『長谷雄草紙』(はせおぞうし)

    


タイトル:『長谷雄草紙』(はせおぞうし)

著者:不明

出版書写事項:昭和五十二年(1977年)印刷発行
       日本絵巻大成11収録

形態:全一冊(図版A3版)

編者:小松茂美

執筆者:小松茂美・村重寧

発行者:高梨茂

発行所:中央公論社

目録番号:nihon-0030002



長谷雄草紙』の解説

 今回紹介する『長谷雄草紙』は、中央公論社(中央公論新社)が編纂した日本絵巻大成の第11巻に収録されている書籍である。編者・執筆者の小松茂美(こまつしげみ・大正十四年・1925~平成二十二年・2010)は、山口県岩国市に生れた美術史学者で源氏学者の池田亀鑑に師事し「古筆学」を提唱樹立した文学博士である。村重寧(むらしげやすし・昭和十二年・1937~)は、日本絵画史・やまと絵史を専門とする美術史学者である。

 『長谷雄草紙』(はせおぞうし)は、平安時代初期に活躍した紀納言こと紀長谷雄(きのはせお・承和十二年・845~延喜十二年・912)を主人公とする絵巻物で、現在では「永青文庫」が所蔵する重要文化財にも指定されている絵巻物である。江戸時代以前の伝来は不明であるが、 江戸時代に徳川将軍家の宝物(柳営御物)に秘蔵されてからは模本(東京国立博物館収蔵)によって存在を知られ、徳川光圀が編纂させた『大日本史』に詳細が記載された。

 柳営御物は江戸開城の際に上野寛永寺に移されたが、彰義隊の戦火を受け消失または散逸の運命をたどり行方不明となる。しかし、昭和初年に細川護立(ほそかわもりたつ・明治十六年・1883~昭和四十五年・1970)が細川家の宝庫に健在であったことを見つけ世に知られた。

 重要文化財の『長谷雄草紙』を所蔵する「永青文庫」は、今は遠き武蔵野の面影を留める目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した細川家の広大な屋敷跡の一隅にある。細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まる。

 そして、武人藤孝は優れた歌人・国文学者として、また、信長の雑賀征伐に弱冠十五歳で初陣し先駆けの功に輝いた忠興(三斎)は千利休の高弟の一人としても名高く、その室は明智光秀の娘ガラシャの洗礼名で知られている。代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功を挙げて、三代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至り、この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫である。

 鎌倉時代から南北朝時代頃に成立したと推定されているこの物語の基本構造は、平安貴族たちの公家滑稽譚が伝播して民間説話として成立し、特に構造が「鼻高扇」などと酷似していることから、笑い話の始まりの一つではないかと推定され、また、後の室町時代から江戸時代に制作される『御伽草紙』の原型ではないかともいわれている。また、馬飾りをつけた馬・牛車・店・荷車・子を負う女・子供達の褌・曲物の酒肴をかつぐ男・双六・厨子棚・柱松・続松などの当時の風俗を窺うことができる場面が少なくない。

 紀長谷雄(きのはせお・承和十二年・845~延喜十二年・912)は、図書頭・文章博士・大学頭などを歴任した参議で、醍醐天皇の侍読となり中納言にも昇進した。菅原道真や大蔵善行に師事し、道真の建議により中止となった最後の遣唐使の副使に抜擢され、『菅家後集』の編纂にも携わった漢学者であった。また、「学九流にわたり、芸百家に通じた」と評判の高かった長谷雄は、一説では『竹取物語』の作者ではないかとも推定されている。ちなみに、学九流とは「儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家」の九つの学派のことである。

 わずか五段の短篇である『長谷雄草紙』に描かれている物語の流れを概説すると、

 ある夕暮れに、双六の名手でもあった長谷雄のもとに、妙な男が現れて双六の勝負を申し込んで来た。長谷雄は怪しみながらも勝負を受けて立ち、勝負の場として長谷雄が連れて来られたのは平安京の朱雀門であった。そして、その男は長谷雄を担ぎ上げて朱雀門の楼上にするすると昇った。実は、この男は朱雀門に棲む鬼が化けた姿であったのである。

 長谷雄はこの勝負に全財産を賭け、鬼は絶世の美女を賭けると言い、双六の勝負は長谷雄が勝ち続けたのである。その後、勝負に敗れた鬼は美しい女性を連れて長谷雄のもとを訪れ、百日間この女に触れてはならないと言い残し、女を置いて立ち去った。

 長谷雄は最初は言いつけを守っていたものの、八十日が過ぎる頃には我慢ができなくなり、ついにこの女と契ってしまった。この女は、鬼が数々の人間の死体から良いところばかりを集めて作り上げたもので、百日経てば本当の人間になるはずであったが、女の体は水と化して流れ去ってしまったのである。

 それから三月経ったある日、長谷雄の乗る牛車のもとにあの鬼が再び現れ、長谷雄の不誠実を責めて襲い掛かってきたが、長谷雄が北野天神を一心に念じると、天から「そこを去れ」との声があり、鬼は消えるように去って行ったのである。

 『長谷雄草紙』に描かれた物語は、北野天満天神の威力を示す逸話であるが、朱雀門に棲んでいたと伝わるこの鬼は、多くの鬼が出現したといわれた平安京の都でも最も恐れられたものであるが、この鬼は笛を嗜む芸才もあったと伝承されている。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十六年(2014年)一月作成