租改悪(古枡から京枡に変更したことは有名である)を痛烈に批判し、豊臣氏以前の税制に戻せと減税を提案している。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)八月作成