『古事記講義』(こじきこうぎ)

    


タイトル:古事記講義(こじきこうぎ)

著者:大久保初雄

出版書写事項:明治四十三年(1910年)十一版発行

形態:三巻全三冊 和装中本(A6版)

序:黒川真賴

発行者:鈴木常松

印刷者:堀越幸

関東販売所:勉強堂

関西販売所:修文館

目録番号:nihon-0010001



古事記講義』の解説

 「古事記」は、現代では「こじき」と呼ばれているが、かつては「ふることふみ」と読むのが通例であった。和銅五年(712年)に太安萬侶(おおのやすまろ・生年不詳~養老七年・723:安万呂または安麻呂とも呼称)が朝廷に献上した日本最古の歴史書である。しかし、原本は現存せず後世の書写本で和銅年間(708年~714年)の編纂が確認されている。また、太安萬侶は「本朝六国史」の一つである「日本書紀」の編纂にも関ったと伝えられている。

 「古事記」に関ったもう一人の編纂者に天武天皇の舎人である稗田阿礼(ひえだのあれ・生没年不詳)が存在した。稗田阿礼が誦習(しょうしゅう・暗記を意味するが、実際は物語の背景・意味・読み方を習い覚えること)していた歴史を語り、太安萬侶が筆記して朝廷に献上したと「古事記」の序に記載されている。

 「古事記」は、天武天皇が発案し、壬申の乱以後に飛鳥浄御原宮で編纂され、舎人の稗田阿礼が誦習したが、中断してしまう。それを惜しんだ天武天皇の姪の元明天皇(斉明天皇七年・661~養老五年・721)の命令で、太安万侶が編纂した。つまり、四人の立役者が創作して、神武天皇の東遷・倭建命の西征などをテーマとした建国物語であると推定されている。

 漢学者の太安万侶は、音と訓を交えて用いた独特の変体漢文により、万葉仮名を多用して記録した。そして、万葉集より古い文字と言葉を使っていることから、原作は奈良時代以前の著作に追記したのではないかとの説がある。また、「太安万侶は藤原不比等(ふひと・斉明天皇五年・659~養老四年・720)のペンネームではないか?」との説も存在している。

 そして、柿本人麻呂(斉明天皇六年・660~養老四年・720)は、「てにをは」を「而爾乎者」に充てた非略体歌(ひりゃくたいか)を得意としていることから、「古事記」の原作を著述したのではないか?とも伝わっている。ちなみに、私こと樹冠人は、「政治的記録にある藤原不比等は、歌を謳い上げる場合には柿本人麻呂のペンネームを使用したのではないか?」と推定している。

 同時代に編纂されたと推定されている二大歴史書の「古事記」と「日本書紀」には、大きな違いとして「出雲神話」がある。「日本書紀」は、天神(あまつかみ)を子孫とする天皇家による地上統治が重要で「出雲神話」は必要なかったと思われる。古事記に描かれている内容は、現代では「おとぎ話」のように思われているが、歴史的事実に基づいた壮大な歌物語である。

 上・中・下巻の全三巻で構成された「古事記」は、上つ巻(かみつまき)の三分の一が出雲神話で占められている。出雲王国は、日本海側から広大な国家を建設して東方へ征服を拡張し、大和朝廷を脅かす存在であった可能性が高い。

 「古事記」の記述を全体展望すると、「国生み」「黄泉の国へ」「天石屋」「八俣の大蛇」「大穴牟遅神の活躍」「大國主神の国譲り」「天孫降臨」「海幸彦と山幸彦」「倭建命の東奔西走」そして、「神武天皇」「応仁天皇」「仁徳天皇」「推古天皇」などの事歴の時が流れる。

 今回紹介する「古事記講義」は、上巻には「天の御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊まで」、中巻には「神武天皇から応神天皇まで」、下巻には「仁徳天皇から推古天皇まで」の歴史的事跡を解説した書籍である。特に、上巻では「桃の力」「三十一文字(みそひともじ)の始まり」、中巻では「神倭伊波礼毘古命(神武天皇)の東国遷都」「八咫烏(やたがらす)」「十二道・十二国の区分」「千字文」、下巻では「河内国の歴史」「交野郡の話」「近江国」「厩戸皇子」などが興味深かった。

 「古事記講義」の著者の大久保初雄は、「祝詞式講義」「古語拾遺講義」などの講義著作や「国文小事典」などの字典類の著者としても有名であった。「古事記傳」で有名な本居宣長(もとおりのりなが・享保十五年・1730~享和元年・1801)の孫にあたる本居豊穎(もとおりとよかい・天保五年・1834~大正二年・1913)に師事した明治期の国文学者である。

 本居宣長は、芝蘭・春庵などと号した江戸期の医者で国文学者である。賀茂真淵(かものまぶち・元禄十年・1697~明和六年・1769)に入門し、「万葉集」の註釈から始めることを薦められ「万葉集問目」を遺した。「源氏物語」「日本書紀」などの研究に励んで、江戸期には解読不明となっていた「古事記」の読解に努め、国学の道を追究した。孫にあたる本居豊穎は、紀州藩本居家の四世当主で、東宮侍講を勤め、御歌寄人として和歌の隆盛を願った。なお、「古今集講義」「秋屋集拾遺」などの著作がある。

【参考】賀茂真淵について

 賀茂真淵(かものまぶち・元禄十年・1697~明和六年・1769)は、賀茂神社の末社の神官の家に生まれ、御三卿の田安徳川家に仕え、荷田春満・平田篤胤・本居宣長と共に「国学の四大人(しうし)」と呼ばれた。古代日本人の精神を探求して「歌意考」「万葉考」「国意考」「祝詞考」「文意考」「五意考」「冠辞考」「神楽考」などを著述した。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十四年(2012年)五月作成