『ポケット福翁百話』(ぽけっとふくおうひゃくわ)

    


タイトル:ポケット福翁百話(ぽけっとふくおうひゃくわ)
     附福翁百餘話

著者:福澤諭吉

出版書写事項:明治四十二年(1909年)十月廿二日発行
      (慶應義塾大学の保存版と同等)

形態:全一冊(活版・三方金装)

発行者:株式会社時事新報社 山本昌一

印刷者:中野鐵太郎

発行所:株式会社時事新報社

印刷所:東洋印刷株式会社

目録番号:win-0050008



ポケット福翁百話』の解説

 福澤諭吉(天保五年・1835~明治三十四年・1901)については「西洋事情 初編」で説明したので省略するが、「福翁百話」については、福澤が訪問してくる客との会話・談話を書き留めておいたものから選び出し、独立した百の話しを集めた随想集である。

 福澤が創刊した「時事新報」で明治二十九年から週2・3回の割合で連載した百回分を単行本として時事新報社から発刊されたものであることは、「福翁百話」で紹介した。

 今回紹介するポケット版の書籍には「福翁百餘話」が附録されている。「福翁百餘話」は「福翁百話」と同じ趣旨で纏められた書籍で、明治三十年から三十三年までに「時事新報」に掲載され、明治三十四年に単行本として発行された所感集である。

 「福翁百話」と「福翁百餘話」は、単行本と合本がしばらく発売されていたようであるが、後には合本のみとなり、明治四十二年からはポケット版の「福翁百話 附福翁百餘話」が流布したようである。

 私こと樹冠人にとって、今となっては活字も小さく読みづらくなった「ポケット福翁百話 附福翁百餘話」であるが、青年期に熟読した書籍でもある。それは、「福翁百餘話」の内容が「独立」についてのテーマが多かった点にも原因があったかもしれない。福沢諭吉が最晩年に纏めた「福翁百餘話」は、彼自身の遺言とも言える内容が掲載されているのが特徴である。

 独立を強調したタイトルは、「人生の独立」「独立は独り財産のみに依る可らず」「独立の根気」「独立者の用心」「智徳の独立」「独立の忠」「独立の孝」と十九篇中の七篇と目立つ内容である。私こと樹冠人がこの書籍を読んだ時の全体的な感想として、「明治以降に生きる青年に対してのメッセージ」との感があった。

 参考のために目次全項目を羅列掲載しておく。

 「人生の独立」
 「博識は雅俗共に博識なるべし」
 「独立は独り財産のみに依る可らず」
 「金と自身と孰れか大事」
 「独立の根気」
 「独立者の用心」
 「文明の家庭は親友の集合なり」
 「智徳の独立」
 「独立の忠」
 「独立の孝」
 「立国」
 「思想の中庸」
 「人に交るの法易からず」
 「名誉」
 「禍福の発動機」
 「貧書生の苦界」
 「物理学」
 「貧富苦楽の巡環」
 「大節に臨んでは親子夫婦も会釈に及ばず」

 この書籍を読んだ時に一番衝撃を受けたのは、福澤自身の半生を語っている「貧書生の苦界」の「築城書百爾之記」の項目であった。江戸時代の武士階級は一部を除いて大半が貧困な生活であった。「門閥は親の敵」と豪語した福澤諭吉も下級武士の家に生まれ、教育を受けたくても叶わず、ましてや書籍を買うことも遠く及ばぬことであった。

 勝海舟の「氷川清話」でも説明したが、当時は高価な書籍を買うことよりも原本を借りて筆写することが多かった。しかし、筆写する場合は持ち主に謝礼を払うことが慣例で下級武士にとってはこれも困難であった。

 今回紹介する「築城書百爾之記」であるが、貧書生である福澤の二十代の顛末を記載したものである。中津藩の重臣である奥平隠岐から洋書の築城書(この築城書とは、砲台などを装備するための台場を建設するためのマニュアル本である。)の「百爾(ペル)」を借りて無断で筆写し、しかもこの筆写本を緒方洪庵の適々斎塾に持ち込んで書生ではなく「食客」(諭吉は後に塾頭となる)となったのである。貧書生が向学心の極みとして世間で認められている価値を盗用した訳であるが、まさに福澤の懺悔記録である。そして、最後に「貧は人を不善に導き、究は人をして活発ならしむ」と綴った。

 福澤が通った適々斎塾では、幕臣に取り立てられた大鳥圭介(天保四年・1833~明治四十四年・1911)なども同じエピソードを持っていることを考えると、天保生まれの貧書生たち(日本史上において天保生まれの人材・偉人は多く、稀に見る時代でもあった。)の苦労が身に滲みて理解できる。

 私こと樹冠人も大学時代は貧書生であったので、壮年幹部宅の書斎にあった池田大作先生の書籍を借りて要点を書き写したノートを作った記憶があるが、今となってはこのノートも所在不明である。

参考:「デジタルで読む福沢諭吉



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)八月作成