『増訂史記評林』(ぞうていしきひょうりん)

    


タイトル:増訂史記評林(ぞうていしきひょうりん)

著者:司馬遷

出版書写事項:明治十四年(1881年)刊行

形態:百三十巻全二十七冊 和装大本(B5版)

輯校:呉興稚隆

増補:温陵李光

點:大郷穆・伊地知貞馨

序:重野安繹

巻首乾:史記評林敍・刻史記評林序・史記評林序・史記索隠序
    史記索隠後序・補史記序・史記正義序・史記集解叙
    史記正義論例・史記正義謚法解・史記正義列国分野
    系図・国都地図・史記評林凡例・史記評林姓氏
    史記評林引用書目

巻首坤:目録・読史総評・短長説

編纂者:山田栄造

発行所:修道館(大阪)

目録番号:koten-0010004



増訂史記評林』の解説

 「史記」については、「史記評林」で説明したので省略するが、今回紹介する「増訂史記評林」も「史記」の注釈書である。史記の注釈書には劉宋時代の裴駰(はいいん)による「史記集解」、唐時代の司馬貞による「史記索隠」と張守節による「史記正義」などが有名であるが、日本では明時代の「史記評林」が伝来して、史記の研究書としては定評があった。

 江戸時代の八尾助左衛門尉開板(八尾版)の「史記評林」は定評があり、この八尾版を定本にして増訂され、修道館の山田栄造が編纂した教科書である。この書籍は「修道館本史記評林」とも呼ばれ、明治期には定評があった。この書籍の序文で編修官で薩摩藩出身の重野安繹(文政十年・1827~明治四十三年・1910)は、「自分が少年時代に、この八尾板を求めようとしたが郷里では八尾板はなく、百方捜索したが入手できなかった。」と述べて、この修道館本史記評林の刊行を賞賛している。

 この書籍の特徴は、「巻首乾」と「巻首坤」が準備され、「巻首乾」には史記の注釈書である「史記索隠」「史記正義」「史記集解」の序文や、「史記正義謚法解」で謚(いみな)の説明や、「史記正義列国分野」「系図」「国都地図」で各時代の勢力分布などが掲載され、「巻首坤」には「目録」「読史総評」「短長説」が掲載されている点である。これらの資料は、後学の初学者の勉強材料として有効である。

 ここでは唐時代の司馬貞が補注した「補史記」の「三皇本紀」について触れておこう。

 「太史公書」こと「史記」は、「五帝本紀」から始まるが、「史記」の作者である太史公こと司馬遷は、神話伝説である三皇と五帝の存在を知りつつ、三皇を無視した。その後、「史記」の注釈書である「史記評林」においては、司馬貞の「三皇本紀」と「序文」が追記されている。江戸時代に盛んに読まれた「史記評林」は、この「三皇本紀」が追記されたものである。司馬貞が補った「三皇」は、伏羲・女媧・神農であるが、天皇・地皇・人皇も併記している。なお、秦の始皇帝はこの三皇と五帝よりも尊貴な存在として皇帝と呼ばせたことが「史記」にも記述されている。以後、中国支配者たちはこの皇帝を名乗るようになった。

 また、「太史公書」こと「史記」は、平安時代の清少納言が「枕草子」で記録し、紫式部が「源氏物語」で詩文を掲載した。また、徳川家康は駿府に引退した時には「史記」を愛読し、江戸城の文庫に収蔵した。そして、徳川光圀は少年時代に「史記」を読んで感動し、「大日本史」を編纂した。また、頼山陽も「史記」に触発されて「日本外史」を創出した。これら「大日本史」「日本外史」も紀伝体で表現されている。これらのことは、「史記評林」でも説明した。

 最後に、「修道館本史記評林」の序文を担当した重野安繹について触れておく。

 重野安繹(文政十年・1827~明治四十三年・1910)は、江戸時代後期から明治時代に活躍した漢学者で歴史家である。日本歴史学に実証主義を提唱した魁でもある。また、日本初の文学博士でもある。薩摩藩時代には、藩主島津久光の命で「皇朝世鑑」を著す。明治時代には東京帝国大学の文学部教授に就任し、史学会の初代会長にも就任した。近代実証史学に基づき「赤穂義士実話」を著し、寺坂信行の逃亡説を論破して討ち入り参加の実証を提示したことは有名である。

【参考】 中国哲学書電子化計画



   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十三年(2011年)三月作成