『講孟箚記』(こうもうさっき)

    


タイトル:講孟箚記(こうもうさっき)

著者:吉田矩方(吉田松陰)

出版書写事項:出版年不明 尊攘堂蔵版

形態:四巻全二冊 和装大本(変形B5版)

発行所:講孟箚記謄写同好会

印刷所:山田隆文堂

目録番号:win-0020003



講孟箚記』の解説

 吉田松陰(文政十三年・1830~安政六年・1859)については、「幽囚録」で説明したので省略するが、松陰は号で、諱は矩方(のりかた)、字は義卿、別号は二十一回猛士である。松陰の「講孟箚記」は、松陰が安政二年から三年にかけて、長州の野山獄と杉家幽室で幽囚の身であった時、囚人や親戚と共に、孟子を講読した読後感や批評そして意見をまとめたものである。

 「箚」は針で刺す意味があり、「箚記」は書物を読むにあたり、針で皮膚を刺し鮮血がほとばしるように肉薄し、あたかも針で衣を縫うように文章の意義を明確にする意味となる。後に、松陰はその域に到達していないとして「講孟余話」と改題した。

 松陰は強力な諸外国の開国要求に直面している状況の真っ只中に幽囚の身となる。そして、急速に変化する状況で新しい対応策が必要であると痛感していた。それには天下の人々の「積誠」だけが状況転換を可能にすると思考し、その態度を強めていく。

 孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という言葉は、この確信の支えであった。「誠心」は高い極限の形であり、強く人に訴える力を発揮すると確信していたのである。その確信をまず身の回りの人々へ伝播・実践したのが、まさに「講孟」であった。

 「我れ亦た人心を正しくし、邪説を息(や)め、詖行(ひこう)を距(ふせ)ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承(つ)がんと欲す。」(滕文公章句下篇第九章)

 松陰日く、「全章の主意は、この一節にある。またこの一節は人心を正しくするというこの言葉に帰着する。まさしく孟子が終身みずからに課したものもここにあった。」と。また日く、「そもそもこの章は、むかし禹(う)が洪水を治め、周公が夷狄(いてき)を征服し猛獣を駆逐して百姓を安らかにし、孔子が『春秋』を完成した事蹟に、孟子がみずからを対比しているところである。」と。

 重ねて日く、「そして朱子は、この章の注でつぎのように述べている、『思うに邪説がほしいままにはびこって人心を損なうことは、洪水や猛獣の災害よりもはなはだしく、また夷狄や、君位を奪い君主を弑(しい)する悪逆の臣の禍いより痛ましいことである。それゆえ孟子はこのことを深くおそれて邪説から人心を救おうとつとめたのである』と。この言は深く味わうべきである。」と。

 そして、「今日もっとも憂うべきものは、人心の不正ではなかろうか」と提起して、「そもそもこの人心が正しくない場合には、洪水を治めたり、猛獣を駆逐したり、夷狄を征服したり、逆臣を誅殺したりすることなど、どうしてできるはずがあろうか。天地は暗黒と化し、人道は絶滅してしまうのだ。まことに思うだに恐ろしいことで注意すべきことである。」と締め括っている。

 この章を講釈する松陰の姿が目に浮かぶようである。まさに、孟子の主意は「至誠」の二字にあり、松陰の至誠は「人民への至誠」である。にもかかわらず、明治期の元勲たちは至誠の言葉を「天皇への至誠」とすり替え利用して「富国強兵」「殖産興業」の道へと人民を扇動し、「人民への至誠」を忘却したのである。

 また、松陰は「梁恵王上篇第七章」において、「民を恵むという美しい言葉は耳にするけれども、それが民衆にまで及んで実際に民がその恩恵にあずかるところまでいっていない。」とも述べている。つまり、「たとえ真実そのように心で思っていても、それが現実の結果となって現出しないかぎり、評価に値しない。」と政治の結果責任を強調しているのである。

 なお、「尊攘堂」についての説明を追記しておく。

 松陰は「大学・学習院」の構想と共に、京都に「尊攘堂」を建て、尊王の志士を祀り、人心を奮い立たせようと構想したが、刑死したため果たせず、門下生の入江九一(いりえくいち・天保八年・1837~元治元年・1864)に託したがこれも禁門の変で死去し遺志は遂げられなかった。

 しかし、門下生の品川弥二郎(しながわやじろう・天保十四年・1843~明治三十三年・1900)がこれを偶然知り、師匠の遺志を果たさんと京都高倉通錦小路に尊攘堂を建造した。そして、品川は一家のものとするのを潔しとせず、京都在住の有志から保存委員を選定し、将来のことを託した。

 品川が死去した後、尊攘堂およびその収蔵品を京都帝国大学に寄贈することになった。そして、京都帝国大学が京都大学となった第二次世界大戦後、尊攘堂収蔵の寄贈資料は大学附属図書館に「維新特別資料」として移管され、尊攘堂は京都大学埋蔵文化財研究センターの資料室として、同大学構内における埋蔵文化財調査成果の保存・展示目的に使用され現存している。

【参考①】 尊攘堂 貴重資料目録

【参考②】 講孟箚記の解読書



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)十月作成