『古文真寶』(こぶんしんぽう)

    


タイトル:古文真寶(こぶんしんぽう)

編者:黄堅

上部出版書写事項:正徳二年(1711年)猛春板
形態:和装大本(B5版)
書坊:林久次郎・同源兵衛

下部出版書写事項:安政四年(1857年)三版
形態:和装大本(B5版)
書坊:平安書林光徳坊 永田調兵衛蔵

目録番号:koten-0010001



古文真寶』の解説

 「古文真寶」は、中国の漢から宋の時代までの古詩(古歌)や文辞を収録した書籍である。成立過程などは定かではないが、元の時代に活躍した黄堅(こうけん)が編纂したと伝わっている。前集には古詩(古歌)を後集には文章を収めた漢詩文のダイジェスト版である。

 この書籍は、日本では室町時代の初めに伝来し、京都五山の学僧などが盛んに読んで広まり、江戸時代には注釈書が多く出版された。また、江戸時代には「唐詩選」「文章軌範」とともに、初学者の必読書として漢学の教科書ともなった。今回紹介する正徳二年(1711年)発行の「古文真寶」は、300年前の書籍でもあり江戸期の貴重な書籍でもある。

 「唐詩選」や「文章軌範」は唐宋時代の詩文を収録しているが、「古文真寶」は古詩・楽府・六朝詩・三国歌・唐宋の名文などを収録している。古文とは質実剛健・質実古風の意味が含まれている。「古文真寶」を編纂した精神は、いわゆる古詩(古歌)の復興・革新運動の一環として生れたものである。前集は勧学文・五言古風詩・七言古風詩・長短句・歌・行・吟・引・曲の十一体217編で構成され、後集は辞・賦・説・解・序・記・箴・銘・文・頌・伝・碑・弁・表・原・論・書の十七体67編で構成され文体別に配列されている。古文復興運動に有益な優れた詩文を収録しているため、漢学の教科書として重宝されたものである。

 なお、中国において現代では、「古文真寶」に替わり「古文観止」が教育現場の主役となっているようであるが、日本においてはやはり「古文真寶」が活用されている。いまだに語り継がれている有名な詩人たちを生存年代順に列記しておこう。

諸葛亮(しょかつりょう・181年~234年)⇒「出師表」「後出師表」で有名な諸葛亮は、蜀漢時代の政治家・発明家・丞相で、字は孔明、自らを伏龍・臥龍とも呼んだ。「三国志」では劉備玄徳の創業を助け蜀漢建設の立役者となり、跡継ぎの劉禅を補佐して北伐に際して上奏した「出師表」はあまりにも有名である。また、偽作の議論が絶えない「後出師表」も「古文真寶」では堂々と記載されている。

王羲之(おうぎし・303年~361年)⇒「蘭亭序」で有名な王羲之は、東晋時代の政治家・詩人・書家で、王氏出身の門閥貴族でもあり右軍将軍でもあった。書家としては「書聖」と呼ばれ、唐時代の顔真卿(がんしんけい・709年~785年)と共に、書道界では「二大宗師」と呼ばれている。書道の革命家でもある王羲之は、日本では平安貴族の社会に大きな影響を与えている。ちなみに、伝教大師(最澄)の書風は王羲之の影響を受けているといわれている。

陶淵明(とうえんめい・365年~427年)⇒「帰去来辞」で有名な陶淵明は、中国の理想郷を指す「桃源郷」の話を題材にした散文「桃花源記」を著したことで有名である。この「桃源郷」は秦末の戦乱から逃れて移住した人々が建設した桃の花香る里村のことで、「隠遁思想」や「仙人思想」を生み出した理想郷である。

李白(りはく・701年~762年)⇒「春夜宴桃李園序」で有名な李白は、唐時代を代表する詩人で、「詩仙」とも呼ばれ、字は太白、号は青蓮居士。詩歌史上では杜甫(とほ・712年~770年)と並び賞賛され、奔放でダイナミックな詩を創出して、六朝以来の集大成を成し遂げた最高の存在と言われている。遣唐使で有名な阿倍仲麻呂(中国名は晁衡・698年~770年)との交友関係を窺わせる「晁卿衡を哭す」を詠んだことでも有名である。

韓愈(かんゆ・768年~824年)⇒「師説」「送孟東野序」「原道」で有名な韓愈は、唐時代を代表する文人で、唐宋八大家の一人である。「韓文公」とも呼ばれて、古文復興運動の魁でもあり唐宋八大家の筆頭に掲げられている。この運動に共鳴して立ち上がった柳宗元(773年~819年)と併せて「韓柳」と呼ぶ場合もある。また、韓愈の薫陶を受けた「韓門の弟子」を数多く輩出した。

柳宗元(りゅうそうげん・773年~819年)⇒「桐葉封弟弁」で有名な柳宗元は、唐時代の政治家・文人で、日本では出身地の河東(現在の山西省)から「河東先生」と呼ばれ親しまれている。また、韓愈とともに唐宋八大家の一人として古文復興運動を推進した自然派散文詩人である。

杜牧(とぼく・803年~853年)⇒「阿房宮賦」で有名な杜牧は、唐時代の詩人で、豪快な七言絶句を得意とする詩人である。また、杜一族は「小杜」と呼ばれた杜牧、「老杜」と呼ばれた杜甫、そして杜佑や杜荀鶴など優秀な詩人たちを輩出した。

范仲淹(はんちゅうえん・989年~1052年)⇒「岳陽楼記」で有名な范仲淹は、北宋時代の政治家・文人で、字は希文、宋の士大夫として欧陽脩とも天下を論じて気骨ある政治家でもあった。散文に優れた范仲淹は「岳陽楼記」で「天下を以て己が任と為し、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」と詠い、「後楽園」の由来ともなったことは有名であった。

欧陽脩(おうようしゅう・1007年~1072年)⇒「秋風賦」で有名な欧陽脩は、北宋建設に力を注いだ政治家・詩人・歴史学者で、唐宋八大家の一人である。欧陽脩は裕福ではない家庭に生を受け、独学で科挙試験の合格を勝ち取った秀才である。改革派の范仲淹を弁護して左遷されるなど数回の左遷を経験して、返り咲く度に中央の要職に就任するという逸材であった。唐宋八大家の蘇洵や蘇軾や蘇轍や王安石は彼に登用された逸材たちである。

司馬光(しばこう・1019年~1086年)⇒「諫院題名記」で有名な司馬光は、北宋時代の政治家・儒学者で、特に日本では「資治通鑑」の編者として良く知られている。そして、保守派の司馬光は改革派の王安石と論争したことでも有名であった。

王安石(おうあんせき・1021年~1086年)⇒「読孟嘗君伝」で有名な王安石は、北宋時代の政治家・詩人で、政治改革のリーダーとして特権階級と衝突した勇士である。また、唐宋八大家の一人で、儒教の「周礼」「詩経」「書経」に対する新解釈を推進した立役者でもある。

蘇洵(そじゅん・1009年~1066年)⇒蘇洵は北宋時代の文人で、唐宋八大家の一人である。また、唐宋八大家の蘇軾や蘇轍の父でもある。あらゆる学問に精通し、欧陽脩に「権書」などの著書を献上したことで有名である。

蘇軾(そしょく・1036年~1101年)⇒「前赤壁賦」「後赤壁賦」で有名な蘇軾は、北宋時代の政治家・詩人・書家で、唐宋八大家の一人である。号の東坡居士から蘇東坡(そとうは)とも呼ばれている。「赤壁賦」は三国志で有名な古戦場の「赤壁」を詠ったとされるが、実際はちがうようである。現代では蘇軾が詠んだ場所を「文赤壁」とし、古戦場の場所を「武赤壁」と呼んでいる。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)五月作成