『御講聞書』(おんこうききがき)

    


タイトル:『御講聞書』(おんこうききがき)

講述:日蓮大聖人

執筆:日向

出版書写事項:明應九年(1500年)庚申四月十三日 藤田宗継板行

形態:全一冊 和装大本(B5版)

書林:京都東洞院通三條上町
   平楽寺村上勘兵衛

目録番号:soka-0010005



御講聞書』の解説

 『御講聞書』(おんこうききがき)は日蓮大聖人(貞応元年・1222~弘安五年・1282)の「妙法蓮華経」の御講述を六老僧の一人である日向(にこう・建長五年・1253~正和三年・1314)が筆録した書で、「自弘安元年三月十九日連連御講至同三年五月二十八日也仍記之畢 日向記之」とあり、弘安三年(1280年)に完成した記録集である。

 日興上人の『御義口伝』は日蓮大聖人が末法有縁の本仏として『法華経』の講義をされたという立場で編纂され、咀嚼された内容で整理されて記録されているが、『御講聞書』は末法有縁の仏は「本師釈迦牟尼如来」であり、日蓮大聖人は『法華経』に登場する「上行菩薩」の再誕としての立場で記録し、日蓮大聖人が講義された順番でそのまま筆録したノート形式の形跡が窺われる。

 日向は日蓮大聖人が定められた本弟子六人(六老僧)の一人で、安房国の尾金に生まれ、十三歳で日蓮大聖人に入門して出家得度し、佐渡公日向・民部阿闍梨日向とも名乗った。日蓮大聖人の旧師追悼のために著述された『報恩抄』を墓前に赴き朗読する大役も務めた。

 今回紹介した『御講聞書』の表紙には別名の『日向記』(にこうき)と印刷されている。また、この書籍は刊年未詳であるが510余年前の明應九年(1500年)に書写され藤田宗継が板行した貴重な書籍でもある。なお、室町時代の写本が新曾妙顕寺にあり、この新曾本に「上三帖内」とあることから元来は全三巻であったとも推測されている。

 また、この書籍の『御講聞書目録』には「凡八十八條」とあるが、『日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)の『御講聞書目録』の最後には「已上九十ケ条」とあり、「右日向記の目録は、現行板本の目録に脱せる「如是我聞の事」及び「法華経の行者に水火の行者の事」の二条を加え、新曾本に明かに「已上九十ケ条」とあるに合せて、新たに作製せり。現行板本に八十八箇条とあるは誤なり、但し巻頭の「総」は新曾本にも数えず、故に本目録にも記載せず。なお同一箇条にして、別条に御講示ある場合、即ち「等雨法雨の事」「根茎枝葉の事」等は、新曾本も現行板本も、共に一条に数うるを以て、本目録も亦た其れに従えり。已上四行の附記は全く日宗社本に依る、編者。」と説明されている。

 参考までに『日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)の『御講聞書目録』の各条を記載しておく。

「妙法蓮華経序品第一の事」「妙法」「蓮華」「本因本果の事」「爾前無得道の事」「序品の事」「品と云う事」「如是我聞の事」「如是の二字」「耆闍崛山の事」「与大比丘衆の事」「爾時世尊の事」「浄飯王摩耶夫人成仏証文の事」「方便品の事」「仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏の事」「十如是の事」「自証無上道大乗平等法の事」「我始坐道場観樹亦経行の事」「今我喜無畏の事」「我聞是法音疑網皆已除の事」「以本願故説三乗法の事」「有大長者の事」「多有田宅の事」「等一大車の事」「其車高広の事」「是朽故宅属于一人の事」「諸鬼神等揚声大叫の事」「乗此宝乗直至道場の事」「若人不信毀謗此経則断一切世間仏種の事」「捨悪知識親近善友の事」「無上宝聚不求自得の事」「薬草喩品の事」「現世安穏後生善処の事」「皆悉到於一切智地の事」「此の一切智地の四字」「根茎枝葉の事」「枯槁衆生の事」「等雨法雨の事」「如従飢国来忽遇大王饍の事」「大通智勝仏○不得成仏道の事」「貧人見此珠其心大歓喜の事」「如甘露見潅の事」「若有悪人以不善心等の事」「如是如是の事」「是真仏子住淳善地の事」「非口所宣非心所測の事」「不染世間法如蓮華在水従地而涌出の事」「願仏為未来演説令開解の事」「譬如良医智慧聡達の事」「一念信解の事」「見仏聞法信受教誨の事」「若復有人以七宝満是人所得其福最多の事」「妙音菩薩の事」「爾時無尽意菩薩の事」「観音妙智力の事」「自在之業の事」「妙法蓮華経陀羅尼の事」「六万八千人の事」「妙荘厳王の事」「華厳大日観経等の凡夫の得道の事」「題目の五字を以て下種の証文と為す可き事」「題目の五字末法に限て持つ可きの事」「天台云く是我弟子応弘我法の事」「色心を心法と云う事」「無作の応身我等凡夫也と云う事」「諸河無鹹の事 」「妙楽大師の釈に末法之初冥利不無の釈の事」「爾前経瓦礫国の事」「無明悪酒の事」「日蓮己証の事」「釈尊の持言秘法の事」「日蓮門家大事の事」「日蓮が弟子臆病にては叶う可からざる事」「妙法蓮華経の五字を眼と云う事」「法華経の行者に水火の行者の事」「女人と妙と釈尊と一体の事」「置不呵責の文の事」「異念無く霊山浄土へ参る可き事」「不可失本心の事」「天台大師を魔王障礙せし事」「法華経極理の事」「妙法蓮華経五字の蔵の事」「我等衆生の成仏は打かためたる成仏と云う証文の事」「爾前法華の能くらべの事」「授職の法体の事」「末代譲状の事」「本有止観と云う事」「入末法四弘誓願の事」「四弘誓願応報如理と云う事」「本来の四弘の事」
已上九十ケ条


 最後に、『十一通御書』でも紹介した書林の平楽寺村上勘兵衛であるが、創業者の村上浄徳は丹波国出身の武士で、京師に出て書肆を開き医書や仏書を出版し、代々の当主は「村上勘兵衛」を名乗った。第三代の村上宗信までは浄土宗の宗書を扱っていたが、宗信の代になって法華宗に転向して、日蓮宗の宗書を出版するようになって、書林平楽寺村上勘兵衛は、寛保元年(1741年)ごろから「法華宗門書堂」と称することになる。明治時代には廃業し大正時代に井上治作に店を譲渡して「平楽寺書店」(東洞院三条上ル)の社名で日蓮宗の宗書出版を中心に刊行する出版社として再出発した。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十七年(2015年)十二月作成