『頼山陽 日本政記』(らいさんようにほんせいき)

    


タイトル:頼山陽 日本政記(らいさんようにほんせいき)

著者:安藤英男(1927年~1992年)

出版書写事項:昭和五十一年(1976年)一月 初版発行

形態:一巻全一冊

発行所:白川書院

目録番号:win-0010007



頼山陽 日本政記』の解説

 今回の「頼山陽 日本政記」は、頼山陽(安永九年・1780~天保三年・1832)の代表的著述である「日本政記」の論文を、著者の安藤英男(1927年~1992年)が現代語訳で紹介したものである。

 頼山陽の日本政記(以下、政記と表記)の解説は、文久紀元版明治十七年版である程度説明したので、重複のないように、頼山陽の思いと執筆状況を説明しながら、原著者の頼山陽に対する思いも含めて提示することにした。

 頼山陽は、天保三年(1832年)六月、京都の自邸「水西荘」(「山紫水明処」が京都に現存)の離れで政記を執筆していたが、突然血を吐いた。驚いた家人は有名な蘭方医で主治医の小石元瑞と新宮涼庭を迎えに行った。戻って見ると、山陽は平然と机に向かい稿を続けていたという。

 山陽の主治医は、肺血疾(はいけっしつ)と診断し、「これは永いあいだの過労がこうじたもので、とても助かる見こみはない。」とありのままを言ったという。山陽はすこしもあわてなかった。好きな煙草も酒(銘酒「剣菱」を愛飲していたと伝えられている)もやめ、専ら政記の完成に力を注いだのである。

 政記は、百七篇の「記事」と九十二篇の「論文」で構成されている。「記事」は、歴代天皇の在位年代をおって、重要な事件を簡潔に記録し、「論文」は、山陽の真骨頂である政治見識を表明した部分である。時間の猶予のないことを悟った山陽は、門人の関藤藤陰に百七篇の「記事」の完成を任せ、九十二篇の「論文」は自力で書き進めた。

 実は、政記の構想の裏には広島藩に仕えた父の頼春水(延享三年・1746~文化十三年・1816)の国史編纂の中断という苦い記憶があったことに起因している。そして、国史編纂の事業は父の遺志でもあったのである。幕府の圧迫により中断を余儀なくされた父の無念の情があるゆえに、「日本外史」の発表に細心の注意をはらい、「日本政記」の脱稿にも血のにじむ思いで臨んだのである。

 「頼山陽 日本政記」の著者は、「解題」で山陽の信条を七項目にまとめて提示している。

(イ)民本主義を根底におけ
 君王が末で、人民が本である。君王は人民のために立てたもので、君王のために人民があるのではない。だから君王は、人民を天の預りものとおもい、おそれ慎んで、これを培養しなければならない。

(ロ)人君は天をおそれよ
 天行は健であり、天の配剤は至妙である。国の最高権力者は、最高責任者でもあるから、たえず天をおそれ、天の負托、あるいは租宗の神霊にこたえて、人民の心を安んじなければならない。

(ハ)天皇は国家の機関である
 天子の位は、天下の公器であるから、これを私に弄(もてあそ)んではならない。だから皇位の継承も、嫡子であると庶子であるとを問わない。人民のために、最善の人を選べばよい。人民の幸福に背馳するときは、その天子を廃するのも已むをえない。

(ニ)最大多数の最大幸福をはかれ
 およそ人君の徳というものは、官吏の一人や二人を喜ばせるような、そんなさもしいものであってはならない。国家を治める道は、日に月に行政を簡素化し、官員を淘汰することである。そうすれば人民は、綽然(しゃくぜん)として余裕があるようになり、国家は盛んになるのである。

(ホ)チープ・オブ・ガバーメントを理想とせよ
 人民にとっての最大幸福は、国家の重圧が感じられないこと、つまり租税や課役が軽いことである。このため政府は、なるべく身軽になることである。そうすれば財政にも余裕が生じ、人民も富裕になって、礼節を知るようになるのである。

(ヘ)入るをはかって出ずるを制する
 国の費用が足りなくなるのは、君王が人民に培わないからである。人民を保全しようとおもうならば、自から節約して歳出を切りつめなければならない。いつの時代でも、省いていい官吏の冗員があり、やめてもいい公共事業があるものである。

(ト)愛民の人才を親任せよ
 郡県制度は、郡宰---------知事---------が世襲でないことでも、封建制度より善美である。天下の経営には、門地門閥にとらわれることなく、愛民の人才を簡抜し、信じて任せることである。


 さて、読者の皆様はいかように思われますか?

 徳川幕府最盛期の将軍家斉の時代に書かれた論文とは思えない大胆かつ率直な意見ではないでしょうか。

 山陽の苦心の甲斐もあって、幕末に向かって日増しに愛読者が増えたが、明治政府の基礎が固まると、「多くの伏字」「中味の改ざん」「一部のカット」の偏見を潜り抜けなければ刊本にはならなかった。なぜかといえば、人民の幸福を守る「護民」の精神は、尊敬する皇室に対しても破邪顕正の利剣をかざすことも躊躇しなかったからである。頼山陽の著作において、江戸期と明治以降の書籍が必要なわけがご理解いただけたであろうか。

 私こと樹冠人は、この意味からも読書をする場合において、原書・原典主義を貫き通している。なぜならば、心血を注いで生み出した著者の思いがこもった書籍と格闘しなければ、真実の「良書」とはならないからである。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)八月作成