『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)

    


タイトル:『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)

編輯者:井原西鶴

出版書写事項:昭和四十六年九月一日(1971年)印刷
       昭和四十六年十月一日(1971年)発行

形態:八巻全八冊 和装大本(B5版)

監修・編集:日本古典文学会

発行:日本古典文学刊行会

総発売元:株式会社 図書月販

製作:株式会社 ほるぷ出版
   東京連合印刷株式会社

目録番号:win-0090007



好色一代男』の解説

 『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)は、浮世草子の作者として知られ、人形浄瑠璃作者でもあった井原西鶴(いはらさいかく・寛永十九年・1642~元禄六年・1693)の処女作で唯一の作品であるとの説もある。

 上の写真でもわかる通り天和二年(1682年)に大坂の池田屋と江戸の奈良屋から同時刊行され、大坂版の挿絵は西鶴自筆という説もあるが、江戸版は菱川師宣(ひしかわもろのぶ・元和四年・1618~元禄七年・1694)筆であることがわかっている。なお、今回紹介する書籍は、日本古典文学会が『好色一代男』の版本を復刻して出版したものである。

 井原西鶴は、大坂の難波に生れ15歳頃から俳諧師を志し、江戸時代の大坂の談林派を代表する俳諧師の西山宗因(にしやまそういん・慶長十年・1605~天和二年・1682)の門に入った。西鶴は一昼夜の間に発句をつくり数を競う矢数俳諧の創始者でもあり、その奇怪な句風からも「阿蘭陀流(おらんだりゅう)」と批判されたが、談林派を代表する俳諧師として名をなし、別号に鶴永・二万翁・西鵬などがある。

 西鶴は今回紹介する『好色一代男』を出版し好評を得て、従来の仮名草子とは一線を画する作品として、現在では以後の作品を「浮世草子」として区別されている。代表作には『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』などがあるが、実際に西鶴が書いたのは『好色一代男』ただひとつであり、それ以外は西鶴が関与したに過ぎないとする説も存在している。

 実は、江戸時代末期には西鶴は忘れられていた。江戸時代以後の西鶴の再評価は淡島寒月(あわしまかんげつ・安政六年・1859~大正十五年・1926)に始まるが、寒月は山東京伝(さんとうきょうでん・宝暦十一年・1761~文化十三年・1816)の考証本『骨董集』を読み西鶴に興味を持ち、古本を探しあさって幸田露伴・尾崎紅葉などに紹介したと吐露している。

 明治時代の新劇運動の先駆けの一人として知られている島村抱月(しまむらほうげつ・明治四年・1871~大正七年・1918)は、「西鶴の思想は多くの点に於いて却つて近代欧州の文芸に見えたる思想と接邇する。個人性の寂寞、感情の不満、快楽性の悲哀、これ併しながらやみがたき人生の真相である。」と考えていた。

 田山花袋(たやまかたい・明治四年・1872~昭和五年・1930)は「馬琴の稗史滅び、近松の人情物すたれ、一九や三馬の滑稽物は顧る者の無い今の時に当つて、西鶴の作品に自然派の面影を発見するのは、意味の深いことではないであらうか。」と言った。

 また、戸田城聖先生が経営されていた「大道書房」ともご縁があった森銑三(もりせんぞう・明治二十八年・1895~昭和六十年・1985)は、「浮世草子の中で西鶴作品として扱われているもののうち実際に西鶴が書いたのは『好色一代男』ただひとつであり、それ以外は西鶴が関与したに過ぎない作品で西鶴関与作品であり、または、西鶴に擬して書かれただけで関与もしていない作品で摸擬西鶴作品である。」と主張した。

 西鶴が生きた元禄時代には異彩を放つ人材が林立していた。韻文における俳聖の松尾芭蕉、劇文における杉森信盛こと近松門左衛門、そして、散文における井原西鶴と、ほとんど時を同じくして活躍した人材群がこの元禄時代を特徴づけている。また、現在では西鶴の『好色一代男』の系統を継ぐ作品を「浮世草子」と呼び、それ以前のものを「仮名草子」と呼んで、区別されている。

 仮名草子(かなぞうし)とは、『御伽草子』の延長に生まれ、江戸時代初期に仮名交じり文で書かれ、仮名を用いた庶民向けの読み物として出版された雑多な分野を含んでいる。近世文学における物語や散文作品を総称したもので、西鶴の『好色一代男』が出版された頃を区切りとするのが一般的である。作者の多くは当時の知識人層であり、『江戸名所記』で紹介した浅井了意などが知られている。

 『好色一代男』は、夜乃介(世之介)という名を持つ、かつて見たこともない程の好色人物を主人公に、その成長過程を描きながら、愛欲生活の諸相を追いかけた作品である。夜乃介(世之介)の七歳から六十歳までの五十四年間の一代記を五十四章の構成により、長編小説のような雰囲気を醸し出して『源氏物語』との相似性をも感じさせる草子物である。

 巻一・巻二は、主人公の夜乃介(世之介)の七歳から二十歳の青年期までを十四章にまとめた。七歳で腰元に恋をして異性を意識し、清水坂の私娼、奈良木辻町の遊女、江戸の私娼など遍歴を重ねる。そして、十九歳の時に父から勘当を受けてしまう。

 巻三・巻四では、夜乃介(世之介)の二十一歳から三十四歳までを同じく十四章にまとめ、京の妾、大坂の蓮葉女、大原の雑魚寝、寺泊の遊女、追分の遊女、江戸の屋敷女中、島原の遊女など諸国を放浪して色道の修業に励む様子が著されている。

 巻五から巻八には、三十五歳から六十歳までの二十六章にまとめ、母親から父親の遺産二万五千両の譲渡を受け剛毅な生活を過ごし、京都島原の吉野太夫、大坂新町の夕霧太夫、吉原の小紫太夫や高雄太夫など有名な花魁を登場させ、粋な世界が描かれている。

 長崎の丸山を最後に、気がつけば足腰弱り耳も遠く歩くには杖が必要となった夜乃介(世之介)と同行者七人が、山盛りのお宝と当時の風俗がわかる責め道具をあの吉野太夫の形見の腰巻を取り付けた「好色丸」に積み込んで、海の彼方に存在していると伝わる「女だらけの女護島」をめざして船出し、消息が絶えるところで筆が置かれている。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成三十年(2018年)十二月作成