あ 

阿育大王 (あそかだいおう)

アショーカ王(在位紀元前268年〜232年)のこと、古代インドを統一したマウリヤ王朝の第三代の王。パーリ語ではアソーカ(Asoka)という。漢訳では阿育・阿輸迦などと音写し、無憂と訳す。王は自らを「天愛喜見王」と呼んだ。
即位当初は、「残虐阿育」と呼ばれるほど残虐で、約十万人を殺害したとも伝えられているが、仏教を尊崇するに至りこの惨状を深く反省し、武力の征服をやめ、法(ダルマ)による支配を根本とした。仏教の慈悲の精神に基づいて諸宗教に寛容な態度をとり、戦争放棄・平和主義・平和外交・福祉政策の実践に励み、即位26年間で25回の恩赦を実施し寛刑主義を貫いたとされている。
なお、「徳勝童子・得勝童子」の故事は有名である。

徳勝童子

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阿難 (あなん)

アーナンダ。阿難陀・阿難尊者ともいう。歓喜・慶喜・無染等と訳す。釈尊の従弟で提婆達多の弟にあたるとされる。釈尊の声聞十大弟子の一人で、多聞第一と呼ばれた。
出家後、釈尊に常随し、教説を記憶している点に最も優れていた。釈尊入滅後、仏典の第一回結集の際には誦出者として中心的役割を果たした。迦葉(かしょう)に次いで法灯伝持の第二祖(付法蔵第二)となったといわれている。
「開目抄」(御書204ページ)
「十法界明因果抄」(御書428ページ)
「大夫志殿御返事」(御書1103ページ)

迦葉

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阿鼻獄 (あびごく)

「阿鼻地獄」のこと。「阿鼻大城」とも表現される。無間地獄のこと。八大地獄の一つで欲界の最低、大焦熱地獄の下にあるとされ、五逆罪をつくる人、正法誹謗の者がこの地獄に堕ちると経には説かれている。間断なく苦しみもがく状態をいう。
「立正安国論」(御書32ページ)

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阿仏房 (あぶつぼう)

(?〜1279年)日蓮大聖人御在世当時の信徒。阿仏房日得のこと。
従来の説では、「俗名を遠藤為盛といい、順徳上皇の北面の武士で、上皇の佐渡流罪に伴ない定住した。」と伝えられてきたが、最近では千日尼御返事等により佐渡土着の人との説が有力である。
日蓮大聖人の佐渡流罪中に、塚原三昧堂において大聖人を論詰しようとしてかえって破折され念仏を捨てて、妻千日尼とともに大聖人に帰伏したとされている。
大聖人が流罪御赦免となって鎌倉に帰られるまで給仕に努め、身延山に入られてからも老齢の身にもかかわらず三度(四度との説あり)も御供養の品々を携えて身延を訪問している。
大聖人は阿仏房を北国の導師とされ、浄行菩薩が生まれ変わって大聖人を訪れるのかとまでいわれ、深い信心をめでられている。
「阿仏房御書」(御書1304ページ)
「阿仏房御返事」(御書1317ページ)
「阿仏房尼御前御返事」(御書1307ページ)

千日尼御前

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愛染明王 (あいぜんみょうおう)

大日如来を本地とする明王。御本尊では、向かって左端の梵字でしたためられ、煩悩即菩提をあらわしている。(右端は不動明王で生死即涅槃をあらわす。)

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以信得入 (いしんとくにゅう)

「信を以て入ることを得」と読む。法華経譬喩品第三では、智慧第一といわれた舎利弗ですら、信によって得道したことをあげて、ただ信のみが仏道修行の要諦であるとする。即ち、一切衆生はことごとく信をもって成仏することができると説いている。また、智慧の因は信であり、信を貫いてこそ仏智を湧現し成仏することができる。
「御義口伝」(御書725ページ)
「日女御前御返事」(御書1244ページ)
「椎地四郎殿御書」(御書1448ページ)

舎利弗

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依正不二 (えしょうふに)

依報と正報が二であってしかも不二の関係にあること。「報」とは「むくい」という意味で、過去に善悪さまざまな行為をしている私たちですが、その行為が生命に刻まれて因となり、なんらかの縁によってやがて果報となって外に顕れます。これを「報」という。そして、過去の行為によって受けている現在の生命、これを「正報」という。また「依報」とは、「よりどころ」の意味で、果報の主体である正報がよりどころとしている世界、すなわち環境・国土を指します。

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一生成仏 (いっしょうじょうぶつ)

一生の間に仏になること。凡夫が凡身を改めず、一生のうちに成仏の境地に至ることをいう。一生成仏とは歴劫修行による成仏に対比していう。本来的には即身成仏と同義。
「一生成仏抄」(御書388ページ)

即身成仏

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一念三千 (いちねんさんぜん)

「一念三千」とは、衆生の起こす一念の心に三千の諸法を具足すること。この法門は天台大師が創設したもので、法華経迹門に説かれている十如是の文と、本門に説かれている十界互具、三世間等の義を摩訶止観に体系づけた。

迹門本門十如是十界互具摩訶止観諸法実相二乗作仏

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一閻浮提 (いちえんぶだい)

一つの閻浮提、閻浮提全体のこと。南閻浮提ともいう。閻浮提は梵語のジャンブ・ドゥヴィーパの音写。
「閻浮」とは樹の名、「提」は洲と訳す。閻浮樹の繁茂する国土を指し、古代インドにおける世界観で世界の中心に位置する須弥山の南にある洲で、人間の住む四大洲(東弗婆提・西瞿耶尼・南閻浮提・北鬱単越)の一つ。
「観心本尊抄」(御書252ページ)

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陰徳陽報 (いんとくようほう)

陰徳は人知れず行う善行、陽報ははっきりと現われる善い報いのことで、「陰徳あれば陽報あり」ともいう。淮南子(えなんじ)の人間訓などにあり、もともと中国の思想であるが、仏教で説く因果応報に相当すると考えられる。
「陰徳陽報御書」(御書1178ページ)

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乙御前 (おとごぜん)

「おとごぜ」ともいう。日蓮大聖人御在世当時の信者・日妙尼の娘。
母の日妙尼は、鎌倉に住んでいた寡婦であったが、大聖人佐渡流罪中に乙御前を連れて佐渡の大聖人を訪ねた。
「乙御前御消息」(御書1221ページ)
「乙御前母御書」(御書1222ページ)

日妙尼

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御義口伝 (おんぎくでん)

日蓮大聖人の御講述を日興上人が筆録された書。弘安元年(1278年)完成。上下2巻。
本因妙抄、百六箇抄等と並んで日蓮大聖人の奥義が教示された重書。
日蓮大聖人が建治年中、身延で法華経の要文について大聖人の御内証の立場から講義されたものを、日興上人が筆録され、日蓮大聖人の御允可を得たもの。
御義口伝は主として初めに天台大師、妙楽大師の釈を引き、次に「御義口伝に云く」という述べ方で、日蓮大聖人の寿量文底下種の法門が明かされている。
「南無妙法蓮華経」について詳しく説かれている。
「御義口伝」(御書708ページ)

霊鷲山

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重須殿女房 (おもすどのにょうぼう)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。南条時光の姉にあたり、駿河国富士郡重須の地頭・石川新兵衛の妻。日興上人の折伏で正法に帰依したと伝えられている。「妙一尊尼(みょういちそんに)」の名を賜わっている。
「十字御書」(御書1491ページ)

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熱原の法難 (あつはらのほうなん)

弘安2年(1279年)9月21日、熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅かされましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人(熱原の三烈士)の兄弟が処刑され、残りの17名は追放の処分を言い渡されました。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。なお、この法難を契機に大聖人は一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊を建立されました。このことは、全民衆救済という日蓮大聖人の大願を込められたお振る舞いであり、広宣流布のために顕されたものであります。

聖人御難事三位房

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 か 

迦葉 (かしょう)

梵語名で「カーシャパ」を音写して、迦葉という。
我々がよく聞く「迦葉」は、迦葉尊者(または摩訶迦葉)を指す場合が多いが、経典に出てくる「迦葉」は以下のごとく、多数存在する。
@迦葉尊者。または摩訶迦葉とか大迦葉とも称する。
 尼倶律陀(にくりだ)長者の息子に生まれ、釈尊の声聞十大弟子の一人で、頭陀(ずだ)第一といわれた。法華経の授記品第六で光明如来の記別を受けた。仏滅後は、付法蔵の第一として二十年間、小乗仏教を弘通した。「開目抄」(御書205ページ)「主師親御書」(御書386ページ)を参照。
A小迦葉
 釈尊の弟子の中には、「うるびんら迦葉」「がや迦葉」「なだい迦葉」の三兄弟が存在したが、摩訶(大)迦葉に対して「小迦葉」と呼ばれている。法華経の五百弟子受記品第八で普明如来の記別を受けた。
B十力(じゅうりき)迦葉
 釈尊が出家したとき、伴をし、釈尊成道後、最初の弟子となった五比丘の一人。梵語で「ダシャバラ・カーシャパ」の音訳。「四条金吾殿御返事」(御書1181ページ)を参照。
ゆえに、釈尊の弟子には五人の「迦葉」が存在することになる。
C迦葉童子(どうじ)菩薩
 涅槃経の迦葉菩薩品の対告衆がこの菩薩である。「守護国家論」(御書41ページ)「開目抄」(御書213ページ)を参照。
D迦葉仏
 過去の七仏の第六の仏。住劫第九の減において、人寿二万歳の時に出世した釈尊の前の仏。「立正安国論」(御書29ページ)を参照。

阿難

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開目抄 (かいもくしょう)

「開目抄」は、上下二巻から構成されている。
文永九年(1272年)二月、日蓮大聖人が五十一歳の時、佐渡流罪中に塚原で御述作になる。門下一同に与えられた書。「観心本尊抄」が法本尊開顕の書であるのに対して、「開目抄」は人本尊開顕の書である。
日寛上人の「開目抄文段」では、「開目抄と題することは、一切衆生の盲目を開く義であるとし、一切衆生は執権(権教に執着すること)の膜におおわれて真実の三徳をみることができず、久遠元初の本仏を知らないゆえに盲目であり、一切衆生の盲目を開かせる相を明かすので開目抄と名づける」としている。

観心本尊抄主・師・親の三徳六巻抄

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観心本尊抄 (かんじんのほんぞんしょう)

如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう)が正確な御書名。
文永十年(1273年)四月二十五日、日蓮大聖人が五十二歳の時、佐渡流罪中に、一谷で御述作になり、富木常忍に与えられた書。開目抄が人本尊開顕の書であるのに対して、観心本尊抄は法本尊開顕の書である。末法に流布すべき法本尊を明かされた重要な御書である。
「観心本尊抄」(御書238ページ)

開目抄

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願兼於業 (がんけんおごう)

「願(ねがい)、業を兼(か)ぬ」と読み、衆生を救済しようと自ら願って、あえて悪世に生まれて妙法を弘通すること。
法華経法師品第十の「薬王当に知るべし。是の人は、自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生をあわれむが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶるなり」の文を、妙楽大師が法華文句記巻八の三で釈して、「願兼於業」(がんけんおごう)と呼んだ。
「開目抄」(御書203ページ)

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鬼子母神 (きしもじん)

鬼子母は、凶悪で人の子を食い殺す習性があったので、人民が釈尊に救いを求めた。法華経陀羅尼品第二十六では、法華経を受持し修行する者を擁護し、諸々の毒薬等を消すことを釈尊に誓っている。法華経に至って成仏を許され諸天善神に列せられた。

諸天善神

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久遠元初 (くおんがんじょ)

久遠実成の当初(そのかみ)のこと。久遠は遠い昔、元初の元は根本、初は初め・始まりをいう、すなわち時間的には生命と宇宙の始まりの時をあらわしているのが久遠元初であり、久遠(五百塵点劫)に成道した釈尊の本因の時である。しかし、御義口伝巻下に「久遠とははたらかさず、つくろわず、もとの儘(まま)と云う義なり」とあるように、時間的長遠を超越した生命の究極の真理に回帰した状態、生命に本来そなわる無作常住の仏性を覚知した姿を久遠元初という。衆生の生命は、過去・現在の行為、外界からの影響によってさまざまな業をまとっているが、その業の奥には生命本来の清浄な本体がある。この本来の生命の姿を久遠元初といい、また南無妙法蓮華経という。
「御義口伝」(御書759ページ)

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金言 (きんげん)

仏の言葉・説法のこと。「きんごん」「こんごん」とも読む。また、金口(きんく)ともいう。
金が貴重であり、その性質が不変なところから、常住不変の仏説を譬えた。
「当体義抄」(御書518ページ)

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九横の大難 (くおうのだいなん)

釈尊が在世中に受けた九つの大難のこと。日蓮大聖人の御書の記述にしたがって九つを挙げると、
@孫陀利(そんだり)の謗(ぼう・そしり)・・・外道の美女である孫陀利が、外道にそそのかされ釈尊と関係があったといいふらし謗(そし)られた。
Aバラモン城の鏘(漿・こんず)・・・釈尊が阿難とともに婆羅門城を乞食(こつじき)していた時に、下婢が臭い米汁を与えたことでバラモンに臭食の報いであると謗(そし)られた。
B阿耆多王(あぎたおう)の馬麦(めみゃく)・・・婆羅門種の阿耆多王が、釈尊と500人の僧を自国に招いたが、供養を忘れたため、90日間馬の食べる麦を食べた。
C瑠璃(るり)の殺釈(せっしゃく)・・・釈迦族が波瑠璃王によって滅ぼされたこと。
D乞食空鉢(こつじきくうはつ)・・・釈尊が阿難と婆羅門城に入った時、王は布施と法を聞くことを禁じたので、鉢は空で、乞食行を修することができなかった。
E旃遮女(せんしゃにょ)の謗(ぼう・そしり)・・・婆羅門の旃遮女が腹に鉢を入れて釈尊の子を身ごもったといって釈尊が誹謗された。
F調達(ちょうだつ)が山を推(お)す・・・「提婆が大石をとばす」ともいう。提婆達多が、釈尊をうらんで耆闍崛山から釈尊めがけて大石を落とすが、釈尊の足指から血を出した。
G寒風に衣を索(もと)む・・・冬至前後に八夜の間、寒風が吹きすさんだので、釈尊は三衣を求めて寒さを防いだ。
H阿闍世王の酔象を放つ・・・阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、釈尊を殺そうとして象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとした。
とある。

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苦得外道 (くとくげどう)

苦得尼乾(くとくにけん)のこと。苦行によって得道すると説いた外道の名。釈尊在世のインドの六師外道の一つ。ジャイナ教の開祖。釈尊の弟子・善星比丘を退転させた悪知識。
「守護国家論」(御書65ページ)
「顕立正意抄」(御書536ページ)

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権実相対 (ごんじつそうたい)

「五重の相対」の一つ。
大乗教のうちで、仏の悟りの真実を明かした教えを実教といい、この真実を明かすための準備、つまり、方便として衆生の機根に応じてさまざまに説かれた教えを権教として、両者を比較相対したものである。権とは仮、実とは真実の意味である。
二乗(声聞・縁覚)は成仏できないとして、一切衆生の成仏を明かしていない、華厳経・般若経・阿弥陀経・大日経等の諸経は仮の教え(権教)であり、二乗も含めて一切衆生の成仏を明かしている法華経が真実を明かした教え(実教)であり、実教が優れることはいうまでもないことである。
権教の経典に基づく念仏宗・真言宗・禅宗等を信じ、信仰した場合には、現実の生活・人生を観念的なものと捉え、自己逃避・閉鎖等の姿を呈する。
実教が説かれた後には、方便の権教を根本にしてはならず、大きな不幸の原因となる。

五重の相対

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顕仏未来記 (けんぶつみらいき)

文永十年(1273年)五月十一日、日蓮大聖人が五十二歳の時、佐渡流罪中に一谷(いちのさわ)で御述作され、門下一同に与えられたものと考えられる。
「仏の未来記を顕す」との題号が示すように、まず大聖人が釈尊の未来記を実証したことを述べられ、更に大聖人御自身の未来記を顕され、大聖人の仏法が全世界に広宣流布していくことを予言されている。
冒頭に法華経薬王菩薩本事品第二十三の「後五百歳広宣流布」の文をあげ、末法広宣流布の真文にあっていることを喜ばれ、次に法華経勧持品第十三の文によって大聖人が法華経の行者であると述べられ、更に釈尊の仏法を月に譬え、大聖人の仏法を日に譬えて、必ず東土の日本より出現し、日本から中国、インド、そして全世界に広宣流布すると予言されている。最後に、伝教大師の法華秀句巻下の「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」の文を引かれ、弟子の広布実現への実践を勧められている。
「顕仏未来記」(御書505ページ)

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元品の法性 (がんぽんのほっしょう)

根本の悟りのこと。元品は根本または元初の意味。法性は真実不変の本性で真如ともいい悟りの本体をさす。衆生の生命の内奥にある一切の真理、智慧の根本となる法性のこと。
「治病大小権実違目」(御書997ページ)

真如

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元品の無明 (がんぽんのむみょう)

衆生のもともとそなわっている根本の迷いのこと。元品は根本または元初の意味。
「治病大小権実違目」(御書997ページ)

煩悩

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五重の相対 (ごじゅうのそうたい)

一切の宗教・思想・哲学を比較、検討し、その高低・浅深を判断・解釈する規範の原理の一つ。
宗教の五綱のなかの「教」を知るための規範である。
内外相対・大小相対・権実相対・本迹相対・種脱相対の5つから構成される。(各相対内容は、下の関連事項をクリック)
人本尊開顕の書である開目抄では、これによって日蓮大聖人の三大秘法の仏法が最高の教えであることを論証されている。
「開目抄」(御書188・189・197ページ)
「観心本尊抄」(御書249ページ)

宗教の五箇内外相対大小相対権実相対本迹相対種脱相対

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御書 (ごしょ)

書の尊敬語で、御書面、御手跡ともいう。日蓮大聖人が書き残された遺文・書状のこと。日興上人は大聖人を御本仏と仰ぎ、その御述作を「御書」と呼んで尊重し、結集し、研鑽し、講義された。昭和二十七年(1952年)に創価学会版日蓮大聖人御書全集が発刊されている。なお、この『仏法用語辞典』の(御書ページ)は創価学会版日蓮大聖人御書全集の御書名・ページを示す。

日興上人

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広宣流布 (こうせんるふ)

仏法を広く宣べ流布すること。
仏法を広く世界に弘め伝えることによって平和な社会を築くこと。
日蓮大聖人は末法に広宣流布すべき法門として三大秘法の南無妙法蓮華経を打ちたてられ、諸法実相抄には、「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と述べられ、撰時抄では、「大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」と仰せである。日興上人は日興遺誡置文で、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」とご遺命されている。
「諸法実相抄」(御書1360ページ)
「撰時抄」(御書265ページ)
「日興遺誡置文」(御書1618ページ)

成仏

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毀謗 (きぼう)

「誹謗」(ひぼう)と同義。悪口をいったり、そしること。

誹謗正法

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 さ 

さじき女房 (さじきにょうぼう)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。大聖人から「さじき女房御返事」と「桟敷女房御返事」をいただいている。鎌倉の人で、印東(いんどう)三郎左衛門祐信(すけのぶ)の妻とも、日昭の縁故の人ともいわれるが、詳細不明。
「桟敷」(さじき)は鎌倉の地名である。
「桟敷女房御返事」では、「与伊東祐信後家祐師之母」とある。
また、「さじき女房御返事」では「与印東三郎左衛門祐信女房」とあり、さじき女房が大聖人に帷(「かたびら」・・・裏をつけない単衣の着物)をご供養申し上げたことについて述べられ、聖人が自身の皮を剥いで文字を書き写すのに対し、凡夫は一つしかない帷を法華経の行者に供養することが皮を剥ぐことになると示され、さじき女房がご供養した帷は一つではあるが、法華経の一切の文字の仏に供養した意義があり、その功徳は、父母をはじめ無量の衆生にまで及ぶであろうと、ご供養の功徳を教えられている。
「さじき女房御返事」(御書1231ページ)
「桟敷女房御返事」(御書1232ページ)

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三悪道 (さんあくどう)

地獄界・餓鬼界・畜生界は、いずれも苦悩の境涯。

十界互具四悪趣

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三位房 (さんみぼう)

生没年不明。日蓮大聖人御在世当時の弟子。三位房日行のこと。三位公・三位殿ともいう。
下総国(現在の千葉県)の出身で早くから大聖人の門下となり、日興上人の富士弘教の補佐や諸宗問答の主任を命ぜられ活躍した。しかし、才智におぼれ大聖人の指導に背くことがあり、たびたび訓戒を受けた。「熱原の法難」のころ退転し、不慮の死をとげたと推定されている。
「聖人御難事」(御書1191ページ)

聖人御難事熱原の法難日興上人

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三大秘法 (さんだいひほう)

三つの最大・最勝にして秘要なる法の意味で、日蓮大聖人が末法の一切衆生を救うために顕し、弘通した本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目のこと。

文底独一本門

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三毒強盛 (さんどくごうじょう)

善根を毒する貪・瞋・癡の三煩悩が強盛なこと。この三種の煩悩は一切煩悩の根本で、一切の煩悩を摂し、衆生を今世、後世にわたって害するので毒と名づける。

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四悪趣 (しあくしゅ)

三悪道に修羅界を加えてまとめた表現。

三悪道十界互具

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四条金吾 (しじょうきんご)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。武芸・医術に通達していた武士。人本尊開顕の書である『開目抄』を与えられた。大聖人御入滅の折も、最後まで看病にあたり、葬送の列にもつらなった。日蓮大聖人から与えられた御書はたくさん存在する。

妙法尼

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四聖 (しせい)

十界のうち、声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界をまとめた表現。

十界互具

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四大天王 (しだいてんのう)

四天王(持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王)のこと。
「産湯相承事」(御書878ページ)
「諸法実相抄」(御書1360ページ)

毘沙門天

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死身弘法 (ししんぐほう)

「身を死(ころ)して法を弘む」と読み、章安大師の涅槃経疏にその言葉があり、教法流布の精神を示したものである。身を賭して法を弘めることをいう。
「不惜身命」「我不愛身命」「不自惜身命」と同じ意味である。ただし、「死身弘法」とは命を軽んずる意味ではなく、妙法流布のために生命を使い、燃焼させていくことの意味である。
「秋元御書」(御書1077ページ)
「乙御前御消息」(御書1221ページ)

不惜身命

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持妙法華問答抄 (じみょうほっけもんどうしょう)

弘長三年(1263年)三月、日蓮大聖人が伊豆流罪が赦免になって鎌倉に戻られた直後のご執筆とされている。御述作の年代については異説があり、対告衆も明らかではない。
当抄は、「妙法蓮華経」を「持つ」意義について、問答形式で述べられている。
最初に釈尊の一代聖教のなかで法華経が最も勝れた経典であることを確認され、次に仏法が人によって弘まる道理を示され、受持する法が第一の法であるならば、受持する人も第一の人であると述べられている。最後に妙法を知らなければ何をしても結局は苦しみであり、自ら唱題に励み人に仏法を勧めた信心の実践のみが、今世における思い出となると結論されている。

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自界叛逆難 (じかいほんぎゃくなん)

「自界反逆難」とも書く。
仲間同士の争い、内乱、自国内の戦争などの難。
薬師経の七難の1つ。大聖人は、正法を誹謗し続けるならば「自界叛逆難」「他国侵逼難」が起こることを「立正安国論」で予言された。
「立正安国論」(御書17ページ)

立正安国論

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自受法楽 (じじゅほうらく)

「自ら法楽を受く」と読む。成唯識論巻十に「自ら広大の法楽を受用す」とある。法楽は世間的な欲望充足の幸福である欲楽に対する言葉で、仏の悟りを享受する最高絶対の幸福をいう。
「四条金吾殿御返事」(御書1143ページ)

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自受用(報)身 (じじゅゆう(ほう)しん)

三世十方の諸仏の本源の法を体現した本仏のこと。他受用身に対することばで、御義口伝巻下に「自受用身とは一念三千なり、伝教云く『一念三千即自受用身』」とあり、人即法、法即人として南無妙法蓮華経を一身に具した仏をいう。百六箇抄に「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」とあり、末法今時では日蓮大聖人のことである。
「御義口伝」(御書759ページ)
「百六箇抄」(御書854ページ)

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舎利弗 (しゃりほつ)

シャリプツトラ。舎利弗多羅・奢利富多羅とも書く。釈尊十大弟子の一人。マガダ国・王舎城の那羅村の生まれ。目連と共に釈尊に帰依した。目連の神通第一に対して、声聞の弟子の中では智慧第一と称された。法華経方便品第二の開三顕一の法を聞き開悟した。釈尊の弟子となった後、外道等を破折し多くの僧を帰依せしめたと伝えられるが、釈尊に先立って没した。
「御義口伝」(御書722ページ)
「兄弟抄」(御書1082ページ)

以信得入

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主・師・親の三徳 (しゅ・し・しんのさんとく)

主徳とは衆生を守護する力・働き、師徳とは衆生を導き教化する力・働き、親徳とは衆生を慈愛する力・働きをいう。この三徳を具備しているのが衆生を救う仏である。
日蓮大聖人御自身こそ末法においてこの三徳を具備した御本仏であることを明かされている。

開目抄

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種脱相対 (しゅだつそうたい)

「五重の相対」の一つ。
脱益(だっちゃく)仏法である釈尊の法華経本門と、下種(げしゅ)仏法である日蓮大聖人の文底独一本門の比較相対である。
仏が衆生に初めて法を教えることを「下種」といい、仏の教化によって次第に衆生の機根(きこん)がととのうことを「熟」といい、最後に成仏するのを「脱」という。これは、仏の衆生教化の過程を、「稲の生育」に譬えたものである。
釈尊の法華経は、釈尊が過去に下種し、調熟してきた衆生を成仏させるための脱益の教えであり、過去に下種されていない、成仏のための善根を積んでいない末法の衆生は、この脱益の法華経では成仏できないのである。
ゆえに、法華経の本門では、釈尊の久遠の成道が説かれたといえども、それは結果の姿にすぎず、成仏の本因の法が明かされたわけではなく、釈尊自身が修行して成仏した根源の法が、何であったかが明かされていないのである。
つまり、法華経本門寿量品の文底に秘し沈められた南無妙法蓮華経という下種益(げしゅやく)の大法に縁して、初めて仏果の生命を涌現(ゆげん)することができるのである。
日蓮大聖人は、その釈尊が修行した根源の法、あらゆる仏が成仏した根本の原因が南無妙法蓮華経であると示され、その法を三大秘法の御本尊として顕されたのである。
このことにより、末法の衆生は釈尊の脱益仏法では成仏できず、日蓮大聖人の下種仏法によってのみ初めて成仏できるのである。このことを明かしたのが種脱相対である。

五重の相対独一本門

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宗教の五箇 (しゅうきょうのごか)

現代では「宗教の五鋼」といわれている。日蓮大聖人の教判。仏法を弘めるうえで心得るべき原理。三大秘法の南無妙法蓮華経こそ末法に流布すべき唯一の正法であることを、五つの根拠から明かした、大聖人独自の教判(宗教批判の原理)です。教機時国抄で説かれる教・機・時・国・教法流布の先後の5つのこと。単に五鋼、五義ともいう。
「教機時国抄」(御書438ページ)

五重の相対

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衆生所遊楽 (しゅじょうしょゆうらく)

「衆生の遊楽する所なり」と読む。法華経如来寿量品第十六の文。苦悩と無常の現実社会は妙法を持つ衆生の最高の遊楽の場所と転じたことをいう。

法華経

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十悪業 (じゅうあくごう)

殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪婬(じゃいん)、妄語(もうご)、綺語(真実にそむいて巧みに言葉を飾り立てる)、悪口(あっく)、両舌(二枚舌を使う)、貪欲(欲張り)、瞋恚(いかり)、愚痴(おろか)の十種類の悪業。

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十界 (じっかい)

十種類の衆生の境涯のこと。十法界ともいう。
名称は、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界となる。
@地獄界・・・苦悩に押しひしがれて身動きできない不自由な境涯。
A餓鬼界・・・貪欲に支配され、激しい欲望に身も心もとらわれている境涯。
B畜生界・・・本能的欲求につき動かされ、知恵・理性・意志等の働きがなく、目先のことにとらわれたり、強者を恐れ弱者をあなどる境涯。
C修羅界・・・常に他人に勝ろうとする自己中心的な自我の境涯。おごりたかぶる、へつらいまがった生命状態。
D人界・・・平静に物事を判断する生命状態。
E天界・・・自己の欲望、願望がかなったときなど精神的、肉体的に満足した生命状態。
F声聞界・・・仏の教えである真理を聞いて煩悩を断尽して悟りを得ることを求める境涯。
G縁覚界・・・仏の十二因縁によって修行し悟るので縁覚という。
H菩薩界・・・利他の実践によって一切衆生を救おうとする慈悲の境涯で、同時に自行に励み悟りを得ることを目指す状態。
I仏界・・・完全で円満自在な境涯で、万法に通達するとともに中道実相を体得した尊極無上の境涯。
この十種の状態が、それぞれ縁によって生じ、我々の身心を支配しているのが生命の実相である。この十種は融和一体となって、対境に縁するとき随時にあらわれるものである。
「諸法実相抄」(御書1359ページ)

十界互具諸法実相当体蓮華

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十界互具 (じっかいごぐ)

天台大師の法華文句・法華玄義・摩訶止観等に説かれている。
十界の各界が互いに十界を具えていること。生命の境界を十種に分別して地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界として、十界のおのおのの生命の境地が固定化しているのではなく、瞬間瞬間に変化、流転していく生命のありのままの姿を示したものといえる。互具とは顕現から冥伏へ、冥伏から顕現へという生命の相互関係を意味している。この十界互具を基盤として展開されたのが一念三千論である。

一念三千摩訶止観六道四聖三悪道四悪趣十界二乗如我等無異当体蓮華

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十如是 (じゅうにょぜ)

諸法に具わっている十種の存在の仕方。天台大師が一念三千の法門を立てる依拠となった法理。法華経方便品第二に「所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」とある。

一念三千、 方便品

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十羅刹女 (じゅうらせつにょ)

十人の悪鬼の女人のこと。鬼子母神の娘を指す。法華経に至って成仏を許され、母の鬼子母神と共に法華経の行者を守護する諸天善神に列せられた。

諸天善神

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宿業 (しゅくごう)

過去世の業因のこと。過去世に身口意の三業の積み重ねによって作った業因が今世の苦楽の果報を決定する因果(原因・結果)の理法をいう。
世間では一般的に悪い意味で使われているが、「善い宿業」と「悪い宿業」の両面がある。
「諸法実相抄」(御書1361ページ)
「佐渡御書」(御書958ページ)

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出世の本懐 (しゅっせのほんかい)

仏が世に出現した究極の本当の意味、目的のこと。聖人御難事(御書1189ページ)には、「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う(中略)余は二十七年なり」とあり、釈尊は法華経二十八品を説くことであり、天台大師は摩訶止観を説くことであった。日蓮大聖人の出世の本懐は一閻浮提総与の大御本尊の御建立であり、弘安二年(1279年)十月十二日に成就された。建長五年(1253年)四月二十八日の立宗から二十七年目である。また、日蓮大聖人の出世の本懐は大御本尊の御建立によって一切衆生を救済されるところにある。

摩訶止観伝教大師天台大師聖人御難事

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諸天善神 (しょてんぜんじん)

法華経の行者を守護する善神のこと。民衆・国土を守り、福をもたらす宇宙の働きをいう。
諸天善神は衆生の一念と、それに対応する外界の働きのあらわれと考えることができる。
「開目抄」(御書190ページ)
「富木殿御返事」(御書962ページ)

十羅刹女鬼子母神毘沙門天

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諸法実相 (しょほうじっそう)

十界ならびに森羅万象の諸法がことごとく実相、すなわち妙法蓮華経の当体であること。法華経方便品第二等にある。
諸法とは「もろもろの法」のことで、法は「支えるもの」「持つもの」との意味。事物そのものの、存在・現象をあらわす。実相とは「実なる相」の意味で、真実ありのままのすがたのこと。

一念三千十界

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除仏方便説 (じょぶつほうべんせつ)

「仏の方便の説をば除く」と読む。法華経方便品第二の文。

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小乗 (しょうじょう)

声聞乗のこと。小乗教のこと。大乗の対語。大乗家がその法の低さを下していう語。
「小乗大乗分別抄」(御書520ページ)
「盂蘭盆御書」(御書1429ページ)

大乗

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色心不二 (しきしんふに)

「色」とは「色法」のことで、物質・肉体など外形的なものをいい。「心」とは「心法」のことで、目に見えない精神的側面をいいます。「不二」とは、仏法における生命の見方を端的に示した重要な言葉で、表面的には色・心、肉体と精神は別々のものとして区別されるが、その深い次元おいては、一つに融合していることを表現しています。

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真如 (しんにょ)

万物、万象の本体が真実であり不変であること。梵語タタターの漢訳。真は真実、如は常にありのままで変化しないこと。
「十八円満抄」(御書1364ページ)

真如の都元品の法性煩悩即菩提

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真如の都 (しんにょのみやこ)

生命の悟りの状態で仏界の生命のこと。真如とは真実でありのままであること。都は心王の住処を宮殿にたとえたもの。
「日女御前御返事」(御書1244ページ)

真如

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世尊法久後・要当説真実 (せそんほうくご・ようとうせつしんじつ)

「世尊は法久しくして後 要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたもうべし」と読む。法華経方便品第二の文。仏は長い間、方便の教えを説き、後に真実の教えを説くこと。

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成仏 (じょうぶつ)

ゴールに到達するということではありません。仏界を涌現しつつ、悪を滅し善を生ずる戦いをすることが即身成仏です。妙法を受持し、間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏なのです。

即身成仏第六天の魔王広宣流布

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正直捨方便 (しょうじきしゃほうべん)

「正直に方便を捨て」と読む。法華経方便品第二の文。釈尊が四十余年に説いてきた華厳・阿含・方等・般若等の経教は方便の教え・権教であり、それらを捨てること。
「可延定業書」(御書985ページ)

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生死即涅槃 (しょうじそくねはん)

生死(苦しみ)がそのまま涅槃(悟り)となり、生死も涅槃もその体は不二であること。生死は煩悩、迷いの境涯であり、九界をさす。九界即仏界、煩悩即菩提と同義。法華経では、煩悩の迷いを断じなくてもそのまま悟りとなることが説かれています。末法においては御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えることによって、生死の苦しみはたちまち消えて即、悟りの菩提となることができる。
「大田殿女房御返事」(1006ページ)

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聖人御難事 (しょうにんごなんじ)

弘安二年(1279年)十月一日、一閻浮提総与の御本尊建立の十一日前に日蓮大聖人が五十八歳の時に、門下一同に与えられた御書である。同年九月に神四郎をはじめとする二十名が捕えられる「熱原の法難」が起こったため、大聖人がこれを契機として出世の本懐である御本尊を建立することを表明され、熱原の信徒をはじめ門下一同を激励されたものである。
最初に釈尊・天台・伝教の出世の本懐までの年数を挙げられ、大聖人は二十七年(釈尊は四十余年・天台は三十余年・伝教二十余年)であると述べられている。次に法華経法師品第十に説かれる「猶多怨嫉・況滅度後」の大難を受けたのは日蓮大聖人一人であると述べられ、大聖人こそ末法の御本仏であるとの確信が示されている。さらに、謗法による罰の現証を挙げ、大難を恐れずに師子王のごとく奮い立ち強盛な信心に励むよう激励されている。最後に三位房(さんみぼう)の例を引かれ退転をいましめられている。

熱原の法難出世の本懐三位房

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千日尼御前 (せんにちあまごぜん)

生没年不明。阿仏房日得の妻。
佐渡に土着の人といわれている。《かつては、順徳上皇に仕えた右衛門の佐(すけ)の局の侍女であったと伝えられてきた。》
日蓮大聖人の佐渡流罪中に、夫阿仏房とともに帰伏し強盛な信心を貫き通した。塚原三昧堂に通い御供養を奉り、大聖人が御赦免となり身延山に入られてからも、阿仏房を三度(四度とも伝えられている)大聖人のもとへ送り出した。
「千日尼御前」(御書1318ページ)

阿仏房

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栴檀 (せんだん)

経典にみられる栴檀とは、白檀(びゃくだん)のこと。常緑樹で心材は香気が強く、念珠などの器具製造用・彫刻用に用いられる。

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即身成仏 (そくしんじょうぶつ)

衆生が凡夫のその身のままで仏に成ること。本来的には一生成仏と同義。

成仏本因妙一生成仏変毒為薬

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地涌の菩薩 (じゆのぼさつ)

法華経、従地涌出品第十五に説かれている菩薩。滅後の弘教を勧める釈尊の呼びかけに応じて大地の底から涌き出てきたので「地涌の菩薩」といい、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を上首とする。釈尊の説法を助け、滅後の弘教を誓った本化(ほんげ)の菩薩ともいう。末法に妙法を受持し弘通するために出現する菩薩である。

→本化の菩薩、 四菩薩、 付嘱

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調機調養 (じょうきじょうよう)

「ちょうきちょうよう」とも読む。衆生の機根を調え、やしない、熟させること。機とは、仏の教化を受ける衆生の能力・可能性をいい、調はととのえること。調機された衆生の機根を勝れたものにするために教化し養うことを調養という。釈尊は四十余年間さまざまな方便の教えを説いて衆生を調機調養し、ついに真実の教えである法華経を説いた。

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迹門 (しゃくもん)

天台大師は、法華経一部八巻二十八品のうち、序品第一から安楽行品第十四までを迹門としている。
「迹」とは影の意味で、本体に対する言葉。また、「門」とは法門の意味。
迹門とは、垂迹の仏(始成正覚の仏)の所説を記した経文の意味となる。

一念三千、 始成正覚、 天台大師

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 た 

他国侵逼難 (たこくしんぴつなん)

他国が攻め入り、侵略しようと襲ってくる難。薬師経に説かれる七難の1つ。
正法を誹謗し、正法を護持する者に迫害を加えることによって、諸天善神が所を捨て去った時に起こるとされている。
「立正安国論」(御書17ページ)

立正安国論

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多宝如来 (たほうにょらい)

法華経の虚空会座で宝塔に坐して出現し、釈尊の説く法華経が真実であることを証明した仏。

法華経、 虚空

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対告衆 (たいごうしゅう)

「たいごうしゅ」とも読む。
仏が説法する時の聴衆の代表者のことで、仏はその人を中心に説法する。
法華経方便品第二の対告衆は舎利弗、如来寿量品第十六の対告衆は弥勒菩薩である。
「守護国家論」(御書75ページ)

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大小相対 (だいしょうそうたい)

「五重の相対」の一つ。
仏教のなかで自己のみの悟りを求める教えを「小乗」とし、自他ともの幸福と成仏を目指す教えを「大乗」として比較相対し、大乗が優れていることを明かしたものである。
「乗」とは、「乗る」「乗せる」という意味で、仏の教えが人々を悟りの境地へと運ぶので、乗り物に譬えたものである。
小乗教とは、自己が悟ることだけをめざす声聞・縁覚のための教えが小乗で、阿含部の教えがこれにあたる。苦悩の原因を自分自身の煩悩にあると説き、苦悩を解決するためには煩悩を滅する以外にないとし、難行苦行により解脱をめざす。しかし、煩悩を完全になくすには、身を焼いて灰にし心を滅する(灰身滅智・・・けしんめっち)しかないので、これでは、多くの人々が実践できません。
大乗教は、自分も他人もともに幸福になろうとする菩薩のための教えである。小乗教の如く煩悩を排除するのではなく、煩悩を正しくコントロールし、昇華させることのできる、清浄で力強い生命主体(仏界)を確立することを教えている。

五重の相対

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大乗 (だいじょう)

梵語のマハーヤーナを漢訳した言葉。摩訶衍(まかえん)と音写する。
大乗教のこと。大きな乗り物の意味。小乗の対語。
「御義口伝」(御書728ページ)

伝教大師小乗

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大智度論 (だいちどろん)

竜樹の作と伝えられている。鳩摩羅什の訳。
摩訶般若波羅蜜経(九十品)を詳しく注釈したもので、「大」とは摩訶・「智」とは般若・「度」とは波羅蜜の訳。

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第六天の魔王 (だいろくてんのまおう)

他化自在(たけじざい)天王のことで、人間の幸福、なかんずく成仏を妨げる魔の根源。
三障四魔の天子魔にあたる。

成仏、 三障四魔

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天竺 (てんじく)

インドの古い呼び名。日本および中国で用いられた。印度とも書く。
インドは、身毒(しんどく)とも賢豆(けんず)とも呼ばれた。
天竺の名の由来は定かでない。
「四条金吾殿御返事」(御書1119ページ)、他

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天台大師 (てんだいだいし)

智者大師智。像法時代の正師であり、中国天台宗の開祖。三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)を著し、その中でも摩訶止観は出世の本懐といわれる。

本門迹門、 像法時代、 出世の本懐摩訶止観変毒為薬

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転重軽受 (てんじゅうきょうじゅ)

「重きを転じて軽く受く」と読む。
涅槃経巻三十一の「有智の人は智慧力を以て、能く地獄極重の業をして現世に軽く受けしめ、愚癡(ぐち)の人は現世の軽業をば地獄に重く受く」等に由来する。
過去世の重罪を転じて、現世で軽くその報いを受けるという意味。
「転重軽受法門」(御書1000ページ)
「佐渡御書」(御書959ページ)

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伝教大師 (でんぎょうだいし)

日本天台宗の開祖。近江国(滋賀県)に生まれ、最澄という。依憑天台集・守護国界章・法華秀句等を著し、法華一乗の立場から、仏の教えに三乗の差別が存在するのは衆生を導くための方便であり、一乗に帰することこそ真実であるとした。比叡山に新たな戒壇を設けて、大乗戒のみによる授戒を行い、その後は十二年間比叡山に籠もって修学する制度の確立を目指した。日蓮大聖人は、法華経の実義は伝教大師によってはじめてわが国に弘通されたと述べられている。
「撰時抄」(御書263ページ)

出世の本懐大乗

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当体蓮華 (とうたいれんげ)

十界の衆生の生死の意義を、深く示すために述べられた法理。すべての十界の衆生が妙法の当体であるということで、今、ここにいる衆生の身が十界互具の当体であり、その身において仏界を現しうることを示す法理。

十界十界互具

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闘諍堅固 (とうじょうけんご)

教義についての諍(あらそ)いが盛んに起きること。堅固とは、仏の予言が変動せず、固定していることをいう。釈尊滅後二千年の末法の初めの五百年で、釈尊の仏法の中において争いが絶えず起こり、そのために正しい教え(白法)が隠没する時代のこと。

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道生 (どうしょう)

(?〜434年) 中国、東晋・南北朝時代の僧。俗姓は魏氏。鉅鹿(河北省)の人。幼少から聡明で竺法汰(じくほうた)について出家し、十五歳で講座に登ったといわれます。その後、廬山慧遠のもとで7年間学び、ついで羅什三蔵の訳経に参加し、羅什門下四傑の一人といわれました。闡提成仏(不信謗法の成仏)の教えを立て、多くの学僧に怨嫉され、ついに蘇山(現在の江蘇州の山)に追われました。しかし、後に大般涅槃経が伝えられ、闡提成仏の教えが正しいことが明らかとなりました。
竺の道生は仏法の正義を唱えて浅学の衆僧に憎まれ、蘇山に追われ、俗衆増上慢・道門増上慢と闘った好例といえます。
「開目抄」(御書230ページ)
「如説修行抄」(御書501ページ)
「佐渡御書」(御書957ページ)

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徳勝童子 (とくしょうどうじ)

「得勝童子」とも書き、釈尊が王舎城で乞食行(こつじきぎょう)をしていた時、砂で作った餅を供養した童子。この童子はその功徳によって、釈尊滅後百年に阿育大王として生まれたと故事にある。この故事は、仏に対する真心の供養の大切さを教えたものである。
「上野殿御返事」(御書1544ページ)

阿育大王

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独一本門 (どくいちほんもん)

日蓮大聖人の本因妙の仏法をいい、寿量文底下種の法門である三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
釈尊の法華経本門が脱益(だっちゃく)の法門であるのに対し、日蓮大聖人は下種(げしゅ)の仏法として三大秘法の南無妙法蓮華経を立てられた。これを釈尊の脱益の本門に対して独一本門という。
「本因妙抄」(御書872ページ)
「観心本尊抄」(御書249ページ)

種脱相対

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 な 

内外相対 (ないげそうたい)

「五重の相対」の一つ。
内道(仏教のこと)と外道(かつては、インドのバラモン教・中国の儒教・道教を指す、今日では、仏教以外のあらゆる宗教・哲学・道徳の教説を含む)を比較相対して内道が優れていることを明かしている。
外道は、過去・現在・未来の三世にわたる生命の因果の法則を明かしていない。また、明かしていてもその部分観のみであり、つまり、そこからもたらされる人生観・世界観では、人々を幸福境涯に導くことはできない。三世にわたる深く正しい生命の因果の理法を明かした仏法のみが、人々に絶対的な幸福をもたらすことができるのである。
ゆえに、内道と外道の違いは、幸・不幸の原因を自己の生命自体に求め、そこから幸福への道を見いだす(内道)のか、それとも自己の生命以外の何かに求める(外道)のかにあるといえる。

五重の相対

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南条時光 (なんじょうときみつ)

(一二五九年〜一三三二年)
日蓮大聖人御在世当時の信徒。鎌倉幕府の御家人で駿河国富士郡上野郷の地頭。
若くして日蓮大聖人に信伏し、第二祖日興上人を師兄と仰いで純真な信心を貫いた。特に、熱原の法難に際しては、日興上人の指揮のもと外護の大任を果たしている。また、大聖人御入滅後の日興上人身延離山の折には自領にお迎えして、大石ヶ原を寄進して大石寺の基礎をつくられた。
晩年は、入道して沙弥大行(しゃみだいぎょう)と名乗った。
なお、大聖人御在世中に賜わった御書の数は現存するだけでも三十数通にのぼり、当時の信徒中で最も多い。
「南条殿御返事(法妙人貴事)」(御書1578ページ)

妙一尊尼

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二箇相承 (にかそうじょう)

身延相承書(日蓮一期弘法付嘱書・総付嘱書)と池上相承書(身延山付嘱書・別付嘱書)の二箇の付嘱書のこと。日蓮大聖人から日興上人への唯授一人の付嘱状。
「身延相承書」(御書1600ページ)
「池上相承書」(御書1600ページ)

日興上人

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二乗 (にじょう)

十界の声聞界・縁覚界をさし、小乗教は、出家して修行(歴劫修行)し、自分が悟ることだけを目指す二乗のための教えです。
「観心本尊抄」(御書241ページ)

二乗作仏十界互具

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二乗作仏 (にじょうさぶつ)

二乗(声聞・縁覚)が仏になること。爾前の諸経においては自己の解脱に執着して利他に欠ける二乗は、永久に成仏できないと仏から弾呵されたが、法華経迹門では一念三千の法門が説かれ、初めて成仏の記別が与えられたことをいう。
「二乗作仏事」(御書589ページ)

二乗一念三千

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日寛上人 (にちかんしょうにん)

(1665年〜1726年)。大石寺第二十六世の法主。中興の祖といわれ、日蓮大聖人の正義を宣揚し、主な著作に御書五大部の文段、御書講義があり、『六巻抄』は有名である。

六巻抄文底秘沈

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日興遺誡置文 (にっこうゆいかいおきぶみ)

大石寺開山、第二祖日興上人が、元弘三年(正慶二年・1333年)一月十三日、広宣流布、令法久住のために、門下に与えられた二十六箇条の遺誡状のこと。日興上人が八十八歳の時の書で、御入滅の二十数日前の述作であり、化儀化法の全般にわたって僧俗の信行学の基本を明らかにされている。

日興上人

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日興上人 (にっこうしょうにん)

本門弘通の大導師。白蓮阿闍梨という。日蓮大聖人に常随給仕し、『二箇相承』を受けられ、第二祖となられる。『日興遺誡置文』を著し、後世の弟子の遺誡とされた。

二箇相承日興遺誡置文御書三位房

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日女御前 (にちにょごぜん)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。池上氏の妻であるとも、松野後家尼の娘であるともいわれているが詳細不明。日女御前御返事によると、本尊供養のため種種の御供養を行い、また法華経二十八品の品品ごとの供養を願うなど、信心強盛な人であることが窺(うかが)われる。また、大聖人から本尊の相貌を明かされ、法華経要品の義をご教示されていることから、身分・学識があり、また裕福な婦人であったことも窺(うかが)われる。
「日女御前御返事」(御書1243ページ)
「日女御前御返事」(御書1245ページ)

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日妙尼 (にちみょうあま)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。鎌倉に住む寡婦で乙御前の母。大聖人から「日妙聖人」の法号を賜った。

乙御前

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日蓮大聖人 (にちれんだいしょうにん)

日蓮大聖人(1222年〜1282年)は、1222年二月十六日、安房国東条郷(現在の千葉県安房郡天津小湊町)で聖誕されました。幼名を善日麿といい、十二歳で清澄寺に入って修学を開始されました。「日本一の智者となし給へ」(御書888ページ)と誓願し、仏法の奥底を究めようとされ、十六歳で出家。是聖房蓮長と名乗られ、一切経を修学するため全国に遊学されました。建長五年(1253年)四月二十八日正午、「南無妙法蓮華経」こそ末法の民衆を救済する唯一の正法であると、立宗を宣言され、その時、自ら「日蓮」と名乗られました。御年32歳でした。
詳しくは、『叙事詩・日蓮大聖人』(樹冠人作)を予定。ご期待ください。

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如我等無異 (にょがとうむい)

法華経方便品第二の文。仏(釈尊)の目的は自分と等しい境地に衆生を導くことにあるということ。仏法は一切衆生に仏界という尊極の生命が内在することを示し、その仏界を開かしめるところに仏の出現の目的がある。

十界互具

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如説修行 (にょせつしゅぎょう)

「説の如く修行す」(せつのごとくしゅぎょうす)と読む。法華経如来神力品第二十一等の文。仏の教説の如く修行すること。
正法・像法・末法の時の相違によって如説修行に差異があり、末法においては、御本仏、日蓮大聖人の教えのごとく三大秘法の御本尊を信受し、題目を唱え、折伏を行ずることが如説修行となる。

如説修行抄

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如説修行抄 (にょせつしゅぎょうしょう)

文永十年(1273年)五月、日蓮大聖人が佐渡流罪中に一谷において御述作され、門下一同に与えられた御抄である。信心修行の在り方を御教示された書である。
「如説修行抄」(御書501ページ)

如説修行

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 は 

白法隠没 (びゃくほうおんもつ)

末法の時代には釈尊の正しい仏法が滅びて功力(くりき)がなくなること。大集経五十五には、釈尊の仏法の功力のある期間は釈尊在世と釈尊滅後の二千年間(正法・像法を各一千年とする)で、その後は末法といい、白法(正しい教え)が隠没するとある。また、「御義口伝」には、釈尊の仏法の功力が失われた末法に三大秘法の御本尊が流布することが明かされている。
「撰時抄」(御書258ページ)
「御義口伝」(御書783ページ)

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発迹顕本 (ほっしゃくけんぽん)

竜の口の法難の時にこの出来事がおこる。
発迹顕本とは、「迹を発(ひら)いて本を顕(あらわ)す」と読む。凡夫の迹(仮の姿)を開いて、凡夫の身のままで久遠元初自受用報身如来という本地(本来の境地)を顕されたこと。竜の口の法難は、大聖人御自身の一代の弘教のうえで、極めて重要な意義をもつ出来事であり、発迹顕本以後、大聖人は末法の御本仏としての御振る舞いを示されていきます。

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煩悩 (ぼんのう)

衆生の心身を煩(わずら)わし悩ませるはたらき(精神作用の総称)。「惑」「結使」とも呼ばれる。正しい判断を狂わせ、仏道修行を妨げるものとされる。
貪(満たされず際限なく貪ること)・瞋(満足がいかないことへのいかり)・癡(根本の真理、正法を知らないおろかさ)の三毒が最も基本的なものとされる。
また、天台大師は煩悩を三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)に分類した。
「御義口伝」(御書801ページ)
「太田殿女房御返事」(御書1005ページ)

元品の無明

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煩悩即菩提 (ぼんのうそくぼだい)

煩悩がそのまま菩提(悟り)と一体不二であること。または、煩悩が悟りに転ずること。悟りを妨げる煩悩と悟りとが、それぞれ同一真如のあらわれであるから両者は相即すると見る大乗至極の法門。
つまり、煩悩のある生命に菩提(悟り)の智慧を現して、その智慧によって煩悩を正しくコントロール(制御)し、清浄で力強い生命主体(仏界)を確立すること。

真如

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誹謗正法 (ひぼうしょうほう)

正法を信じないで、誹ること。謗法(ほうぼう)ともいう。

毀謗

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毘沙門天 (びしゃもんてん)

四大天王の一つ。多聞天ともいう。仏の道場を守護する働きをもち、諸天善神の一神。

諸天善神四大天王

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不惜身命 (ふしゃくしんみょう)

「身命(しんみょう)を惜しまず」と読み、法華経勧持品第十三の文。
薬王菩薩、大楽説菩薩等の二万の菩薩が滅後の弘教を誓った言葉。
仏法求道のため、また法華経弘通のために身命を惜しまないこと
「我不愛身命」(法華経勧持品第十三)と「不自惜身命」(法華経寿量品第十六)は同じ意味である。
「御義口伝」(御書747ページ)

死身弘法

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不老不死の理 (ふろうふしのことわり)

世法では、「不老不死」を「老いもせず、死ぬこともない」という意味で使用しているが、仏法では、法華経薬王菩薩本事品第二十三に「若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」と説かれている法理。ここで説かれる「病」とは、病気も含めて人々の生命に巣くう三毒(貪・瞋・癡)の煩悩を指します。すなわち、一切の煩悩をも菩提(悟りの智慧)へと転換しゆく妙法の大功力を説かれた経文です。
日蓮大聖人は御義口伝で「不老は釈尊不死は地涌の類たり」(御書774ページ)と説かれています。
「如説修行抄」(御書502ページ)
「御義口伝」(御書774ページ)

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付嘱 (ふぞく)

法華経如来神力品第二十一では、釈尊から地涌の菩薩に末法弘通の使命を付嘱する儀式が説かれます。

地涌の菩薩

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仏性 (ぶっしょう)

仏の性分、本性のこと。仏果を得るための因としての一切衆生に具わっている性分のこと。
仏とは十界のなかの仏界をいい、性とは仏界の生命が本然的に具わっていて無始無終に存続していること。
「開目抄」(御書220ページ)

本有常住

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変毒為薬 (へんどくいやく)

「毒(どく)を変(へん)じて薬(くすり)と為(な)す」と読む。
大智度論巻百の「大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」の文に由来する。
天台大師はこの文をうけて、法華玄義巻六下に「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如し。二乗の根敗(こんぱい)して反覆すること能わざるを、之れを名づけて毒と為す。今経に記を得るは、即ち是れ毒を変じて薬と為す」と釈している。
空理に沈み、灰身滅智(けしんめっち)して永遠に成仏できないとされた二乗でさえも、法華経の功力によって成仏の記を受けたことを譬えている。
末法においては、三大秘法の御本尊の功力が一切衆生の煩悩や苦悩を転じて、即身成仏させること。
「四条金吾殿御返事」(御書1184ページ)
「太田入道殿御返事」(御書1009ページ)

天台大師即身成仏

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宝塔 (ほうとう)

七宝をもって荘厳した塔。
法華経見宝塔品第十一に説かれる、地より涌出した多宝塔。

法華経

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法華経 (ほけきょう)

@中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経』が最も広く流布しており、通常、法華経といえば『妙法蓮華経』をさす。八巻二十八品から構成されている。
A『法華経』は釈尊の説いた二十八品の法華経だけをいうのではない。創価学会戸田城聖第二代会長は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の二十八品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の摩訶止観、末法時代の法華経は日蓮大聖人が示された三大秘法の南無妙法蓮華経であるとした。その中でも、もっとも根本となるのは三大秘法の南無妙法蓮華経である。

無作三身摩訶止観多宝如来宝塔衆生所遊楽本因妙

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法華初心成仏抄 (ほっけしょしんじょうぶつしょう)

建治三年(1277年)、日蓮大聖人が五十六歳の時、身延から駿河国岡宮に住む妙法尼に与えられた問答形式の御書。
宗教の正邪や南無妙法蓮華経が末法弘通の大法であること、特に末法における初心成仏の義などの根本問題が明かされている。
「法華初心成仏抄」(御書544ページ)

妙法尼

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法華折伏破権門理 (ほっけしゃくぶくはごんもんり)

「法華の折伏は、権門の理を破す」と読む。天台大師の法華玄義巻九上にある。法華経と涅槃経を相対し、法華は折伏、涅槃経は摂受の教えであると説いた一節である。法華経は真実を説き方便を廃する折伏の教えであり、権経の理を打ち破っているとの意味。
「御義口伝」(御書774ページ)
「上野殿御返事」(御書1556ページ)

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法道三蔵 (ほうどうさんぞう)

中国・宋代の僧(1086〜1147年)
宋の第八代徽宗皇帝は老子・荘子の学を尊び、道教を重んじていました。宣和元年(1119年)に詔を発し、仏教の称号を廃して、道教の称号を用い、僧・尼に還俗を命じました。この暴挙にただ一人反対し、上書して徽宗皇帝を諌めたのが、法道三蔵でした。皇帝の怒りをかい、法道三蔵は顔に焼印を押され、江南の道州に流罪となります。しかし、翌年には仏教の称号を用いることが許され、法道三蔵も許されました。法道三蔵は、仏法厳護の姿勢を貫いて王に迫害され、不惜身命の実践者の好例といえます。
「開目抄」(御書230ページ)
「如説修行抄」(御書501ページ)
「佐渡御書」(御書957ページ)

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本因妙 (ほんいんみょう)

「ほんにんみょう」とも読む。法華経では、如来寿量品第十六の「我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず」の文が本因妙を明かしており、大聖人の場合は、南無妙法蓮華経を信じて題目を唱え名字の凡身を改めずして即身成仏すること。つまり、日蓮大聖人の仏法では、常に成仏の本因である妙法への信から出発して未来に向かって進んでいくことをいう。
「本因妙抄」(御書870ページ)

即身成仏法華経

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本未有善 (ほんみうぜん)

「本と未だ善有らず」と読む。
歴劫修行による善根を本来全く持たない、釈尊に全く縁のない末法の衆生をさす。
本とは、法華経迹門では、三千塵点劫の大通下種をいい、本門にいたっては久遠本果五百塵点劫の下種をいう。善とは歴劫修行によって積んだ善根をいう。未も已もともに釈尊の仏法についての衆生の機根を論じたもの。本已有善が釈尊の仏法有縁の衆生をいうのに対して、本未有善は釈尊と無縁の末法の衆生をいう。釈尊に縁のある衆生は、在世ないし正法・像法二千年の間に仏種を調熟し、ことごとく得脱したが、末法の衆生は三千塵点劫・五百塵点劫の下種も受けていない。当然、歴劫修行による善根もない。したがって、末法において仏に巡りあい成仏する以外に方法がないのである。
この本未有善の衆生に下種し得道させる仏法が日蓮大聖人の下種益、本因妙の仏法である。

本已有善

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本門 (ほんもん)

仏の本地をあらわした法門のこと。天台大師は法華経二十八品のうち後半の十四品、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八品までを本門としている。

一念三千天台大師本門の戒壇

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本門の戒壇 (ほんもんのかいだん)

本門の本尊安置の場所をいう。三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)の一つ。戒定慧の三学の上からは戒学にあたり、これが一切の戒に勝れるので虚空不動戒という。戒壇とは、本来は戒を授受する場所をいうが、末法では南無妙法蓮華経受持が持戒となるので、本門の本尊を安置し唱題する所が本門の戒壇となる。第二祖日興上人への身延相承書には「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」(御書1600ページ)と示されている。
「報恩抄」(御書328ページ)

本門

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本有常住 (ほんぬじょうじゅう)

本来固有で生滅変化することなく、三世にわたって常に存在すること。例えば、仏性が一切の有情・非情に本来平等に具わっており、無始無終の存在であることなどをいう。
法華経如来寿量品第十六に「常住此説法」とあるのは、常にこの娑婆世界に住し、一切衆生を度する仏の生命の常住を意味する。
久遠元初自受用報身如来が所持する南無妙法蓮華経という法そのものは、無始無終であり、本有常住である。
「一念三千法門」(御書414ページ)

仏性

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本已有善 (ほんいうぜん)

「本と已(すで)に善有り」と読む。
久遠の昔に釈尊から下種されて歴劫修行の結果、善根を積んでいること。また、釈尊の仏法によって得脱する衆生の機根をいう。本未有善(ほんみうぜん)に対する言葉。
法華文句には、釈尊の化導が摂受にあり、三世の諸仏の化導と同じく方便の諸経を説いて衆生を調機調養(じょうきじょうよう)した後に法華経を説いたとある。

本未有善

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本迹相対 (ほんじゃくそうたい)

「五重の相対」の一つ。
法華経の二十八品を仏の立場によって「本門」と「迹門」に分け、比較相対したものである。迹門とは法華経二十八品の前半の十四品をいい、本門とは後半の十四品をいう。
迹門は、爾前教(法華経以前の諸経)と同じく、始成正覚(インド伽耶城の菩提樹の下で初めて悟りを得たということ)の釈尊(迹仏)の立場で説いた法門である。
本門は、特に寿量品は、始成正覚の仏の仮の姿を開いて、久遠実成(実は久遠の昔に成仏していた)の釈尊(本仏)が説いた法門である。
つまり、久遠に成道したという釈尊の本地が明かされ、真実のうえに万人の成仏の道が示された本門が、迹門よりも優れていることはいうまでもないことである。

五重の相対

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 ま 

十字御書 (むしもちごしょ)

日蓮大聖人が身延から重須(おもす)殿女房に与えられた御消息。
重須殿女房は、駿河国富士郡重須(北山)の地頭、石川新兵衛能助(よしすけ)の妻で、南条時光の姉にあたる。
日興上人の折伏で入信し、妙一尊尼(みょういちそんに)の名を賜わっている。
御述作の年代は不明であるが、正月五日とあるので、年の初めに蒸し餅や菓子を御供養申し上げた御返事である。法華経を信ずる人の功徳などを説かれている。
《参考》十字(むしもち)とは、蒸し餅の異名で、十字形の割れ目を入れて蒸しやすくしたり、食べやすくしたのでこの名がある。

妙一尊尼

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文底独一本門 (もんていどくいちほんもん)

三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。

三大秘法

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文底秘沈 (もんていひちん)

文底秘沈は、「文(もん)の底(そこ)に秘(ひ)し沈(しず)む」と読む。
南無妙法蓮華経が法華経の文の奥底に蔵されていることで、妙法そのものをさすこともある。
日寛上人の「六巻抄」の「文底秘沈抄」「三重秘伝抄」にその奥義は講義されている。
「開目抄」(御書189ページ)
「本因妙抄」(御書877ページ)

日寛上人六巻抄

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摩訶止観 (まかしかん)

天台智(中国、隋の時代)の三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)の一つ。法華経の根本義である一心三観・一念三千の法門を顕し、それを己心に証得する修行の方途を示した書。天台大師の出世の本懐とされる。

一念三千出世の本懐天台大師十界互具法華経

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妙一尊尼 (みょういちそんに)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。鎌倉に住んでいた。
南条時光の姉にあたり、駿河国富士郡重須(北山)の地頭、石川新兵衛能助(よしすけ)の妻。
純真な信心を貫いて妙一尊尼の名を賜わった。また、十字御書の御返事をいただいたことでも有名。

十字御書南条時光

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妙一尼 (みょういちあま)

日蓮大聖人御在世当時の信徒。鎌倉に住んでいた。強盛な信徒で、所領も信仰のために没収されたが、なおも大聖人への御供養を怠らなかった。
なお、妙一尼は複数存在するが、いずれも不明である。
「妙一尼御前御消息」(御書1252ページ)
「妙一尼御前御返事」(御書1255ページ)

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妙法尼 (みょうほうあま)

日蓮大聖人は、次の四人を「妙法尼」と呼ばれている。
@静岡県、岡宮の人で、信仰厚く大聖人から信頼され『妙法尼御前御返事』などの御書をいただいた信徒。
A四条金吾の母。
B佐渡、中興入道の母。
C新田五郎重綱(日目上人の父)の母。

四条金吾法華初心成仏抄

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無作三身 (むささんじん)

本来のまま、ありのままの仏。末法の法華経の行者を無作三身の仏という。

法華経

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無二亦無三 (むにやくむさん)

「二無く亦(また)三無し」と読む。法華経方便品第二の文。十方仏土の中には二乗・三乗の法は無く、ただ一乗の法のみあること。

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 や 

唯有一乗法 (ゆいういちじょうほう)

「唯だ一乗の法のみ有る」と読む。法華経方便品第二の文。一切の教法はことごとく法華経に包摂され、唯一仏乗の教えのみあること。

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猶多怨嫉況滅度後 (ゆたおんしつきょうめつどご)

「猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」(なおおんしつおおし、いわんやめつどののちをや)と読む。法華経法師品第十の文。
釈尊の在世においてすら怨嫉(あだみ・ねたみ)が多いのだから、まして仏の滅後に法華経を弘める者はより多くの怨嫉を受け、大難にあうのは当然であるということ。滅後にも、正法、像法、末法とあるが、特に悪世の末法をさす。この経文を身業読誦されたのが末法の御本仏、日蓮大聖人である。
「如説修行抄」(御書501ページ)
「聖人御難事」(御書1189ページ)
「五人所破抄」(御書1613ページ)

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 ら 

立正安国 (りっしょうあんこく)

「正を立て国を安(やす)んずる」と読む。
正法によって国(社会)の平和・繁栄を樹立すること。
「立正安国論」(御書17ページ)

立正安国論

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立正安国論 (りっしょうあんこくろん)

文応元年(1260)七月十六日、日蓮大聖人が三十九歳の時、当時の最高権力者・北条時頼に提出された第一回の諫暁の書。
最初に、相ついで起こる天災・飢饉・疫病の原因は、世の人々が皆正法を捨てて悪法を信じていることにより国土を守護すべき善神が去って悪鬼・魔神が住みついているためとし、金光明経・大集経・仁王経・薬師経の四経の文を引かれて、正法を信ずる謗法を犯すことによって三災七難が起こると述べられている。本論では、当時民衆に最も広く信仰されていた念仏を主に破折されている。全体が客と主人の十問九答から構成され、客の最後の問いは主人の答えも兼ねている。
また、まだ起こっていない「自界叛逆難」「他国侵逼難」が競い起こることを予言したことは、有名である。
「立正安国論」(御書17ページ)

立正安国自界叛逆難他国侵逼難

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霊鷲山 (りょうじゅせん)

霊山(りょうぜん)ともいい、梵語のグリドウラクータを音写して耆闍崛山ともいう。この山で法華経が説かれたとされているので、霊山浄土ともいい、仏国土を意味するようになった。
古代インド摩訶陀国(まかだこく・現在のベンガル州)の首都、王舎城の東北にあった山の名。
御義口伝には、「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(御書757ページ)と末法における霊鷲山を示されている。

御義口伝

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歴劫修行 (りゃっこうしゅぎょう)

「りゃくこうしゅぎょう」ともいう。爾前の諸経の菩薩、二乗(声聞・縁覚)が無量劫にわたって修行すること。直達正観・速疾頓成(そくしつとんじょう)に対する語。
末法今時は、三大秘法の御本尊を受持し、題目を唱えることが即身成仏(一生成仏)の直道となる。
「開目抄」(御書196ページ)

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六巻抄 (ろっかんしょう)

大石寺第二十六世日寛上人の著作。正徳元年(1711年)日寛上人四十七歳の時、大石寺の学頭職に就き、蓮蔵坊に学寮を置いて御書の講義を始められた。この講義をまとめられたのが六巻抄である。
@三重秘伝抄第一・・・開目抄の「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(御書189ページ)の文について明かしている。
A文底秘沈抄第二・・・法華経本門寿量品の文底に秘沈された大法は三大秘法の南無妙法蓮華経であることを明かしている。
B依義判文抄第三・・・一切の経釈は義によって判読していくべきで、真実の依義判文は文底下種の三大秘法の義によって法華経等の文を判じていくことを明かしている。
C末法相応抄第四・・・要法寺日辰の読誦論義と造仏論義を破折して、正しい修行、正しい本尊の何たるかを示している。
D当流行事抄第五・・・当門流の正しい修行は、唱題を正行とし、方便寿量の両品読誦を助行とすることを明かしている。
E当家三衣抄第六・・・大石寺門流における三衣とは、法衣・袈裟・数珠であることを明かしている。

日寛上人開目抄文底秘沈

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六道 (ろくどう)

十界のうち、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界をまとめた表現。

十界互具

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Wordsworth - Version2.0.0 (C)1999-2001 濱地 弘樹(HAMACHI Hiroki)