『東行先生遺文』(とうこうせんせいいぶん)

    


タイトル:東行先生遺文(とうこうせんせいいぶん)

著者:高杉晋作(たかすぎしんさく)

出版書写事項:大正五年(1916年)五月十四日 初版発行

形態:一巻全一冊 (A5版)

編者:東行先生五十年祭記念會

発行者:高杉春太郎

印刷者:渡邊為蔵

発行所:民友社

目録番号:win-0020008



東行先生遺文』の解説

 東行先生とは、長州藩の「奇兵隊」を創設したことで有名な高杉晋作(天保十年・1839~慶應三年・1867)のことである。松下村塾では久坂玄瑞と共に「松下村塾の双璧」と呼ばれ、吉田松陰からは「識の高杉、才の久坂」と期待された。柳生流免許皆伝の剣客であり、優れた漢詩も遺した文武両道の志士である。明治の夜明けを見ることが出来なかった晋作も、動乱の幕末を颯爽と壮絶に生きた丈夫の一人であった。また、短命ではあったが膨大な書翰・日記・手録・詩歌を遺している。

 今回紹介する書籍は、高杉晋作(以下、晋作と表記する)の死去後五十年の祭典で遺墨遺品を展観した折に、「東行先生五十年祭記念會」(発起人・山縣有朋以下十九名)が編纂したものである。なお、発行者は晋作の孫の高杉春太郎である。

 まず、この本の総目次を見ると、略系・年譜・書翰・日記及手録・詩歌文章・東行遺稿・略傳となっている。特に、諸言で説明がされているが、明治二十年に田中光顕らが編纂した「東行遺稿」が掲載されている点が貴重な資料である。読書家でもあった晋作の「識の高杉」と謂われる所以が、手に取るように窺える遺稿である。

 例えば、東行遺稿の巻上の冒頭の句は「自笑」と題した五言絶句で始まる。

 「百年如一夢 何以得歎娯 自笑平生拙 區區學腐儒」

【現代訳】
 百年は一瞬の夢のようである。何をもって喜んで楽しく過すことができるであろうか。平生の生き方を自ら笑うしかない。毎日毎日、古臭い儒学を学んでいるのだから。

 この句は、晋作が藩校の明倫館で学んでいた頃の詩とされている。まさに、役にも立たない坦々とした儒学の講義を聴く日々を過ごす晋作の歎きが読み取れる句である。ただし、何句か記載された後に、東北遊歴した万延元年頃に常陸の笠間に加藤有隣(かとうありちか・文化八年・1811~明治十七年・1884)を訪問した時の作と思われるが、「書傳習録後」と傳習録(中国の明の時代、王陽明の儒学の教えで、陽明学の入門書)を読んだ感動を句に認めたものが掲載されている。吉田松陰の薫陶を得た後、松陰が獄死した後の成長が窺える句でもある。

 また、この東行遺稿の巻上には、師と同じく元治元年三月から六月まで野山獄に投獄された折の「投獄集」(獄中手記)に、夥しい読書記録が掲載されている。「読書七十葉余」などと認めた後に、七言絶句や五言絶句が記載されている。毎日のように認めた全1930葉余の読書記録である。そして、五月二十日に「先師二十一回猛士文稿」を校閲し、謄写している。

 木戸孝允(桂小五郎・天保四年・1833~明治十年・1877)作と伝えられ東行先生が愛唱していた都々逸(どどいつ)に、「三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい」(又は、「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」)とあるが、動乱の時代の中にも、粋な志士たちの人となりを伝えている絶妙な一節である。

 三千世界は仏法用語であるが、東行先生の辞世に、「おもしろき こともなき世に おもしろく」ともある。これはまさに、晋作の生きた人生そのものを表現していて、しみじみと法華経如来寿量品第十六に説かれる「衆生所遊楽」を考えさせられる一節でもある。

 やはり、偉人と呼ばれる人の読書量は半端ではない、と共に、人間は読書に没頭する期間が必要であることを痛感する。また、池田大作先生の「若き日の読書」で、尾崎士郎の著作「風霜」を紹介する章の書き出しが、読書に関する戸田城聖先生の指導から語り始められている訳を、この「東行先生遺文」を読んで初めて理解できたのも良き思い出である。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十二年(2010年)十月作成