『新策正本』(しんさくせいほん)


タイトル:新策正本(しんさくせいほん)
著者:頼襄子成(頼山陽)
出版書写事項:安政二年(1855年) 初版発行
形態:六巻全三冊 和装大本(B5版)
序:後学 杉本貞健
同校:男 頼復 頼醇
発行書林:五書房合梓
目録番号:win-0010010
『新策正本』の解説
頼山陽(安永九年・1780~天保三年・1832)の「新策正本」については、「校正通議」である程度説明したが、山陽が二十五歳の文化元年(1804年)には脱稿して、文化四年(1807年)に補稿している。そして、天保元年(1830年)に「通議」と改編して脱稿が完成した。
山陽としては「通議」として甦らせた後は、独立した論稿として世に問う意思はなかったようである。しかし、山陽の没後、杉本貞健がこれを惜しみ、山陽の遺児である頼復(支峰)と頼醇(三樹三郎)の両人に請うて、安政二年(1855年)に刊行している。それが今回紹介する書籍である。「通議」に至るまでの経過は、「頼山陽 通議」で説明したので、「新策例言」を提示して「新策」と名づけた趣旨を説明しておこう。
【新策例言】
賈生(賈誼・かぎ)は『新書』と日い、陸生(陸贄・りくし)は『新語』と日いしは、其の一人の創意の私言を謂い、天下素行の公議に非ざればなり。今亦、新を以て書に名づくるは、すなわち是の意のみ。然れども、「新書」「新語」は、今や通行(流行)の名たり。以て自ら別つなし。故に『新策』と日う。策は書策、簡策の策にして、策略、籌策(ちゅうさく)の策に非ざるなり。或ひと日く、「書簡、多く国事を論載す。すなわち以て史策の策と為すか、如何に」と。吾れ対えて日く、「これを要するに三義あり。吾れは人々の取る所に随いて、これに応ぜん。」と。
賈誼(紀元前200年~紀元前168)は中国・前漢時代の文帝に信任され、当時の丞相に嫉まれて左遷時代があるが、大変文章に優れていた政治思想家・文章家である。『新書』とは、「鵬鳥賦」や秦を批判する「過秦論」などの散文をまとめたもので、十巻五十八篇で構成されている。また、陸贄(754年~805年)は「唐陸宣公奏議」「公奏集」などで有名な中国・唐時代の政治思想家で、『新語』とは、二巻十二篇で構成され、その主意は王を尊び、覇を斥け、修身に帰するといわれている。日本では天子を尊び覇者(武家幕府)を賤しむ「尊王賤覇(そんのうせんぱ)」の思想となる。
ちなみに、通議の初出版は天保十一年(1840年)であるが、吉田松陰は長崎滞在中に天保十三年版の新策を読んでいる。以後、松陰は頼山陽の主要著作を読破している。比較的早い段階から頼山陽を研究していたことがわかる。
なお、この書籍の校正の記名は頼復・頼醇(らいじゅん)となっているが、「頼醇」とは、安政六年に大獄で処刑された頼山陽の子で「頼三樹三郎」である。この書籍の出版は安政二年であるから三樹三郎が生存していた時の校正書籍として貴重である。
所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
平成二十二年(2010年)八月作成