『正文章軌範』(せいぶんしょうきはん)

    


タイトル:正文章軌範(せいぶんしょうきはん)

著者:謝枋得

出版書写事項:明治二十七年(1894年)六月三十日発行
       大阪 田中宋栄堂梓

形態:七巻全三冊 和装大本(B5版)

文章軌範序:王守仁(王陽明)

講義:頼山陽

筆記:牧百峰

書:頼復

評本:文章軌範序:亀谷省軒

序:近江 確堂学人 中村鼎五

編輯者:中村鼎五

発行者:田中太右衛門

印刷者:大和田和助

目録番号:koten-0020003



正文章軌範』の解説

 「唐宋八大家文讀本」で説明したように、唐国時代には八大家の筆頭に掲げられた韓愈(かんゆ・768年~824年)やその趣旨に賛同した柳宗元(りゅうそうげん・773年~819年)が、当時流行していた華美な四六駢儷体(しろくべんれいたい)に対して、質朴たる古文を尊ぶべきであると主張した古文復興運動が展開され、六朝時代の老荘趣向を改め、経世済民を旨として積極的に社会と交わる流れが確立した。

 その意(こころ)が北宋の欧陽脩(おうようしゅう・1007年~1072年)に受け継がれ、その門人である曾鞏(そうきょう・1019年~1083年)・王安石(おうあんせき・1021年~1086年)・蘇洵(そじゅん・1009年~1066年)・蘇軾(そしょく・1036年~1101年)・蘇轍(そてつ・1039年~1112年)が古文復興の精神を受け継ぎ散文の主流を形成し、彼らの文章が模範型となって伝えられた。

 「文章軌範」は、中国の南宋時代の謝枋得(しゃぼうとく・1226年~1298年)が編纂したものであるが、謝枋得は南宋末期の政治家で、当時の国境守備隊長である。後に、宰相となる賈似道(かじどう・1213年~1275年)を批判し疎まれて左遷され、最前線で元軍と戦うが南宋滅亡を見ることになる。南宋滅亡後、彼は姓を変えて占いで生計を立てながら門人を抱えたという。そして、元国からの誘いに対しては「亡国の大夫」であると拒絶するが、元国からの再三の強要に屈して北京に赴く、しかし道中から断食を始め北京到着後、壮絶な死を迎える。

 また、元国・明国の時代に註釈が加えられ、特に王守仁こと王陽明(1472年~1529年)が序を寄せるなど、中国では重く扱われた書籍でもある。「古文真寶」「唐詩選」などと同様に科挙試験用の教科書・参考書として重宝された。この書籍の特徴は、第一巻から順番に学習すれば、次第に高尚な作文技法が習得できるように配慮されていることである。つまり、この書籍を勉強すれば高位高官のポストを獲得できる可能性を秘めた珍本でもあった。

 この書籍には模範文例となる十五家・六十九篇が全七巻に収録されているが、王守仁こと王陽明が序で述べているように「放膽文」や「小心文」に解説文を追加して全七十六篇を収録した。八大家の筆頭に掲げられた韓文公こと韓愈の文章が約半分の三十二篇、蘇東坡こと蘇軾の文章が十二篇と続き、柳宗元と欧陽脩の文章が各五篇など、「帰去来辞」と「出師表」を除けば全て唐宋時代の文章を収録している。

 日本においては、「文章軌範」は室町時代には紹介されて「古文真寶」「唐詩選」と共に漢学の教科書となり、江戸時代には多くの版元から出版されて広く流布した。江戸幕末には勤王の志士たちの間で盛んに読まれ、知識層に大きな影響を与えた書籍である。

 今回紹介する「評本正文章軌範」は、「頼山陽 関連書籍」で解説した頼山陽(安永九年・1780~天保三年・1832)が講義したものを門人の牧百峰(享和元年・1801~文久三年・1863)が増補筆記した論評を掲載している貴重な書籍でもある。また、この書籍は明治時代の漢学者・教育者の中村鼎五が編輯したもので、現代に至っても読み続けられている書籍でもある。

 編輯者の確堂学人こと中村鼎五(天保三年・1832~明治三十年・1897)は、江戸幕末に生まれ明治時代に活躍した近江国の漢学者で、埼玉県と滋賀県に貢献した教育者でもある。父の中村和は近江水口藩の翼輪堂の教授を勤め藩政に貢献した人物である。鼎五は明治維新後に太政官の歴史課に勤務し明治維新の歴史の編纂に従事した。なお、同僚には「西郷南洲先生遺訓」で解説した重野安繹(文政十年・1827~明治四十三年・1910)がいた。後に、埼玉と滋賀の師範学校長を歴任して地域教育に貢献したことでも有名であった。

 序を寄せた亀谷省軒こと亀谷行(せいけん・天保九年・1838~大正二年・1913)は、対馬府中藩の藩士で漢学者である。遊学禁止の禁を破り広瀬旭荘(文化四年・1807~文久三年・1863)に学び、後に岩倉具視(文政八年・1825~明治十六年・1883)に仕える。明治新政府においては政府の機密文書の点検などに携わり、この頃に安井息軒(寛政十一年・1799~明治九年・1876)に巡り会い経学を学ぶ。明治六年に退官して「光風社」を設立して著作活動に専念し、「詠史楽府」「省軒文稿」「論語管見」「孫子略解」など多数の著作を遺した。また、蔵書家としても知られていた。

 なお、王陽明の門人で明国の鄒守益こと鄒謙之(すうけんし・1491年~1562年)が続編の「續文章軌範」を編纂して、周秦時代から明時代の文人を紹介し、謝枋得が編纂した正本と鄒謙之が編纂した続本とも知識人に愛読された。また、頼山陽は「文章軌範」を原版にして「謝選拾遺」を編纂して、後に刊行されている。



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)九月作成