『春秋左氏傳校本』(しゅんじゅうさしでんこうほん)

    


タイトル:春秋左氏傳校本(しゅんじゅうさしでんこうほん)

著者:左丘明

出版書写事項:嘉永三年庚戌(1850年)秋再板
       文化九年壬申(1812年)開板
       (早稲田大学蔵書と同等)

形態:三十巻全七冊 和装大本(B5版)

校読:秦鼎(尾張)

集解:杜預(晋)

音義:陸徳明(唐)

附:陸氏音義 杜預畧傳

三都書房:
 江戸 須原屋茂兵衛 須原屋伊八 山城屋佐兵衛 岡田屋嘉七
 京  風月堂庄左衛門
 浪華 炭屋五郎兵衛 河内屋喜兵衛 河内屋茂兵衛 内田屋惣兵衛
    象牙屋治郎兵衛 敦賀屋九兵衛 敦賀屋彦七 秋田屋太右衛門

目録番号:koten-0010006



春秋左氏傳校本』の解説

 「春秋」とは「魯春秋」とも呼ばれ、「春秋経」とも呼ばれる。中国の春秋時代の魯国の隠公元年(紀元前722年)から哀公十四年(紀元前481年)までの記録を記した年代記である。孟子(もうし・紀元前372年~289年)が「孔子春秋を作りて、乱臣賊子恐れる」と主張したことから、孔子(こうし・紀元前551年~479年)が「春秋」で大義(人間として守るべき道義・国家又は君主に対する忠誠)を叙述しているとされた。また、「春秋」は孔子が編纂した中国最初の編年体の歴史書ともいわれている。

 その後、この大義を解釈・研究する「春秋学」が生まれ、漢時代以降には「四書五経」(四書:「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経:「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)の五経の一つとして「春秋経」が確立され、封建社会では盛んに講義された。日本でも有名な「五経博士」は古代中国の官職であるが、五経それぞれに博士が設置され、古今に通じた博士は皇帝から意見を求められた。

 現在一般的に呼ばれている「春秋」は戦国時代から前漢までの間に纏められた「●●傳(伝)」と呼称される注釈書を指す場合が多い。現存しているものには、「春秋左氏傳(伝)」「春秋公羊傳(伝)」「春秋穀梁傳(伝)」の三つが存在し、これらを「春秋三伝」と呼んでいる。

 今回紹介するのは「春秋三伝」のうち美濃の秦鼎(はたかなえ・宝暦十一年・1761年~天保二年・1831年)が編纂した「春秋左氏傳」である。秦鼎は尾張藩の藩校である明倫堂の教授で能筆家でもあった。この「春秋左氏傳」は、一説では「魯国の太史」(漢書や論語註に記載あり)とも「孔子の弟子」(論語公冶長篇などから推測された)ともいわれた左丘明(さきゅうめい・生没年不明)が編纂した「春秋」の注釈書とされているが、定かではない。「春秋左氏傳」は、他の春秋伝と比べると豊富な資料を基に作成されており、240余年の戦乱の時代を克明に描写した秀作であり、春秋時代を知る重要な歴史書として流布した。また、この書籍は160余年前に発行された貴重な書籍でもある。

 そして、「春秋経」と「伝」がバラバラであったものを融合させて「春秋左氏傳集解」として纏め上げたのが西晋時代の杜預(とよ・222年~284年)である。彼曰く、「春秋左氏傳は充分に編者の左丘明の思想を究めておらず、公羊伝と穀梁伝は詭弁により解釈を混乱させている。」とのことである。春秋左氏傳集解の特徴は、「春秋左氏傳」の成立までの過程を克明に解説している点にある。今回紹介する秦鼎(尾張)校読の「春秋左氏傳校本」は、この杜預の集解に基づいて編纂された書籍で、藩校で使用した教科書でもある。杜預は、「三国志」の編者である陳寿(ちんじゅ・233年~297年)も身を寄せた人物で、荊州方面軍総司令官でもあり呉国平定の立役者ともいわれている。

 杜預は字を「元凱」といい、これは「春秋左氏傳」の文公十八年の条にある八人の王子「八元と八凱」に由来していると伝わる。博学で物事に通達していた彼は、「徳は企及を以てすべからず、功を立て言を立つが庶幾きなり」と興廃の本質を理解していた。魏国では不遇であったが、晋の太祖文帝である司馬昭(しばしょう・211年~265年)の時代には豊楽亭侯の爵位を受けた。なお、唐時代の詩聖と呼ばれた杜甫(とほ・712年~770年)は彼の子孫にあたる。

 杜預の逸話としては、「破竹の勢い」の故事成語が生れたことで有名である。呉国征討に際して、軍議で「長雨の時期ですから、疫病も発生します。冬を待ち再び攻めましょう。」との意見に対して、「楽毅は済水の一戦で燕を斉に比肩させた。今、兵威は振興し、譬えれば破竹の如し。数節も刀を入れれば、後は手を使うのみ。」と進言し進軍は決定され、呉帝の孫晧は降伏した。これは彼の読書の賜物が軍事に活かされた例である。しかし、晋書によれば、彼は乗馬が苦手で弓射も不得意であったことから、江陵の戦いの折には、篭城側は「杜預頸」(杜預の頸には瘤があったと伝える)と馬鹿にして瘤のある木を掲げた。杜預は城攻めで勝利した後、住民を皆殺しにしたと伝えている。

 日本での戦記物は「平家物語」や「太平記」などが存在するが、240余年にも渡る長期の戦乱時代を描いた「春秋左氏傳」に匹敵する戦記物は存在しない。福澤諭吉の「西洋事情」でも触れたが、福澤はこの「春秋左氏傳」を愛読し得意な分野でもあった。また、歴代の小説家たちも血沸き肉踊る故事を模範にして著述活動を展開している。

 最後に、今回紹介した「春秋左氏傳校本」を版行した風月堂庄左衛門(澤田重淵・元禄十四年・1701~天明二年・1782)は、江戸期から明治期まで京都を拠点に活躍した大書肆であった「風月堂」の当主である。儒学者でもあった庄左衛門こと澤田重淵は、宝暦から明和に活躍した当主で、素晴らしい仕事を残している。また、書肆生活が窺われる「風月庄左衛門日暦」は、当時の生活実態を刻銘に残している。

【参考】 中国哲学書電子化計画




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)七月作成