『日蓮大聖人御傳記』(にちれんだいしょうにんごでんき)

    



タイトル:『日蓮大聖人御傳記』(にちれんだいしょうにんごでんき)

出版書写事項:文久二年壬戌(1862年)八月 筆写

著者:作者未詳

筆写者:今井彦左衛門

形態:全一冊 和装中本(A5版)

目録番号:soka-0010008



日蓮大聖人御傳記』の解説

 『日蓮大聖人御傳記』は、江戸時代初期の延宝九年(1681年)三月に日蓮大聖人四百年遠忌を記念して刊行され、京都書肆の「中村五兵衛」が開板した絵入りの日蓮大聖人(貞応元年・1222~弘安五年・1282)の御一代記である。

 作者についての詳細は不明であるが、本文の十巻分には日興門流からの豊富な情報が盛り込まれ、「十巻伝」(国字伝とも)との異称を持つが、巻十には「身延之巻」と巻十一には日朗(寛元三年・1245~元応二年・1320)の甥で弟子にあたる日像(文永六年・1269~興国三年・康永元年・1342)の「日像聖人御伝記」と別立てして一巻分を補足しているなど、実質の『日蓮大聖人御傳記』は九巻までであり、門流を超えて調査されたと思わせる形跡が随所に発見できる内容である。

 江戸時代初期は日蓮大聖人の真筆に対する関心が深まった時代でもあり、本書の序文には「かれこれ旧記をあつめ二百余科をえらびわけて御伝を記す」ともあって、京都においては十六ケ本山の結束も固く、特に日興門流と京都要法寺の交流も良好な時期でもあり、相互間での情報収集が可能な時代でもあったことが『日蓮大聖人御傳記』が成立した背景に大きく影響していると思われる。

 日蓮大聖人の御伝記については、日興門流においては日蓮大聖人の御入滅と葬送に関する事柄を記録した日興上人(寛元四年・1246~元弘三年・1333)の『宗祖御遷化記録』(弘安五年・1282年)が最古の記録である。そして、日道上人(弘安五年・1283~暦応四年/興国二年・1341)の『三師御伝草案』とも呼ばれている『御伝土代』(元弘三年・1333年)が日蓮大聖人門下最古の伝記であると言われ、『日蓮大聖人御傳記』と同時代には日精上人(慶長五年・1600~天和三年・1683)の『大聖人御伝』『日蓮聖人年譜』などが著述された。

 他門流においての伝承では六老僧の日向(建長五年・1253~正和三年・1314)による『大聖人一期行状日記』が知られているが現存していない。室町期以降には、行学日朝(応永二十九年・1422~明応九年・1500)による『元祖化導記』や円明日澄(永享十二年・1440~永正七年・1510)による『日蓮大聖人註画讃』や広蔵院日辰(永正五年・1508~天正四年・1577)による『祖師伝』や證誠院日修(天文元年・1532~文禄三年・1594)の『元祖蓮公薩埵略記』、江戸期の六牙院日潮(延宝二年・1675~寛延元年・1748)による『本化別頭高祖本紀』や智寂坊日省(寛永十三年・1636~享保六年・1721)による『本化別頭高祖伝』などが存在している。

 そして、『日蓮大聖人御傳記』は、江戸期の延宝九年(1681年)と寛政七年(1795年)と文化十三年(1816年)と天保十四年(1843年)の四度も版を重ねて、日蓮大聖人門下の間では流布し多くの読者を獲得したベストセラーでもあった。

 また、その構造は和装十一巻全五冊の構成で、207の章数と322の丁数の大著であるが、大聖人のご生涯の事跡を全88枚の豊富な絵を添えて綴ったものでもあり、大聖人のご生涯をこれほど膨大な量をもって詳細に記した「日蓮大聖人伝」は祖伝刊本史上最初の大著である。つまり、先行して刊行された行学日朝の『元祖化導記』は上下二巻62章、円明日澄の『日蓮大聖人註画讃』は五巻32章など短編だからである。

 江戸時代には文学作品ともいえる近松門左衛門(承応二年・1653~享保九年・1725)の『いろは日蓮記』や『日蓮記児硯(ちごすずり)』、浄瑠璃本の『日蓮大上人御一代記』や葛飾北斎(宝暦十年・1760~嘉永二年・1849)の絵入りで有名な『日蓮上人一代図絵』や松亭金水こと中村経年(寛政九年・1795~文久二年・1863)の『日蓮上人一代図会』など庶民でも理解できる絵入りの御伝記が一世風靡した。

 また、在家門徒が編纂した伝記本では、深見要言(生没年不明)の『高祖紀年録・高祖累歳録・本化高祖紀年録』や『高祖遺文録』で紹介した小川泰堂(文化十一年・1814~明治十一年・1878)の『日蓮大士真実伝』(五巻105章)などが有名で、漢学者の加倉井忠珍(明和元年・1764~文政十一年・1828)の『日蓮大菩薩記』なども著述されている。

 明治以降には、宗教学者の姉崎正治(明治六年・1873~昭和二十四年・1949)の『法華経の行者日蓮』や宗教家の田中智学(文久元年・1861~昭和十六年・1939)の『大国聖日蓮上人』や山川智応(明治十二年・1879~昭和三十一年・1956)の『日蓮聖人伝十講』などが刊行され、幸田露伴(慶応三年・1867~昭和二十二年・1947)や大仏次郎(明治三十年・1897~昭和四十八年・1973)や湊邦三(明治三十一年・1898~昭和五十一年・1976)や川口松太郎(明治三十二年・1899~昭和六十年・1985)や山岡荘八(明治四十年・1907~昭和五十三年・1978)などの小説家も御伝記に挑戦している。

 今回紹介する書籍は、350余年前の文久二年(1862年)に、在家門徒と思われれる備前の今井彦左衛門により江府築地にて筆写された貴重な抜萃筆写本でもある。表紙には『日蓮大聖人御傳記上』とあり、何冊かに分冊して抜萃筆写したものの一冊と思われる。この書籍に掲載されているのは、巻九の第九「聖人武蔵國池上へ入給ふ事」から第廿「御書目録の事」までと、巻十の「身延之巻」の『南條兵衛七郎殿御返事』である。

 私こと樹冠人がこの筆写本を入手した時は、「日蓮大聖人」との表記に注目した。この写本は日興門流が刊行した書籍を筆写したのではないか?と思わせる表記であった。なぜならば、他門流においては「聖人」「上人」「大菩薩」「高祖」「祖師」などの呼称が通例で、つまり、日興門流においての「大聖人」との称名には特別な感情が存在しているからである。

 なお、東洋哲学研究所の小林正博氏の延宝九年(1681年)版の解読・解説により全貌が鮮明となり、問題点が提起されて掲載情報の解明が進んだことは喜ばしいことである。詳しくは、次に紹介する延宝九年(1681年)版の解読・解説に譲ることにするが、参考までに今回紹介した抜萃筆写本の項目を記載しておく。

【聖人武蔵國池上へ入給ふ事】

【波木井殿への御消息の事】

【安国論御講の事】

【六老僧御定の事】

【聖人御所持の仏像聖教の事】

【御葬禮の事】

【遺骨を収めとりの事】

【御骨を身延へおさむ事】

【御遺物配分の事】

【身延山番帳の事】

【御書目録の事】

【身延之巻】(南條兵衛七郎殿御返事)

 なお、この抜萃筆写本の各項目は精細に筆写されたことが窺われる。




   所蔵者:ウィンベル教育研究所 池田弥三郎(樹冠人)
   平成二十八年(2016年)四月作成